2-35
「カラミネカブレの亜種みたいだね」
短い銀髪を揺らしながら、斥候にしては長身の彼女が後ろを振り返った。
自分よりも遥かに背の高い彼女は、何の悪気もなく、身を屈めて目線を合わせてくれる。
早朝に受けた依頼は、捕食植物の討伐というものだった。
普段であれば、成長する前に近隣の住民によって刈り取られてしまうもののはずだが、その対象は、運良くというべきか、悪くとういうべきか、長らく放置されていたらしい。
住民らによって焼却が試みられたものの、火力不足だったのか焼き切ることができず、その結果冒険者協会に依頼が回ってきたのだろう。
依頼主が冒険者協会というのは腑に落ちないところもあったが、手続き上の問題なのだろうと、深く考えることはしなかった。
「ぼく、あれ嫌いなんだよね。
ベトベトの根が絡まってくるし、触れるとお肌が荒れちゃうんだもん」
斥候が言う通り、カラミネカブレという名は、根が絡み、触れるとかぶれることからきている。
木材にしようにも、乾燥時には異臭を放ち、燃やすと煙が目に沁みる。
『不要な木』『邪魔な木』として、誰もが知っている厄介な植物だった。
「文句を言うな、パルティア」
ネーヴァリが斥候を叱責する。
「えへへ、ごめんなさい」
いつものことだ、パルティアは悪びれずに笑顔を見せて前を歩く。
その後ろ姿を、微笑ましい気持ちで眺める。
「調査の結果を見ると、大して危険はなさそうだな」
少し前を歩く魔術士が、手に持った杖を軽く撫でながら話しかけてくる。
彼の魔法ならば、カラミネカブレくらい簡単に焼き切ることができるだろう。杖を撫でる仕草は、彼の自身の現れなのだと思えた。
「焼くんだよね?
暴れられたら怖いし、耐火の詩でも入れとくね」
後ろをついてくる詩人が、腰に下げたライアーを手に持ち替えて、さっと詩を奏で始める。
途端に皆の身体を橙色の淡い光が包み込み、一瞬にして消えた。
翠緑の森に程近い、左右を丘陵に挟まれた場所の奥に、それは深く根を張っている。
近くの農場の雇われ人が、最初の犠牲者だという。
「こんな場所に、何の用だったのかね」
詩人がポツリと独り言をこぼした。
雇われ人が何のためにここまで来たのかは皆目見当もつかないが、犠牲になってしまったことには痛ましさを覚える。
「最初の犠牲者の遺族が、復讐に来て返り返り討ちに会ったんですよね?
それが、二人目の犠牲者?」
パルティアが依頼書に書かれていた内容を口にする。
人への被害が二件。
育ち切ったカラミネカブレなど見たこともないが、調査結果からすれば、魔術士が言うように危険はないだろう。
そうは思いながらも、ネーヴァリは不測の事態に備えるように皆に注意を促した。
「気は抜くなよ」
生息地に近付くにつれ、霧が出てきたのが気掛かりだった。
ネーヴァリは一度足を止めて辺りを見渡した。丘陵に挟まれた谷地のせいで、霧が停留しやすいのだ。
「だいぶ濃くなってきたな」
魔術士の言葉に静かに頷く。
霧のせいで日の光も届きにくくなってきていた。薄暗さを感じる谷の奥に、カラミネカブレがいるはずだった。
霧の中では、松明も魔法の明かりも役には立たない。
このまま進むもの躊躇われたその時、谷奥から葉が擦れるような音が聞こえた。
「リーダー、聞こえた?」
パルティアが谷の奥に視線を向けたまま声を上げる。
聞こえたのは、葉が擦れるような音だった。しかし、パルティアの声色は、葉擦れの音への反応ではなかった。
「何が聞こえた」
パルティアに短く問いかける。
耳を澄ますようにして、目を閉じているパルティアの横顔を見つめる。
「誰か、いる……?」
その答えに、ネーヴァリも他の仲間も谷奥へ視線を向ける。
じっとして、呼吸を止めて聴覚に集中する。
「たす……け……て……」
確かにそう聞こえた。
誰かが助けを呼ぶ掠れた声が、葉が擦れているように聞こえたのかもしれない。
目を凝らして、薄暗い霧の谷奥を睨む。
ネーヴァリには何も見えない。魔術士も詩人も、谷奥には何も見えていないようだった。
ただ一人、パルティアには、それがはっきりと見えたようだった。
「人影が見える!」
