2-23
ベアトリクスを抱いてオリーが馬車から出てくる。
高地の夜間は少し肌寒さを覚えるため、持参した少し厚手の服をベアトリクスに着せた。
余った袖を両腕で抱き締めるように持つ格好が、何とも愛おしく見える。
「結局起きなかったですねぇ」
ベアトリクスの顔を覗き込みながらフレアが独り言をこぼす。
そのフレアを横目に、ベアトリクスをアウギュリエスに託した。
そっと抱き上げるアウギュリエスにお辞儀をして、「よろしくお願いします」と言葉を付け足した。
自分の子でも無いのに可笑しなものだと、頭の片隅ではそう考えながら、どこか物悲しい想いが溢れてくるのは、母性というものなのだろうかと不思議な感覚を味わった。
「それでは、くれぐれも用心を」
そう言ってアウギュリエスが森の方へ歩いていく。
去り際にベアトリクスが手を振ったように見えたが、おそらく気のせいだろう。
そのまま二人が森に入っていく姿を、オリーとフレアは並んだまま見送った。
アウギュリエスが灯した魔法の明かりが、森の闇の中に沈んでいく様を見届けると、いよいよ二人だけの闇夜が始まった。
川のせせらぎに包まれる中で、熾火の爆ぜる音の合間に、時折鳥なのか他の動物なのか、正体のわからない鳴き声が響いた。
魔光灯の明かりのおかげで恐怖心は無かった。それは、隣にフレアが居るという安心感からくるものでもあった。
熾火に生木をくべて夜が過ぎるのを待つ。
アウギュリエスが立ってから一刻も過ぎてはいないだろうが、辺りが闇一色の世界では、時間が過ぎるのは恐ろしく遅いもののように感じた。
そんな退屈とも取れる時間の中で、フレアが手元の鞄から小枝のような小振りの杖を取り出した。
どこか見覚えのあるそれを、嬉々として魔光灯に照らしながら眺めている。
杖の先端が窪んでいて、本来はそこに、宝玉でもあしらわれていたのではないだろうかと思えた。
……宝玉。
見覚えがあったのは間違いない。あれは、ヴォアが持っていた杖だ。
「持ってきたの!?」
思わず声が大きくなったのを自覚して、オリーは咄嗟に両手で口を押さえた。
一瞬ビクリとしてオリーに振り向いたフレアだったが、オリーが口にしたそれが、手に持っている杖のことだと気付くと、なぜか自信満々の表情をして振り上げた。
「戦利品です!」
おそらく全く悪気はないのだろう。むしろそれが冒険者の特権なのかもしれない。
敵と戦って手にいれる品は、ことごとく戦利品なのだ。何も間違ってはいない。
しかし、得体の知れない怪物が所持していた一物は、持ち帰るにしては如何せん軽率だと思わなくもない。
「それ、大丈夫なの?」
ついつい本音が溢れる。あれは生き物の皮を被った『絶望』そのものだった。
それが所持していた杖なのだ、何かしらの呪い的なものが施されていても、『そうでしょうね』と言える自信がある。
「今のところ何ともないですよ?」
フレアの返答に、オリーは苦笑いを浮かべた。
その後もしばらく杖を振り回していたフレアだったが、眠くなってきたのか、少し横になるといって器用に倒木の上に仰向けで寝転がった。
馬車で眠ればいいものをと、そう思わなくもなかったが、あえてオリーのそばで横になったのはフレアの優しさなのだろう。
それから数分も経たずに寝息を立てるのは、なんともフレアらしいと思った。
夜が更けて一段と肌寒さを感じるようになり、着込んだ厚手の服でも耐えられそうに無いと判断したオリーは、熾火に乾燥した薪を焚べ、火吹き棒で息を吹きかけて、それを焚き火にした。
薪に移った火が徐々に大きくなるにつれ、それに合わせるように、辺りが火の暖かさに包まれていく。
立ち上がる火に照らされた顔が、その勢いで熱いとさえ感じる。
朝方はもっと冷え込むかもしれない、それまでには馬車に移動しようと考えた。
・
オリーは自分の頭が重力に引かれ、カクンと落ちる感覚でハッとして辺りを見回した。焚き火の暖かさに油断して意識が飛んでいたようだ。
慌てて焚き火の状態を確認する。
火が消えてしまっては、高地の寒さに凍えて風邪をひいてしまうか、運が悪ければ命を落としかねない。
「……あぶない、あぶない」
オリーの口からつい独り言がこぼれたが、焚き火には暖かな火が揺らめいていた。
安心して手元の木材を手に取ったところで、いつの間にか目を覚まし、代わりに火の番をしていたフレアがオリーに振り返った。
火のそばで丸まるように横になった格好を見るに、おそらく火の勢いが弱まり、寒さに耐えかねたのだろう。
「もう少し寝ててもいいですよ」
そう言ってフレアがニコリとしてから焚き火に視線を戻す。
一体どれほどの間寝ていたのかはわからなかったが、焚き火用の薪の残りから見れば、それほど時間は経っていないのだろうと思った。
「それじゃあ、もう少しだけ」
オリーがそう言って倒木に横になろうとした時だった。
不意に森の方面から、カサカサッと草木を分けるような、何かが走るような音が聞こえてきた。
オリーが咄嗟に身を起こして魔法書を手に取る。
