1.
気づいたら、僕は白い場所に寝ていた。
白い、というか、明るい。
でも、まぶしいわけじゃない。目が痛くなるような光じゃなくて、やわらかくて、妙に落ち着く明るさだった。
天井はない。
壁もない。
なのに、ここがどこかの中みたいな感じはある。
足元は、床……なんだろうか。
雲みたいにふわっとして見えるのに、立ってみるとちゃんと支えてくれる。意味が分からない。
「……夢?」
自分の声が、しんとした空間によく響いた。
変な夢だな、と思う。
いや、夢だと思いたい、が正しいかもしれない。
だって、最後の記憶があまりよくない。
放課後。
信号。
強い光。
耳の奥をつんざくようなブレーキ音。
そこまで思い出した瞬間、胸の奥が重くなった。
「うわ……」
頭がぼんやりする。
気持ち悪いわけじゃないのに、落ち着かない。
自分で思っていたより、嫌な予感が強い。
「あ、起きた。よかったぁ……」
不意に、女の人の声がした。
僕はびくっとして振り向く。
そこに立っていたのは、とんでもなくきれいな人だった。
長い金色の髪。
やわらかく光をまとった白い服。
整いすぎているくらい整った顔立ち。
背中のあたりには、羽みたいな光まで見える。
いや、ちょっと待ってほしい。
きれいとか、そういう話じゃない。
なんだろう、この……どう見ても普通じゃない感じ。
美人なお姉さん、で済ませるには、雰囲気が神々しすぎる。
「ええと……」
僕が言葉を失っていると、その人は困ったように眉を下げた。
「びっくりさせてしまってごめんなさい。まずは、落ち着いて聞いてくださいね」
「それ、落ち着いて聞けないやつの前振りじゃないですか?」
「鋭いですね……」
否定してほしかった。
その人は胸の前で手を組み、小さく息を吸った。
それから、ものすごく申し訳なさそうな顔で言った。
「あなたは死にました」
「はい?」
いやいやいやいや。
ちょっと待って。
「……今、なんて?」
「あなたは死にました」
「二回言わなくていいです」
即答だった。
しかもやさしい声で言われても困る。
僕は思わず頭を抱えた。
「いや、待ってください。さすがに情報が重すぎません? もう少しこう、順番とか……」
「そうですよね。本当にごめんなさい」
その人はぺこりと頭を下げた。
なんか、ちゃんと謝るんだな。
そこはちょっと意外だった。
「事故でした」
「事故……」
「あなたに落ち度はありません。こちらの不手際もあって、本来なら起きなくていい形で命を落とすことになってしまいました」
「こちらの不手際?」
さらっと、とんでもないことを言われた気がする。
僕が顔を引きつらせると、その人はますますしょんぼりした。
「……はい」
「え、そこ認めるんですか?」
「認めます」
「うわぁ……」
夢であってほしい気持ちはまだあった。
でも、この人のしょんぼりした顔を見ていると、妙に現実味がある。
もし夢なら、もっと雑であってほしい。
こんなに申し訳なさそうな神様候補、夢にしては細かすぎる。
「えっと……確認なんですけど」
「はい」
「あなた、誰ですか?」
「あっ、そうでした。名乗るのが遅れましたね」
その人は少しだけ表情を立て直して、優雅に一礼した。
「私は創造神リュミエル。この世界と、いくつかの世界を見守る者です」
「……神様」
「はい」
「本物の?」
「本物です」
「うわぁ……」
今日だけで何回目か分からない反応が口から出た。
神様。
しかも創造神。
いや、見た目だけなら納得できる。
できるけど、納得したくない。
僕の人生、事故で終わった上に、次に出てきた相手が神様って、情報量が多すぎる。
「信じられないのは当然です」
「いや、まあ……はい」
「でも、安心してください。こちらとしても、あなたをこのまま終わらせるつもりはありません」
その言葉に、僕は顔を上げた。
「……終わらせるつもりはない?」
「はい。おわびも込めて、あなたには別の世界で新しい人生を送ってもらいます」
「別の世界」
「いわゆる異世界転生ですね」
「言い方が軽いなぁ……」
でも、たしかに分かりやすい。
分かりやすいのが逆に怖い。
異世界転生。
