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3.

――落ちている。


 ものすごく落ちている。


 いや、落ちているというか、空から投げ出されている。


「うわあああああああああっ!」


 僕――星谷奏多は、人生で二回目の悲鳴を上げていた。


 一回目は、たぶん事故の時。

 二回目がこれ。


 異世界転生の始まりとして、かなり雑だと思う。


 視界の上には、さっきまでいた白い空間の光が遠ざかっていく。

 視界の下には、緑。

 ひたすら緑。


 森だ。


 どう見ても森だ。


 そして僕は、その森に向かって落ちている。


「穏やかな始まりって言ってましたよね!? リュミエルさん!?」


 叫んだところで返事はない。


 いや、正確には遠くから、


『だ、大丈夫です! たぶん!』


 みたいな声が聞こえた気がした。


「たぶんって言うのやめてくださいいいいい!」


 風が顔に当たる。

 髪がぐしゃぐしゃになる。

 服もばたばた鳴っている。


 このまま地面に落ちたら、普通に死ぬ。


 普通に死ぬってなんだ。

 僕、さっき死んだばかりなんだけど。


「二回目は早すぎるって!」


 そう叫んだ瞬間、胸の奥が熱くなった。


 体が、ふっと軽くなる。


 落ちる勢いが少しだけゆるんだ気がした。


「え?」


 けど、安心するにはまだ早かった。


 次の瞬間、僕の体は森の木々の間に突っこんだ。


「うぎゃっ!」


 枝。

 葉っぱ。

 枝。

 また枝。


 ばさばさばさっ、と全身が木に引っかかりながら落ちていく。


 痛い。

 普通に痛い。


 でも、想像していたほどではなかった。


 いや、空から落ちて「痛い」で済んでいる時点でおかしい気もするけど、たぶん神様たちが言っていた“ケガしにくくする最低限の補助”が効いているんだと思う。


 ありがとう神様。


 でもできれば、そもそも空から落とさないでほしかった。


 最後に、僕は低めの枝を折りながら地面に落ちた。


「ぐえっ」


 変な声が出た。


 仰向けのまま、しばらく空を見上げる。


 木々の隙間から、青い空が見えていた。

 白い雲が流れている。

 鳥みたいなものが飛んでいる。


 見たことのない鳥だった。

 羽が少し光っている。


「……生きてる」


 僕はゆっくり体を起こした。


 腕を動かす。

 足を動かす。

 首も回る。


 痛いところはある。

 でも、どこも折れていない。


「え、今ので無事なんだ……」


 神様の最低限、思ったよりありがたい。


 いや、ありがたいんだけど。


 この世界、最初から落下対策が必要な場所なの?


