2-42
「オリビア様、こちらの本は今朝入ったばかりですが、お読みになられますか?」
王立図書館の、午後の日が差す窓辺にオリーは佇んでいた。
ロウエルの声に振り返り、手に持っていた古本を受け取る。
「ありがとうございます」
礼を述べた後で、古い言葉で書かれた本のページをパラパラとめくる。
読み取れた文字から推測すれば、それは名も無き民の英雄譚だった。
検閲に通すまでもないとわかりつつも、少し大袈裟な表情をして、本を返していたずらをする。
「これは禁書ですね、早急に検閲に通す必要がありますよ」
その言葉にロウエルは、「まぁ」と言いながら手を口元に当て、急足で図書館の奥へと去っていった。
そのやり取りを表情ひとつ変えることなく見届けるイリーナは、その日もオリーの傍に立って周囲を警戒する視線を向けている。
モルゲンとの別れから四年、あと数日でオリーは魔法学園を卒業する。
足繁く通ったこの図書館へも、卒業後は立ち寄り難くなるかもしれない。少しの寂しさを感じながら、視線の端に、頬を膨らませて戻ってくるロウエルの姿が入った。
その時、オリーの耳元で声が聞こえた。
「オリー、フレアです!今話せる?」
綴り糸の耳飾りを通じて、フレアが語りかけてきた。
何か言いたそうにしているロウエルを手で制して、耳飾りにそっと触れて返事をする。
「フレア、どうしたの?」
チラリとロウエルの様子を伺うと、イリーナが前に立ちはだかっているのが見えた。
「ヘフタんの伐採に来てるんだけど、見たこともない文字の石碑を見つけたのです」
あの出来事以来、アルダ・ウーヘフタは定期的に刈り取られるようになった。
放置してはならぬ木と記された古い書物は、オリーによってその内実が読み解かれた。
一度成体となってから放出された胞子は、本来辿るべき成長の階梯を省略して芽を出す。
火に弱くはあるが、決して火を放ってはならない。
胞子が爆散し、災厄を広げる恐れあり。
故に、幼体のうちにこれを刈り取るべし。いずれ木は姿を消す。
あの時と同じように、アルダ・ウーヘフタが成体となり、脅威となった古い時代があったのだろう。
そのアルダ・ウーヘフタが生息する場所で、石碑を見つけたという連絡だった。
「読めない文字だから、オリーに読んでもらいたいのです」
そうは言われても、目の前にその石碑がないのだから透視して読むこともできなかった。
「それじゃあ、何かに書き写してきて」
オリーのその言葉に、「わかったです!」と返事があって、会話は終わった。
もう少ししたら、蒼い海月亭へ戻ろう。
フレアが持ち帰る石碑の写しを見るのが、少し楽しみだった。
そう考えてから、イリーナに阻まれているロウエルに笑顔を向けた。
・・・
蒼い海月亭のそばにある、馬車の停留所に人だかりができていた。
辺りを見渡せば、その人だかりは停留所だけでなく、転移の塔へ向かう通りを埋め尽くしていた。
アルメアとの交易が途絶え、年に一度開催されていた『交易祭』は、もう何年も開かれていない。
建国記念の『創邦祭』には、まだ時期が早かった。
それに、集まった人達は皆一様に転移の塔を見上げていた。
皆に釣られてオリーも同じように転移の塔を見上げてみたが、皆が何を見ているのかはわからなかった。
フレアが戻ってくるまで、もうしばらくかかるだろう。
少しくらいならば、皆の視線の先に何があるのか確かめる時間はあるとは思った。
けれども、まずは、今日図書館から借りてきた古書に目を通すのが先だと考えた。返却期限は明日なのだった。
オリーは人だかりを横目に、蒼い海月亭の扉を開けた。
「オリビアさん、おかえりなさい」
ヨウが元気よく出迎えてくれる。
店の中はいつものように人でいっぱいだった。
すでに酔いが回った詩人が、今日もヨウに絡んでいるのが見える。あの人はいつも酔ってヨウに絡んでいる。
日常の光景に安心する。
「ヨウさん、外が人でいっぱいですけど、何かあるんですか?」
今見てきた様子をそのまま伝える。
それを聞いたヨウは、「あぁ」と言って話を続けようとしたところで、今までヨウに絡んでいた酔った詩人に話を奪われた。
「塔の上に、放浪の魔女が現れたって話だね」
言うが早いか、詩人はリュートを構えると声高に歌い出した。
放浪の魔女の唄。
古い言葉の、その言葉の音だけで再現された唄には、歌詞と呼べるような歌詞が無かった。
それでも、吟遊詩人達はその唄を継承し、歌い繋いできた。
オリーはしばらく彼の歌声に耳を澄ませた。
聞き入るだけでは言葉を文字にすることができず、歌い終えた詩人に問いかけた。
「その唄の意味は何ですか?」
問われた詩人は、ボーッとした目でオリーを眺めていたが、小首を傾げて宙を見上げると、「わからん」とだけ答えた。
「そうですか」
あからさまにがっかりした表情のオリーに、詩人は言葉を続けた。
「詩人仲間に古語に強い奴がいてね、そいつが音に文字を当てはめたものならあるよ」
そう言って、手元の紙にサラサラと古い文字を書き綴っていく。
仲間から聞いたという歌詞を書き終えると、それをオリーに手渡した。
「自分では読めないし、意味もわからないけど、たぶん趣味の言い唄じゃないね」
詩人は笑いながらジョッキを煽ると、リュートを手に別の唄を歌い出した。
その横で、オリーは綴られた唄に視線を落とす。
-
蒼穹染める緋糸の息吹
其は幽玄の禍津蠢動
終ぞ静謐は深々と迫る
誰そ彼の冥夜の如く
其の彼誰に曙光在らず
唯無窮に流転待つのみ




