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私と彼女の物語 -Travelers of the Far Green Road-  作者: ORSBN.shu
第二部・青陽
44/66

2-19

「ベアちゃん全然起きないですね」


オリーに抱かれ目を閉じているベアトリクスを、あやすようにしながら、フレアは少女の顔を覗き込んだ。

少しだけ波打った短い金色の髪の毛は、街灯の明かりを反射して仄かに橙色に染まっているようにも見えた。

整った顔立ちだということが寝顔からでもわかる。天使という存在が実在するならば、きっとこの子のような顔なのだろうと想像した。


「おじいさんが村の子じゃ無いって言ってたけど、この街の子の可能性はあるのかな」


オリーもフレアのように、ベアトリクスの顔を覗き込むようにしながら話す。

仮にレイフォルスの子供だとして、一人で村に行くことなど不可能に近いだろう。だとするならば、何者かによる誘拐か、はたまたヴォアによる誘拐か……。

結果次第では思いも寄らない方向に話が進展してしまうだろう。

一瞬アウリスフレランスでの事件が頭を過る。

あれこれと考えるたびに心配ごとは増えていったが、いずれにせよ司祭に話を聞くまで答えは出ない。

この街には地方司祭がおり、相談役として領主から一定の統治も任されていると聞く。この子にとって良い方向に事が進むことを、願わずにはいられなかった。


足早に船着場を抜け、街の中央広場にある泉を横切った。

大通りの対面に建つ大きな大聖堂の前に辿り着いたところで、夜間であるにも関わらず、わずかだが周辺にできている人だかりが見えた。

おそらくルーミレル湖の魚を食して体調を崩した人達だろう。

状況を見た限りでは、司祭に面通ししてもらうのは至難の業かもしれない。


二人はその人だかりを横目に、大聖堂の正面に立った。

門には女神レイアの紋章と、母神アディリアの紋章が左右それぞれに飾られている。

ユースガリア王国は女神レイアを信仰する国であり、その領地であるレイフォルス領は、女神レイアを信仰する街である。

母神アディリアの紋章が掲げられているのは、他国の冒険者や旅人、商人が、自身が信仰する女神を他国で礼拝するための、言わば目印と言えるものであった。


そのレイアの紋章を見ながら、フレアが首を傾げる。

独り言のように呟いた言葉に、オリーの意識も紋章に引き付けられた。


「やっぱりアウリスフレランスは特別ですね。

 ユースガリア領なのにアウル信仰ですから」


アウリスフレランスの街が女神アウルを信仰するのは、街の成り立ちに依るところではあったが、確かに特別な街に変わりはなかった。

アウルの聖痕の跡に出来た街。けれども、女神アウルの王都とされるのは翠緑の森、シルエリン・アルールだ。


「今はベアトリクスが先よ」


立ち止まったフレアをせっつくようにして、大聖堂の門をくぐった。

大きな扉を開けて大聖堂に入る。歴史を感じさせる石造りの壁は、蝋燭の温かな光に照らされ、高い天井と大きな窓によって、圧迫感を感じることがなかった。

長い身廊の奥、祭壇の後方には、壁一面と言えるほどの大きなステンドグラスによって描かれたレイアと、他の神々が空間を見下ろすように嵌め込まれている。

南に面していることを考えると、朝や日中は差し込んだ陽の光によって、神々しいほどに美しいだろうと想像できた。

その手前に立つ六本の高い柱。

それぞれが、信仰の対象である六柱の女神を模している、女神の象徴であった。


ちょうど、聖具室から出てくる修道女に出くわした。

小さな木箱に入った薬品を両手で持ち、慌ただしく何処かへ向かおうとしているところを、申し訳なく思いながらも声を掛けた。


「夜分にすみません。司祭様はいらっしゃいますか」


オリーが軽く膝を曲げて礼をする。

フレアも慌ててオリーの真似をして礼をした。

修道女はその声に軽く会釈をして返すと、手に持った木箱を軽く持ち上げて、司祭の居場所を教えてくれた。


「司祭様は治癒院におられます。

 お休み中とは思いますが、今から向かうところですのでご一緒になりますか?」


その言葉に丁寧に頭を下げて返事をすると、修道女は「こちらです」と言いながら、袖廊の奥へと歩き出した。

そそくさと修道女の後を追い、扉を抜けて一度大聖堂を出てから併設されている治癒院の中に入った。


ふわっとした薬品の匂いが鼻についた。おそらく治療薬のものだ。

治癒院の中は、大聖堂の中と同じように蝋燭によって明るさを保っていた。

大聖堂と大きく異なっていたのは、夜間であるにも関わらず、多くの人が忙しく動き回っていたことだろう。

予想していた通り、治癒院には体調を崩した人で溢れていた。

それでも切迫した様子に見えなかったのは、この体調不良が深刻な状態になるほどのものではないからだろう。

数は多いが、命に関わる程ではないらしかった。


前を行く修道女が振り返って声を掛けてくる。


「奥の部屋で休んでいらっしゃいます」


修道女の視線を追って治癒院の奥を見ると、診察部屋の入り口と思われる、木でできた簡素な扉が見えた。扉の取手には『休憩中』と殴り書きされた板切れがぶら下がっている。有り合わせで適当に作成したものだとすぐに分かる。