 だとしたら怖すぎる。


 僕はため息をついて、自分の服を見下ろした。


「……あれ?」


 制服じゃない。


 さっきまで着ていた高校の制服ではなく、黒に近い色の上着と、動きやすそうなズボン。

 革っぽいベルト。

 足元には、ちゃんとしたブーツ。


 いかにも異世界の旅人っぽい服だった。


「いつの間に着替えたの……?」


 神様たち、服まで用意してくれたのか。


 ありがたい。

 ありがたいけど、説明がなさすぎる。


 あと、できれば落とす前に教えてほしかった。


「えっと……ここが異世界、だよね」


 周りを見る。


 森だった。


 木は高い。

 葉っぱは濃い緑。

 地面には見たことのない草が生えている。

 青白く光る小さな花もある。


 空気は澄んでいて、少し甘い匂いがした。

 日本の山の中とは違う。


 もっと、魔法っぽいというか。

 現実感が少し薄いというか。


「本当に来たんだな……」


 つぶやいた瞬間、胸の奥が変に静かになった。


 死んだこと。

 神様に会ったこと。

 加護をもらったこと。

 空から落とされたこと。


 全部が一気に押し寄せてきて、しばらく何も言えなくなる。


 でも、ずっと座っているわけにもいかない。


「……とりあえず、人がいる場所を探さないと」


 森の中でひとり。

 食べ物も水もない。

 地図もない。

 ここがどこかも分からない。


 普通に考えたら、かなりまずい。


 ただ、今の僕には神様たちがくれた“最低限の補助”がある。


 言葉が通じる。

 危険を少し感じやすい。

 体が少し動きやすい。

 良い出会いがあるかもしれない。


 ……うん。


 良い出会い。


 できれば、人間がいい。


 できれば、優しい人がいい。


 できれば、いきなりモンスターとかはやめてほしい。


 僕がそんなことを考えながら立ち上がった時だった。


 がさっ。


 近くの草むらが揺れた。


「……」


 僕は固まる。


 風ではない。

 今のは、何かが動いた音だ。


 がさ、がささっ。


 また音がする。


 僕はゆっくり後ずさった。


「え、なに?」


 草むらの奥から、低いうなり声が聞こえた。


 ぐるるるる、と喉を鳴らすような音。


 嫌な汗が背中を伝う。


 そして、草むらからそいつが出てきた。


 狼、だった。


 たぶん。


 少なくとも形は狼に近い。

 四足で、灰色の毛。

 鋭い牙。

 黄色い目。


 ただし、普通の狼より二回りくらい大きい。


 額には、小さな黒い角が生えている。


「……普通の狼じゃないよね、これ」


 僕がつぶやくと、狼みたいなモンスターは低く身を沈めた。


 明らかに、獲物を見る目をしている。


 僕のことだ。


「いやいやいや、待って。僕、まだ異世界に来て五分も経ってないんだけど」


 当然、待ってくれるわけがない。


 角つき狼が地面を蹴った。


 速い。


「うわっ!」


 僕は反射的に横へ飛んだ。


 次の瞬間、さっきまで僕がいた場所を、角つき狼の牙が通り過ぎた。


 ざくっ、と地面がえぐれる。


「危なっ!?」


 心臓が跳ねた。


 今の、普通に当たっていたら終わっていた。


 でも、避けられた。


 たぶん、神様が言っていた危険を感じやすくなる補助と、体が動きやすくなる補助のおかげだ。


 つまり、これは僕がすごいんじゃない。


 安全装置がちゃんと動いたのだ。


「最低限って大事だな……!」


 いや、そんなことをしみじみ言っている場合じゃない。


 角つき狼はすぐに振り向き、またこちらを狙ってくる。


 僕は周りを見た。


 武器。

 武器になりそうなもの。


 落ちていた太めの枝を見つける。


「これでどうにか……なるかなぁ!?」


 ならない気がする。


 けど、何もないよりはいい。


 僕は枝を拾い、両手で構えた。


 角つき狼がまた飛びかかってくる。


 僕は必死で枝を振った。


 その瞬間。


 ばきんっ!


 枝が狼の横っ腹に当たり、ものすごい音がした。


「え?」


 角つき狼の体が、横へ吹っ飛んだ。


 冗談みたいに飛んだ。


 木にぶつかり、どさっと地面に落ちる。


 そのまま動かない。


「……え?」


 僕は枝を持ったまま固まった。


 何が起きた?


 いや、僕が枝を振った。

 それは分かる。

 当たったのも分かる。


 でも、なんであんなに飛んだ?


 僕は手元の枝を見る。


 普通の枝だ。

 ちょっと太いけど、ただの枝。


 伝説の剣とかではない。

 少なくとも見た目は完全に枝。


「……相手が、思ったより弱かったのかな」


 いや、あの牙と速度で弱いと言っていいのかは分からない。


 でも、そう考えないと納得できない。


 たぶん、この森の浅いところにいるモンスターなんだろう。

 ゲームで言うなら、最初に出てくる敵。

 初心者が練習する相手。


「うん。そうだ。たぶんチュートリアル用の敵だったんだ」


 現実でそんな考え方をしていいのかは分からない。


 でも、そうでも思わないと心がもたない。


 神様たちがくれた補助も、きっと最低限の安全対策だ。

 いきなり死なないように、少しだけ体が動きやすくなっている。

 たぶん、そういうことなんだと思う。


「と、とりあえず勝った。よかった」


 そう言って、枝を下ろした時だった。


 がさ。


 また草むらが揺れた。


「……うそでしょ」


 今度は一か所じゃない。


 右。

 左。

 後ろ。


 複数の気配。


 僕はゆっくり周囲を見回した。


 草むらの奥から、さっきと同じ角つき狼が出てくる。


 一匹。

 二匹。

 三匹。


 さらに、奥からもう一匹。


「増えた……」


 完全に囲まれている。


 さっきのは一匹だったからどうにかなった。

 でも今度は四匹。


 さすがに厳しいのでは?


 僕は枝を握り直す。


 手が震えている。

 そりゃそうだ。怖いに決まっている。


「落ち着け。落ち着け、僕」


 自分に言い聞かせる。


 逃げ道は?


 左側に少しすき間がある。

 でも走って逃げても、たぶん追いつかれる。


 だったら、先に動くしかない。


「いや、待って。僕、普通の高校生だったんだけどな……」


 言っても仕方ない。


 角つき狼の一匹が動いた。


 同時に、別の一匹が横から回り込む。


 挟む気だ。


 なぜ分かるのか、自分でも分からない。

 でも相手の動きが、妙に見える。


 危険を感じ取りやすい補助。


 神様たちが言っていたのは、こういうことなのかもしれない。


「そこ!」


 僕は踏み込み、枝を横に振った。


 一匹目の鼻先をかすめるように当たり、狼がひるむ。


 そのまま回転するように体を動かし、横から飛びかかってきた二匹目の首元を枝で叩く。


 ばこんっ!