フレアも同じように起き上がると、ヴォアの短い杖を構えて辺りを見渡した。
暗闇に目を凝らして音の主を探ろうとする。しかし、明かりに慣れた目ではそれを見つけることは叶わなかった。
風が通り過ぎた音か、動物の走る足音か、音だけで判断するには二人にはまだ経験が足りていなかった。
気が付けば、馬車に繋ぎ止めていた馬が体を横たえて深く眠っている。安全な場所とはいえないこの場所で、警戒心の強い馬が横になるなど本来あり得ないことだ。
耳や尾の動きはなく、呼吸は規則的だがとても深い。睡眠というよりも、昏睡に近い状態に見えなくもなかった。
視界が頼りにならないと悟り、耳に神経を集中する。
川のせせらぎは相変わらず辺りを包んでいたが、鳥や動物の鳴き声は止んでいた。それは詰まるところ、二人を取り巻く環境も同じように、何者かを警戒しているという証拠に他ならなかった。
身じろぎすら憚られる空気の中、まるで時間が止まったような世界が二人の目の前に横たわる。
焚き火がある以上こちらの姿は筒抜けだ。かといって焚き火を消すことは容易ではない。
獣であれば対処はできるが、馬の様子から見て相手は獣ではない。
……そう直感する。
オリーが耳飾りに手をかけて、囁くように呟いた。
「フレア、合図を出すから真上に閃光魔法を」
頭の中に直接聞こえてきたオリーの声に、一瞬ピクリとしてフレアが振り返る。
言葉は伝わったようで、オリーと視線を交わしたフレアは静かに一つ頷くと、音のした方に向き直って魔法の用意を始めた。
「今!」
掛け声と共にオリーが防御魔法を展開する。白く輝く光が二人を包むように広がった。
アウギュリエスのそれには到底及ばないが、それでもオリーの防御魔法は、その辺の魔術士とは比べものにならない頑丈さを誇っている。
相手がヴォアでもない限り、容易く突破されることはないだろう。
そして、オリーの掛け声に合わせてフレアも頭上に閃光魔法を放った。
まるで昼間に逆戻りしたような強烈な光が辺りを照らし出す。
それは、オリーも、魔法を放ったフレア本人でさえも、まったく想定していないほどの強烈な光だった。
辺りを焼き切るような光に、身を隠していた動物達が一斉に逃げ出すのがわかった。
気のせいだとわかっていても、頭頂部が光の熱で焼かれるような感覚に襲われる。
「えっ!?」
オリーから思わず声が漏れる。
「あれ?」
フレアの間の抜けた声に思わず笑ってしまいそうになったが、今は気を抜いた瞬間に取り返しのつかないことになるかもしれない。
一瞬で気を引き締めなおした。
「大丈夫?」
まるでフレアらしからぬ事態に、オリーの顔に困惑の色が差す。
それは当の本人であるフレアも同様で、首を傾げながら、準備運動でもするかのように身体を動かして調子を伺っている。
少ししてオリーに振り返ったフレアが、困ったことを口にした。
「ん〜、フラフラです」
体調を崩してでもいるかのように、見るからにフラフラだった。
けれども、熱が上がったようには見えず、どちらかといえば魔法の使い過ぎによる魔力切れのように見えた。
あんな規格外の閃光を放ったのだから、一気に魔力を放出したと言われても頷ける。
とはいえ、フレアをそのままにしておくことはできない。おそらく今のフレアは、何者に対しても太刀打ちできる状態ではない。
オリーは咄嗟に判断して、フレアを自分の背後に下がらせた。
「フレア、後ろに下がって」
言われた通り、しかしノソノソとした足取りでオリーの後ろに歩み寄る。
少しでも魔力を回復してもらわなければ、いざという状況にオリー一人では対応できるか不安が残る。
なんとかオリーの背後に移動したフレアは、まるで糸の切れた人形のように倒木に腰掛けると、そのまま一瞬で寝息を立て始めた。
……これは不味い。
オリーに焦りが襲いかかる。
音の正体がヴォアだとすれば、一人ではおそらく数分も持たないだろう。
たとえフレアが万全の状態であったとしても、廃坑の中のように地形を利用することができない以上は、アウギュリエスが戻る朝方まで持ち堪えられるかどうか怪しいところだ。
しかしそれがヴォアであったならば、先ほどのフレアのおかしな閃光魔法によって、灰のように散っていてもおかしくはない。
野営中に馬が横になって寝たのは、おそらく、いや間違いなく、魔法による睡眠だろう。
そう考えるならば、音の正体は魔法を操る者であり、それは人以外には考えられなかった。
パチンッ
薪の爆ぜる音にビクリとする。
きっと音の主は、今もこちらの様子を伺っているに違いない。
何を目的にしているのか……。
ふと、エルメリアの顔が浮かぶ。
「蘇生術」
言葉にする気はなかったが、無意識に声が出てしまっていた。
キエロスの一味か、はたまた、あの事件を聞きつけて追ってきた何者か。
どちらにしても、オリーとフレアを標的に選んだのだとすれば、よほど事情を知り尽くした者に違いないだろう。
そう考えながらも、一向に姿を現さない相手に、オリーは焦れったさを感じていた。




