迷い犬(2)
(怪物!)
ミレニティは瞬間的にそう思ってしまった。
現代人の感覚としては恥じるべきものだったにも関わらず、あまりに周囲に馴染まない存在だったからだ。怖れよりも、まず排除せねばならないと直感してしまう。
(ここから)
キックを受け止められたのは意外だった。彼女の奇襲を躱せる者などベッフェルベリには少ない。いないと言ってもいいほど。しかし、それで終わりではない。
蹴り足を即座に引くと身を低くして旋回する。相手は大柄なドッカスを吊りあげるほどの長駆。足元は弱いはずである。
(耐えられる人なんて)
ローキックで膝裏を狙う。そこに一撃受けて立っていられる者などいない。転倒させられれば身長差など意味をなさなくなる。
ところが、ローキックがすかされ、さらに蹴り足を押されてしまった。スピンに制動が掛からず余計に回ってしまう。その分、相手が視界から消えた。
(しまった)
上から押しつぶされてしまうと体重差で返せなくなってしまう。伸びてくるであろう腕に向けて逆立ち気味に足を絡めに行く。回りすぎたのを逆利用して向心力で身体を立てた。
やはり腕が伸びてきているのが見える。いくら長駆と膂力を誇ろうとも腕と足ではパワー差は歴然。絡め取って引き落とす。頭を地面に強打させられれば大の男でも失神させられる。
「うそ」
思わず声に出た。
相手は絡めにくるのも予想していたか身を低くしてくる。そうなると体重を利用した絡め取りからの引き落としが不発になる。男の腕の高さのまま斜めになってしまった。
腕に掛かる体重は小さいので関節も極められない。自由になる前腕がミレニティの太ももを掴むと、ふわりと掬いあげられてしまった。空中ではどうにもできない。
「きゃ!」
一撃を覚悟して手で捌きにいくが、なにも来ない。遠心力で体勢を整えられないままお腹に衝撃。殴られたのではない。そっと肩に担がれたのだった。
「お嬢ちゃん、いきなりそれはなくないか?」
「やん!」
悪戯を咎められるかのように、お尻をペンと叩かれた。変な声が出てしまったと顔が熱くなる。
「もうしないからお尻叩かないで」
「すまんすまん。そういう年じゃなかったな」
男が上半身をかがめると彼女の身体が滑る。腰掛けた先は相手の上腕。子どものように抱っこされたスタイルだ。しかも、体重を支えるためにミレニティが抱えたものは犬の頭だった。
(不思議……)
外観はそのまんま犬なのだ。赤茶色の毛皮に覆われている犬の顔。それが人体の首の上に付いている。しかも、普通にしゃべる。
「星間公用語?」
「それが大問題。どうにかしてくれないか?」
眉があるわけではないが目尻が下がる。口吻の中ほどの口角も下がって困っているのがわかる。犬の顔なのに表情豊かだった。
「もしかして、それで揉めてたの?」
「オレ、喧嘩の仲裁したつもりだったんだけど話通じないんだよ」
「ここってリスニングもできない人が多くって」
ゴート宙区が星間銀河に加盟したのが進宙歴524年。星間宇宙暦にして1425年。三十五年も前の話だ。ミレニティはもちろん、ベッフェルベリの男たちだって義務教育で星間公用語を習っている。
だがしかし、だ。聞かん気の強い荒くれ者たちの子どもは学校でまともに授業など聞いたりはしない。普段遣いのゴート語だけしか話せず、読み書きもできない者が半数以上を占める。
「ごめんなさい」
「それっぽい噂は聞いてた。変に首突っ込むもんじゃなかったな」
「それで……」
そこまで話して、彼女がまだ男に抱えあげられたままなのを思いだす。急に恥ずかしくなってしまった。
「降ろして」
「ちょっといいか? 連中、まだ鼻息荒いから、どうにかしてからにしてくれ」
気づけば男たちに取り囲まれている。彼らはミレニティを取り戻そうと本気になっているのだ。こうなると簡単には収まりがつかない。
「誤解なのよ」
ゴート語で説明する。
「この人はあなたたちの喧嘩にびっくりして止めようとしてくれただけ。敵意はないの」
「だがよ、そいつ、レニーを捕まえてるんだぜ」
「だーかーらー!」
困ってしまう。
「この人はゴート語しゃべれないから説明できないの! 見たらわかるでしょ? えーっと、ゾアントピテクスって人!」
「ぞあんと……? 人間以外の人間?」
「この人も人間なの。ちょっと種族が違うだけなんだから差別しない。そんなのもう許されないんだから」
言って、ブーメランが突き刺さってしまう。彼女もさっき、相手を怪物のように感じてしまって委細構わず攻撃した。頭を抱える。
「ごめんなさい」
「ん、どうかしたか?」
「情けなくて心が折れちゃった」
獣人種のことは知っている。一度だけ、猫系の人種とも会ったことがあった。しかし、あまりにこれまでの環境にいなかったため、知識としては理解しているのに意識はできないでいたのだ。
(みんながつい喧嘩腰になってしまうのも当然。意気がっているけどほんとのところはちょっと怖がってるのね)
「私、ミレニティ・ユング」
「オレ、ロゾー・ハレハンタ。通訳よろしく頼む」
「だね」
意識が切り替わって、その犬の頭が愛らしく思えてきた。触れたくなって毛皮をなぞる。三角の耳が小さくプルプルっと震えたのが面白い。ひと抱えもある頭に体重を預けた。
(みんなの表情が緩んだ。私が心許してるのを見せたほうがいいんだ)
ミレニティはロゾーの頭を小脇に抱えるようにして口を開いた。
次回『迷い犬(3)』 「駐留艦隊の人?」