 二匹目が地面に転がった。


「え、当たった……」


 自分で驚いている場合じゃない。


 三匹目が背後から来る。


 見えていないはずなのに、背中がぞわっとした。


 危ない、と体が先に反応する。


 僕は前へ転がるように避けた。


 背後を牙がかすめる。


「こわっ!」


 起き上がりながら、枝を突き出す。


 枝の先が三匹目の胸に当たった。


 次の瞬間、青白い光がぱちっと弾けた。


「え?」


 光は小さな衝撃になって、狼を吹き飛ばした。


 僕はまた固まる。


「今の何?」


 魔法?


 いや、僕は何も唱えてない。

 そもそも魔法の使い方も知らない。


 けど、確かに何か出た。


 青白い光。

 たぶん魔力とかそういうやつ。


 ミネルさんが、魔力に振り回されないための補助って言っていた。

 つまり、危ない時に勝手に少しだけ守ってくれるようなものなのかもしれない。


「最低限の自衛って、すごいな……」


 この世界では、これくらいできないと森を歩けないのだろうか。


 怖すぎる。


 考えている間に、最後の一匹が逃げようとした。


「あ、待って」


 別に追う必要はない。


 ないんだけど、逃がしたらまた誰かを襲うかもしれない。


 そう思った瞬間、僕の手のひらに熱が集まった。


 小さな火の玉が、ぽん、と浮かぶ。


「えっ」


 火の玉は勝手に前へ飛び、最後の角つき狼の足元で土をはじいた。


 どんっ、と地面が小さく爆ぜる。


 角つき狼は驚いたように転び、そのまま動かなくなった。


 森の中が、急に静かになる。


 僕は手のひらを見つめた。


「……今のも、最低限の自衛ってやつ?」


 魔法を使った。


 たぶん。


 でも、あれだけ神様たちが「生きるために必要」と言っていたのだ。

 この世界では、これくらいできないと危ないのかもしれない。


 僕が特別なんじゃない。


 きっと、異世界では普通に生きるだけでも大変なんだ。


「……異世界、想像より怖い」


 僕は思わずつぶやいた。


 普通の高校生が、初日からモンスターを枝で倒して、魔法っぽいものまで出している。


 意味が分からない。


 けど、これはたぶん、この世界の危険さに合わせた最低限の補助だ。


 そう思うことにした。


 そう思わないと、たぶん心がもたない。


「よし。落ち着こう」


 僕は大きく息を吸った。


 倒れた角つき狼たちを見る。


 倒したモンスターって、どうすればいいんだろう。


 素材とか取れるのかな。

 いや、でも解体なんてできない。


 血を見るのも正直きつい。


「持っていけるものだけ……?」


 そう思った瞬間、頭の中に文字のようなものが浮かんだ。


 ――角狼。低位モンスター。牙、角、毛皮に素材価値あり。


「うわっ!?」


 僕は思わず頭を押さえた。


 何か見えた。

 いや、読めた。


 これが、ミネルさんが言っていた簡易鑑定なのかもしれない。


「急に出ると怖いな……」


 角狼。


 名前、そのままだった。

 角がある狼だから角狼。

 分かりやすくて助かる。


 素材価値あり、と出たのはいいけど、やっぱり解体は無理だ。


「収納とかも……あるのかな」


 神様たちが直接言っていたかは、正直うろ覚えだ。

 でも、生活補助があるなら、荷物を持てる何かもあるかもしれない。


 使い方は分からない。


 けど、さっきから危ない時に何となく体が動いた。

 なら、これも何となくでいけるのかもしれない。


 僕は倒れた角狼に手を向ける。


「えっと……しまう?」


 小さくつぶやく。


 すると、角狼の体が淡い光に包まれ、すっと消えた。


「消えた!」


 いや、自分でやったんだけど。


 びっくりした。


 頭の中に、何か入った感覚がある。

 袋の中に物を入れた、みたいな感覚に近い。


「……本当に生活補助が手厚い」


 神様たち、最低限と言いながらかなり親切だった。


 僕は残りの角狼も同じようにしまっていく。


 少し気は引けるけど、素材になるなら無駄にしない方がいい。

 それに、森に置いておいたら別のモンスターが来そうだ。


 全部しまい終えたところで、僕は改めて周囲を見回した。


 静かだ。


 さっきまでの戦闘が嘘みたいに、森は穏やかだった。


 葉っぱが風で揺れている。

 遠くで鳥の鳴き声がする。

 青白い花が、足元で小さく光っている。


「これで……とりあえず安全かな」


 そう言った直後だった。


 遠くから、低い咆哮が聞こえた。


 今までの角狼とは比べものにならない、腹の底に響くような声。


 森の奥の鳥たちが、一斉に飛び立った。


「……」


 僕は無言でそちらを見る。


 嫌な予感がする。


 ものすごく嫌な予感がする。


「もしかして、この森……思ったより治安悪い?」


 異世界に来て、まだたぶん十分くらい。


 僕は早くも、普通に暮らす難しさを感じ始めていた。

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