普段は今のように、人で溢れるような事はないのだろう。

ここまでの状態になってしまうほど、街の人達はルーミレル湖とともに生き、生活しているのだ。


二人は人の隙間を障害物を避けるように縫うようにして進み、なんとか扉の前まで辿り着くことができた。

ふぅと一息吐いてから、扉をノックしようと右手を上げたところで、側にいた神父にそれを阻止された。


「お嬢さん方、司祭様はお疲れでございます。日を改めておいで下さい」


少しぶっきらぼうにも聞こえる声は、神父もまた、日々の激務で疲れてのことだろうと納得した。

納得はいったが、こちらとしても気掛かりを明日に伸ばせるほど猶予は無かった。

フレアが神父の目をじっと見つめながら、何かを念じるようにぶつぶつと言っているのが聞こえてきたが、おそらく彼はそんなことで、態度を変えるような事はないだろう。

そんなフレアの腕を掴んで耳打ちする。


「少しズルをするけど何も言わずに見てて。ベアトリクスをお願い」


言われた意味を理解できたようではなかったが、オリーからベアトリクスを引き受けると、フレアは大人しく引き下がった。

そのやり取りを、苦笑いを浮かべながら眺める神父を横目に、オリーは胸元から取り出した手のひらに収まるほど小さな小箱を開いて、中の装飾品を指に嵌め込んだ。

バツの悪そうな顔をしながらも、その指輪を見せて神父に声をかける。


「ユースガリア王国侯爵家、アウリスフレランスのオリビア・オースバンと申します。

 至急、司祭へのお取り次ぎをお願いいたします」


神父はきょとんとした顔で指輪とオリーの顔を見返した。

掛けられた言葉の意味を理解するには、少々疲弊し過ぎていたのかもしれない。少しの間を置いてようやく理解できたのか、神父は二人に丁寧なお辞儀をして返事をした。


「侯爵家のお嬢様でいらっしゃいましたか。

 失礼いたしました。ただいま司祭様にお取り次ぎいたします」


フレアがニヤリとしながらオリーの顔を見る。

印章付きの指輪の効力にたじろぎつつも、オリーは小さくため息を吐いた。

父に無理やり持たせられた物ではあったが、できる事ならば、身分を利用する事はしたくなかったのだ。


神父はそそくさと部屋に入り込むと、少ししてすぐに扉を開けて二人を通し入れた。

白髪混じりだが手入れされた髪と、顔に刻まれた深い皺。白基調の裾の長い司祭服に袖を通した男は、丁寧にお辞儀をして二人を出迎えた。

こちらも軽く膝を曲げて礼をする。

顔に浮かぶ笑顔が、皺のせいか表情なのか判断できなかったが、休んでいるところを無理を言って対応してもらったことに感謝を述べる。


「休んでいらっしゃるところを、お邪魔して申し訳ございません。

 急ぎ確認していただきたいことがございます。早速の対応、心より感謝いたします」


改めて礼をする。

司祭は「構いません」と言いながら、二人を部屋に置かれた質素なソファーに座るように促した。

促されるままに腰をかけると、司祭は神父に一言二言声を掛けて人払いした。


「オースバン家の御令嬢が急ぎと言うからには、軽々しい話では無いのでしょう」


そう言いながら、二人に用向きを語るようにと手を差し伸べた。

地方司祭とはいえ流石に司祭職だけあって、踏んできた場数がものを言うようだ。


「お気遣い感謝致します」


手短に感謝の言葉を伝えると、オリーは早速本題の説明に入った。


ルーミレル湖の北の村で起きている事実。

村人の失踪と、発生している異臭の原因。異臭の大元による湖で取れる魚の異変。その異変が元と思われる、レイフォルスで頻発している体調不良。

廃鉱で遭遇した怪物との戦闘と、今フレアが抱いている、廃鉱奥で発見された少女。


