2-41
目が覚めたとき、身体中が重いと感じた。
異常なほどの眩しさを感じた後で、見たことのない天井が目に入った。
ここはどこだろうと、素朴な疑問が浮かんだ次の瞬間、捕食植物に足を絡め取られる感覚が襲ってきた。
重い身体を慌てて起こし、自分の足を確認する。
目に入ってきたのは、真っ白な亜麻布越しの足だった。
「パルティア、目が覚めたんだな」
優しい声がした。
どこかで聞いた覚えのある声だったが、それが誰なのか判断できなかった。
腰まである黒髪が見える。
彼女を知っている。ダナグの冒険者、モルゲンだ。
なぜここにモルゲンがいるのか、パルティアには見当もつかなかった。
最後の記憶は、捕食植物に足を絡め取られる瞬間。
一瞬の油断で、そこからの記憶はなかった。
辺りを見渡し、ネーヴァリの姿を探す。
しかし、部屋の中にはモルゲン以外には誰もいなかった。
「リーダーは?みんなは?」
掠れる声で問いかける。
それを口にした瞬間、最悪の事態を想像して、思わず口に手を当てる。
パルティアの顔から血の気が引くのがわかる。
それを見ていたモルゲンが、慌てたように話を始めた。
「ネーヴァリも仲間も、みんな無事だ」
その言葉を聞いて、パルティアは胸を撫で下ろした。けれども、モルゲンの表情が曇っていることが気になった。
「リーダーはどこに?」
ほんの少しの間、沈黙が流れた。
本当にほんの少しの間だったが、モルゲンが重い口を開くまで、酷く長い間待たされたような気がした。
「アルメアで内戦が起きた。
冒険者に、召還命令が出た」
言葉の意味が理解できなかった。
それが冗談なのかどうか判断するのにさえ、時間を要した。
「ネーヴァリ達は、帰国した」
モルゲンの言葉を聞いた後で、何かが頬を伝う感触に気付いた。
置いていかれたのだと理解した。
「ぼくが、足手纏いだから……」
ようやく口から出た言葉に、モルゲンは即座にそれを否定した。
「違う、ネーヴァリはずっとパルティアを守っていた。
船が出る瞬間まで、ずっと傍で見守っていた」
だとしたら何故……。そんな考えが頭をよぎる。
「ネーヴァリが立ったのは、もう三週間も前だ」
所属国に有事の際、冒険者は国の命令に従う義務を負う。
命令を拒絶すれば冒険者資格は直ちに剥奪され、その国の冒険者には二度となることができない。
それは他国においても同様で、国の命に背く不忠の者を、冒険者として受け入れる国は存在しない。
つまり、一度の拒絶は、二度と冒険者として生きられないことを意味していた。
冒険者になった日、それを教えられた。
「ネーヴァリはずっと苦しんでいたよ。パルティアを見捨てられないってね」
目つきが悪く、いつも何かを睨んでいるようなネーヴァリが、自分を思って苦しんでいる表情が思い浮かぶ。
「リューネちゃん……」
堪えきれず、顔を伏せて泣き崩れた。
ネーヴァリに会いたい。その願いは叶わない。
「生きていれば、いつか必ず会えるよ」
そう言って、モルゲンはパルティアの頭をそっと撫でた。
ーーーーーーーーーー
「フレイアちゃん、そっちは危ないよ!」
呼び止められて、フレアは次の一歩を踏みとどまった。
足元を確認して、獣捕獲の罠が仕掛けられているのに気付いた。
「ティアちゃんは目がいいのです」
フレアの言葉に、「えへへ」と笑顔を見せる。
あれから一年が過ぎようとしていた。
幸い肺に吸い込んだ胞子が芽を出すことはなく、モルゲンとオーナスの厳しい訓練にも耐えた。
「お姉さんがいないと危なっかしいなぁ」
屈託のない笑顔でフレアを見守る。
まるで姉妹のようなやりとりは、パルティアの人懐っこさのおかげだろう。
「ティアちゃん!後ろ!」
後方から迫る獲物をオリーが知らせる。
パルティアは軽い身のこなしで宙を舞い、獲物の突進を翻って躱すと、降り際に手に持った短剣でトドメを入れた。
「ありがとうオリビアちゃん!」
少し伸びた銀髪を揺らして、オリーに向き直る。
パルティアは無事に完治した。
冒険者として、完全に復帰を遂げた。
「もう何も心配いらないね」
モルゲンの声に振り返り、頭を掻きながら照れ笑いを見せる。
仕留められた獲物から素材を剥ぎ取るオーナスを横目に、パルティアは短剣についた獲物の血を丁寧に拭き取った。