言うが早いか、「確認してくる!」と言って、パルティアはその長身を軽やかに翻して谷奥へと入っていく。
「待ちなさい!パルティア!」
ネーヴァリの制止は届かず、パルティアの姿はすでに薄暗い霧の中だった。
・
胸の奥を何かがチクリと刺すような痛みに襲われた。
パルティアが霧の奥へと向かってからしばらく経った。
一層濃くなった霧の中では奥へ進むこともできず、ただ彼女が無事に戻ることを待つことしかできなかった。
このままでは、この霧の中で足踏みするだけになってしまう。
気のせいか、思考に靄がかかったように考えが纏まりづらくなっている。
「この場で陣を取れ」
ネーヴァリは詩人にその場に留まるように指示を出した。
「警戒しつつ前進する」
隣を歩く魔術士と共に、慎重に霧の奥へと足を踏み入れる。
葉擦れのように聞こえた助けを求める声は、今でははっきりと聞こえてくる。
パルティアが入って行った先へ向かう。
自分達が受けた依頼が、本当に捕食植物の討伐なのかと疑問が頭を過ぎる。
しかしその考えも、まるでのぼせた時のように頭の中で空回りする。
焦点が定まらないような感覚が醒めたのは、前方からパルティアの悲鳴が聞こえたからだった。
「パルティア!」
自分でも驚くほどの大きな声でその名を叫んだ。
けれども、その声に返事はない。
霧は容赦なく視界を阻み、数歩先を確認することさえ困難だった。
逸る気落ちを何とか抑えつつ、慎重に、それでも、前進することを止めない。
一歩が前に進んでいるのかもわからなくなる中で、ようやく見えてきたのは、霧の中に佇む人の影だった。
何かに囚われ、手を伸ばして助けを求めるような人影。
パルティアではない。
……それは、人影ではなく、葉を包んで人の形を模したものだった。
「擬態?」
ネーヴァリが呟く。
霧の中にあっては、人と見誤っても仕方がないほどに人の形だった。
パルティアはこれを見たのだ。
近寄ってみて、初めてそれが植物であることがわかる。
そのそばで音が鳴る。
「……け……たす……て……」
葉が擦れる音。
何故これを人の声だと誤認したのか……。思い当たる節は一つしかなかった。
「霧に見えるガスだ、吸い込むな」
判断は正しかったが、すでに手遅れのようにも見えた。
咄嗟に口元を布切れで覆うが、完全に捕食植物にしてやられた後だった。
・
無意味だとはわかっていても、人の形を模した葉を断ち切らずにはいられなかった。
バサっという音と共に、それは簡単に崩れ落ちた。
きっとパルティアはこの先だ。
願いに似た確信を持って前に進んだところで、うつ伏せに倒れたパルティアを見つけることができた。
息はある。
しかし、意識はとうに切れているようだった。
そして、そのパルティアの奥に、捕食植物の本体が見えた。
上部が霞んでみないほどの巨木。
幹から滲み出る滑った樹液のせいか、所々自壊が進んでいるように見える。
息苦しさを感じるのは、この植物が発するガスのせいなのか、布切れ程度では何も防げないと思い知る。
その巨木から伸びる幾本もの蔓には、何体もの動物の死骸が絡みついて干からびている。
まるで、意思を持っているかのように揺らめく蔓の一本が、パルティアの足に絡みついていた。
そしてそれは、パルティアの身体を少しずつ引き寄せていた。
「このままじゃ食われちまう!」
魔術士の声で我に帰る。
状況は見ればわかるが、打開する策を見付けあぐねた。
「リーダー!」
魔術士の悲痛な叫び声が届く。
思考を巡らせている間にも、パルティアの身体は少しずつ引き寄せられていく。
絡みついた蔓を切ったところで、辺りで揺らめいている蔓が、すぐさまパルティアを捕捉してしまうだろう。
ほんの少しの時間稼ぎにしか過ぎず、助けに行く暇さえ与えられない。
最悪の場合、助けに入った瞬間に自らも捉えられてしまう。
かといって、巨大な植物自体を切り倒せるほどの火力は持ち合わせていない。
……弱点は火だ。
耐火の詩の効果は入っている。
ある程度ならパルティアも耐えられるはずだ。
思い立った瞬間、ネーヴァリは即座に決断して指示を飛ばした。
「火矢を放て!