前の世界では小説とか漫画の中だけの話だったものが、今は目の前の神様から当然みたいに告げられている。
「……それって、断れます?」
聞いてみると、リュミエルさんは少し困った顔で首をかしげた。
「断ること自体はできます」
「できるんだ」
「ただ、その場合は魂を安定させる別の処理が必要になります。かなり長い時間、眠るような状態になるかと」
「なるほど……」
すぐに嫌だとは思わなかった。
でも、だからといってすぐ頷ける話でもない。
死んだ。
それだけでも十分重いのに、その次が“じゃあ異世界へどうぞ”は飛びすぎている。
「少し考えても?」
「もちろんです」
リュミエルさんはやさしくそう言った。
僕はその場にしゃがみこんで、ふわふわした床を見つめた。
考える。
考えろ。
元の世界に戻れるわけじゃない。
今の話を信じるなら、僕――星谷奏多はもう死んでいる。
家族の顔が浮かんだ。
学校の教室も、通学路も、コンビニの前で友達とだらだら話した時間も、急に遠いものみたいに思えてしまう。
つらい。
すごく、つらい。
でも――だからって、ここで長く眠るように過ごしたいかと言われると、それも違う気がした。
正直、怖い。
新しい世界なんてもっと怖い。
でも、何もしないまま止まるのは、もっと嫌だった。
「……分かりました」
僕は立ち上がる。
「行きます。異世界」
リュミエルさんの顔が、少しだけ明るくなった。
「本当ですか?」
「はい。怖いですけど……それでも、せっかくもう一回生きられるなら、やってみたいです」
「……ありがとうございます」
「いや、僕がお礼を言われる流れなんですか?」
「あなたが前を向いてくれたので」
そう言って微笑まれると、なんだかこっちまで調子が狂う。
この神様、きれいなのに変に親しみやすい。
それはそれでずるい気がした。
「では、異世界へ送る前に、少しだけ加護を授けます」
「加護」
「はい。新しい世界で生きる助けになる力です」
少しだけ。
僕はその言葉を頭の中でくり返した。
うん。
意味としては分かる。
新しい人生のおまけみたいなものだろう。たぶん。
でも、なぜだろう。
すごく嫌な予感がする。
「その顔は、あまり信用していませんね」
「そりゃまあ、死んだ直後に神様から“少しだけ”って言われても……」
「大丈夫です。最低限のものだけですから」
「その“最低限”の基準が気になるんですよ」
リュミエルさんは、少しだけ目をそらした。
あっ、今そらした。
絶対よくないやつだ。
「と、とにかく! あなたが無事に新しい人生を始められるようにするためのものです」
「無事に、ねぇ……」
「信じてください」
「信じたい気持ちはあります」
「でも不安は消えてません」
「それも分かります」
会話がふわふわしている。
いや、床もふわふわしてるけど。
僕がなんとも言えない顔で立っていると、リュミエルさんは両手を胸の前で合わせた。
その仕草だけで、空気が少し変わる。
やわらかい光が集まって、白い空間の明るさが一段だけ澄んだ気がした。
ああ、やっぱり神様なんだな、と思う。
今さらだけど、今の一瞬で変に納得してしまった。
「それでは――」
リュミエルさんがそう言いかけた、その時だった。
どたどたどた、と。
静かな空間に、まったく似合わない足音が響いた。
「おおーい! 始まったか!?」
ものすごく元気な男の声が聞こえて、僕は反射的に振り向く。
遠くから、赤い髪の大柄な男がこっちへ走ってきていた。
しかも一人じゃない。
後ろから、眼鏡の似合う青髪の女性と、楽しそうな笑顔の桃色髪の女の子までついてきている。
嫌な予感が、さっきの比じゃない勢いで膨らんだ。
「……あの」
「……すみません」
リュミエルさんは、さっきよりもっと申し訳なさそうな顔になった。
「その、少しだけ予定外の神々が来ました」
「予定外で済ませていい人数じゃないですよね?」
僕がそう言った瞬間、赤髪の男が豪快に笑った。
「なんだ、元気そうじゃねえか坊主!」
「いや誰ですか!?」
白い空間に、僕のツッコミがきれいに響いた。
たぶんこの時、僕はまだ分かっていなかった。
この神様たちの言う“最低限”が、僕の知っている最低限とはだいぶ違うことを。