その様子を興味深げに見つめるフレアに気付き、笑みを浮かべながらぽそりと呟いた。
「リューネちゃんに怒られるからね」
ふと、表情が翳ったように見えた。
けれども、パルティアは次の瞬間には顔を上げ、すんとした表情を見せて口を開いた。
「道具は大事にしなさい」
それがネーヴァリの真似だということを、この数ヶ月の間のやり取りで、誰もがわかるようになっていた。
皆の顔に笑顔が溢れる。
気を遣っているわけではなく、パルティアの為人が、自然とそうさせるのだった。
「さて、今日は戻ろうか」
モルゲンが声をかける。
日常に戻る瞬間だった。
・
冒険者協会への報告の後、一行は皆で蒼い海月亭に来ていた。
騒がしい店内に負けないくらい、中二階のいつもの席は賑やかだった。
オリーとフレアの仲間としてすっかり顔馴染みとなった一行に、ヨウが腕を振るって様々な料理を提供してくれた。
交易が閉ざされたアルメア産の海産物も、指を口元に当てて、「内緒ですよ」と言いながら持ってきてくれる。
故郷の食べ物を見て、パルティアが沈み込んでしまわないか心配にもなったが、パルティアは元気な声で、「アルメアシュリンプだ!」と言って、美味しそうに口に運んだ。
踏ん切りがついたのかはわからない。
「ぼくはもう、ユースガリアの冒険者だからね」
そういう彼女の表情には、一片の曇りもないように見えた。
そんな折り、階下で突然始まった力比べに、見た目を買われてオーナスが呼び出された。
モルゲンもパルティアも、オリーもフレアも、オーナスの応援に力が入る。
結果はオーナスの一人勝ちだったが、その一時に、いつの間にか胸の内に蟠っていたものが取り払われたような気がした。
なんて事のない日常が、これからも続くものだと、勝手に思い込んでいた。
食事を終え、ひとしきり会話も済んだところで、モルゲンが躊躇いがちに口を開いた。
「もう少し先の話なんだが、ダナグに戻ることにした」
突然の話に、オリーもフレアも驚きを隠せなかった。
つい今し方、この日常がこの先も続くものだと、そう考えていたばかりだったからだ。
とはいえ、モルゲンが元々ユースガリアに定住するつもりがないことは知っていた。
初めて出会った時に、「思うところがあってユースガリアまで来た」と、そう言っていたの思い出す。
「ぼくも、昨日聞いたばかり。
恩返しじゃないけど、モルゲンさんに付いていくよ」
パルティアがそう言って、「えへへ」と笑みを見せる。
一切の迷いがないことは、その表情でわかった。
「オリビア、フレイア、もし良ければ、一緒にダナグへ行かないか?」
話の流れから、誘われるだろうということは感じていた。
パルティアが復帰し、五人の息も馴染んでいている。冒険者の一行として、これ程心強い仲間はそうそう見つからないだろう。
時期が時期ならば、オリーは首を縦に振っていたかもしれない。
しかし、オリーには魔法学園がある。
共に行きたいという気持ちはあったが、オリーは首を横に振って断った。
フレアは冒険者だ。
国に縛られていようとも、冒険者は元来自由な存在だ。
オリーはフレアを見て、フレアの好きなように決めるよう声をかけた。
モルゲンとパルティアも、フレアを見つめてその答えを待った。
フレアはきょとんとした表情で頭を傾げてみせると、実にあっさりとした答えを口にした。
「ダナグには、いつかオリーと一緒に行くのです」
ニコッと笑ってオリーを見返す。
フレアは自由だ。
自由だからこそ、フレアの決断は揺るぎないものだった。
フレアの答えを聞いて、モルゲンが笑みを浮かべた。
「そうか……、そうだな」
階下から戻ってきたオーナスを出迎えたのは、その話がちょうど終わった頃だった。
・・・
二週間後、モルゲンはオーナスとパルティアと共にユースガリアを立った。
陸路でダナグへ向かう彼女達の旅路は、とても長い旅になるだろう。
「オリビアちゃん、フレイアちゃん、また会おうね!えへへ」
パルティアのはにかんだ笑顔が浮かぶ。
「んふ」
オーナスは、旅立つ日も何も変わらなかった。
モルゲンは最後まで笑顔だった。
全てを包み込むような笑顔を残して去る彼女を、オリーとフレアは、その姿が見えなくなるまでずっと見送った。




