残してきたもの(5)
「ごめん、遅くなって」
妹の身体を引き起こす。幸い、暴行は受けていない様子だった。その手からなにかがポロリとこぼれる。直径が2cmほどの黄色い実だった。
「ズズルア?」
「キニーね……、前に上のお兄ちゃんのために母さまが実を取りに行くって言ったのを憶えてたの。どっちに行ったのかもこっそり覗いてて」
「お前、そんな体調で出歩いたらどんなことになるかわかってるだろう? なんで……」
「いっぱい探した。で、やっと一個だけ」
ロゾーにしたらそれどころではない。しかし、キニーの努力を無駄になどできない。そっと取りあげて懐に収めた。
「なんでそんな無茶を」
「だって、ロゾーお兄ちゃん……、今のままじゃ無理しそうなんだもん」
「あんまりしゃべるな。どこか治せるところに連れていってやるから」
傍らにひざまずき、残る力を振り絞って妹を背負う。膝が笑って仕方がないが、大切な家族の身体を落とすわけにはいかない。死に物狂いで足を運びだす。
「大丈夫だから捨ててって。お兄ちゃんの怪我が悪くなっちゃう」
「なんてことない。黙っておぶさってろ」
「やっぱりロゾーお兄ちゃんはすごいなぁ」
一歩いっぽ踏みしめながら歩いていく。しかし、行く宛てもない。なにをしてやればいいのかもわからない。ともあれ、どこかで休ませてやらねばいけないと思った。いつもの大樹の丘目指して歩を進める。
「ねえ、ロゾーお兄ちゃん。キニーが死んだら魂だけでもあの星空の向こうに行けるのかな?」
いつの間にか夜が訪れていた。
「死なせはしない。お前を生きてあそこに連れていってやるから頑張れ」
「そんなこと言ってくれるのはお兄ちゃんだけだった。こうして背負ってくれるのも。キニー、お兄ちゃんが大好き」
「オレだってお前が一番大切だ」
黙々と丘を登る。しかし、身体はだんだんと言うことを聞いてくれなくなる。妹を丘の上に横たえてやりたい。その一念で足を前に出す。
「キニー?」
しかし、無情にも妹の身体から力が抜け重さが増した。限界まで急いで、それこそ這うようにして丘を登る。努力も虚しく、キニーは少しずつ冷たくなっていく。
爪が土を掻く。そこにぼたぼたと水の雫が落ちていく。涙が口吻を伝って鼻の先にまで流れる。荒い息が鼻の穴から涙を吸い取ってむせる。四つん這いになりながらキニーを丘の上まで連れていった。
「ほら、お前の好きな星空があんなに広がってるぞ?」
妹を横たえると、星空がよく見えるように仰向けに寝かせた。その円らな瞳は二度と開くことはない。それでも彼女が天に羽ばたいていけるよう上を指差す。
「あそこだ。わかるな。そこで待ってろ。兄ちゃんもすぐに行くからな」
ロゾーは夜が明けるまで横に座って彼女を見守っていた。
◇ ◇ ◇
ロゾーは痛む身体を引きずって森の傍まで行く。懐にはキニーが持ってきてくれたズズルアの実がある。不敵に笑うと、指でグシャリと潰した。強烈な匂いがあたりに漂い、森へと運んでいく。
「さあ、勝負のときだ」
茂みがざわめき、巨体がぬるりと草原へと出てきた。鼻の先から尻まででも2mをゆうに超える長さがある。そのガズランは彼の身体より遥かに大きい。しかし、なぜか怖ろしいとは思わなかった。
(キニーが感じてた死の恐怖はこんなもんじゃなかったんだ。あいつはそれに十年も耐えつづけた。それを知ってるオレにとってはてめぇは獲物なんだよ)
兄弟相手には自制して抜くことのなかったナイフを腰から抜く。逆手に構えると前に突きだした。左手の潰れたズズルアの実をガズランの鼻面に投げつけてやった。匂いに酔った大型猫は前脚をよろつかせる。
「大人しく狩られろ。で、オレの……、オレと妹の踏み台になれ」
ガズランが前脚で鼻面を掻く。大きく開いた口からやや黄ばんだ長い牙が覗いた。垂れている大量のヨダレはズズルアに酔ったものか、彼を食料として見て出たものかはわからない。
「あのクズ女も、クソ兄貴どもも、見過ごした馬鹿な親父もオレの覚悟をわかってない。それを今からてめぇに思い知らせてやる」
細く息を吐いて足を擦らせる。一気に集中して全身の痛みを忘れた。踏みだした足で地面を叩いてタンと鳴らせる。反応したガズランが飛び掛かってきた。
(今のオレはこいつと格闘する余力なんてない。勝負は一瞬)
ロゾーは逆に踏み込んでいた。敵に合わせていたら後手になる。ガズランの距離感を狂わせた。咄嗟のことに肉食獣は本能的に目いっぱい顎を開く。
「そらよ」
迫る顎に構わず胸元に蹴りを放つ。その程度でガズランは怯みもしない。覆いかぶさるように襲ってきた巨体が伸し掛かってくる。前脚の爪が肩に食い込み押し倒された。
「なんでこんな手ぬるいことしてると思う? 実はな、オレはお前を傷つけたくないんだよ」
目の前のガズランの頭は彼の何倍くらいあろうか。その顎はゆうに頭をひと噛みで潰してしまうだろう。事実、口吻は中にすっぽりと収まってしまっている。
ロゾーは額と顎の下に牙の先端の感触を味わっていた。
次回『残してきたもの(6)』 「兄ちゃんは行くぞ、キニー」