パルティアに当てるな、本体を狙え!」
その指示が出るのがわかっていたかのように、魔術士は間髪入れずに魔法の火矢を打ち出した。
炎を纏った矢のように、けれども弧は描かずに一直線に、巨木目掛けて飛翔していく。
目標に近付くにつれ、火矢の炎は大きさを増していった。
確実に仕留めるための、魔術士が放った死中求生の一撃だ。
それが捕食植物の巨体に当たる直前、視覚が奪われ、聴覚もその機能を失った。
・
キーンとした耳鳴りが突き刺さる。
焦げ臭い匂いが鼻の奥で燻っているようだった。
何が起きた……?
声を出したはずだったが、自分の発した声も耳に入ってこない。
しばらくして、取り戻しつつある視界の端に、チリチリと燻る草木が映った。
残火が周辺を這っているようだった。
爆発した?
自分の体制も理解できないまま、それでもとにかく立ちあがろうと地面に手をつく。
吹き飛ばされたのだと気付くのには時間が必要だった。
魔術士がすぐそばに倒れていた。息はあるが、ぐったりとしている。
すぐに立ち上がって歩き出せるような状態ではないだろう。
「パルティア!」
ハッとして、咄嗟にパルティアの姿を探す。
方向を見失ってはいたが、振り返った先にパルティアの姿があった。
状態を確認するには遠すぎる。
目を凝らして見えてきたのは、パルティアを絡め取っていた蔓が、燃えながらもなお、彼女を引き寄せているところだった。
その本体は表面こそ焼け焦げてはいたが、倒れそうな気配は微塵も感じられなかった。
「……くっ」
声にならない声が喉の奥で漏れる。
魔術士の火矢でも焼き切ることができない。いや、火矢は捕食植物に到達していなかった。
一体何がどうしたというのか……。
それを考えている余裕は、ネーヴァリには無かった。
パルティアを助けに向かおうと足を踏み出した途端、酷い吐き気と目眩がネーヴァリを襲った。
思わず膝をついて倒れそうになるのを堪えるが、えづきながら咳き込んでしまう。
毒だ。
捕食植物は、爆発と同時に毒を撒き散らしたのだ。
恐ろしく用意周到な化け物だと、心の中で悪態を吐く。
その時、後方からネーヴァリを呼ぶ声が聞こえてきた。
ようやく聴力が戻ってきたのだと気付く。
「……ダー!……リーダー無事か!?」
詩人が呼ぶ声だった。
後方に待機していたおかげで、爆発の直撃を受けることはなかったようだ。
片手を上げて居場所を知らせる。
駆け寄ってきた詩人は頭部から血を流していた。彼もまた、完全に無事だったわけではないようだ。
「助かった、詩のおかげだ」
詩人がかけた耐火の詩がなければ、おそらく三人とも消し炭になっていたことだろう。
彼に命を救われたのだ。
「毒が蔓延している。担いで下がれ」
そう言って魔術士に視線を向ける。
すぐさま魔術士を担いだ詩人は、ネーヴァリも一緒に下がるように進言した。
しかし、ネーヴァリは前方のパルティアに視線を向けたまま、首を横に振って静かに立ち上がった。
手に持った槍を杖代わりにして、一歩を踏み出す。
「救援要請を」
パルティアから視線を外さぬまま、ネーヴァリは静かに指示を出した。