司祭は何度も頷きながら、それらの話に耳を傾けた。


「北の村で何かが起きているという噂は耳にしていましたが、そのような事態になっておったのですね」


顎に手を当てながら首を傾げる。

おおよその見当は付いていたのだろうが、ここまで詳しく状況を知らされ、事の深刻さに頭を抱える思いなのだろう。


「それで、この少女についてなのですが、司祭様にお心当たりはございませんか?」


オリーの問いに司祭がベアトリクスの顔を覗き込む。

街で生まれた子であれば、生まれて間もない頃に女神の祝福を授ける儀式を行うという。それは北の村の子も例外ではないらしく、全員を覚えているかと問われれば、自信は無いという返事ではあったが、二人には希望が湧く話だった。

しかし、ベアトリクスの年齢から推測した、ここ数年の間でいえば、この子の儀式を行った記憶は無いらしい。


「残念ですが、思い当たりません」


申し訳なさそうな表情で二人に向き合う。

嘘をついていない事は目を見ればわかった。そもそも、嘘をつく必要など全くない話でもある。

出生が謎のままに終わってしまうことに、多少なりとも無念さが残る結果とはなったが、そうであるなら尚更、ベアトリクスが目覚めない理由を確認しなくてはならなかった。


「この子、ベアトリクスは、発見された時から目を覚ましておりませんが、何かしらの呪術をかけられているという事はありませんか?」


目覚めない理由が呪術の類いであるならば、司祭の手で何とか出来るかもしれない。

しかし、バカランディアのように、強力な昏睡薬で眠らされているのであれば、自分達には打つ手が無くなってしまう。その場合、彼と同じように北方へ赴く必要が生じる。

二人は固唾を飲んで司祭の言葉を待った。


司祭がベアトリクスの頭に手をかざす。

掌から発せられる陽光にも似た白い光が、ベアトリクスの体を包み込むように広がると、やがて、パッと弾けるようにして霧散した。


「……ふむ」


司祭が目を閉じながら一つ頷く。

納得しつつも、どこか腑に落ちない所があるような、曖昧な表情を浮かべている。


「ご心配されているような、呪術的なものは施されておりません。

 身体的にもいたって健康であると断言できるでしょう。単純に眠っているだけです」


その言葉にオリーとフレアから大きなため息が漏れた。

眠っているだけであれば、いずれ目を覚ましてくれる。目が覚めれば、知りたい事はこの子の口から聞き出せるだろう。

一先ずは、安心といったところであった。


「心配には及びませんが……」


そんな二人の様子を見ながら、少し言い淀むような言葉尻で司祭が言葉を続けた。


「この少女は、他の人よりも女神様の加護が強いように感じられます」


司祭の言葉の意味は良く分からなかった。


「どういう意味です?」


ついついフレアが口を滑らす。

女神の加護が強いという言葉自体は理解できるが、それがいったい何を意味するのかが理解できなかった。


「我々神に仕える者は、生まれながらにしてその加護が強い傾向があります。

 神職は言わば天職といって過言ではないかもしれませんが、この少女の場合、それらを遥かに超えるような、女神様の力を感じるのです」


女神の力。

ベアトリクスの髪色からすれば、それは間違いなく女神レイアの力である。

神に使える者さえも遥かに超える女神の力というものが、ベアトリクスに何をもたらすというのか、全く見当も付かなかった。

オリーもフレアも司祭の言葉にただ頷いて、優しい寝顔のベアトリクスを眺めることしかできなかった。


「女神様の加護が、この少女にどういった影響を及ぼすかは知り得ません。

 ただ、神職たり得る我々以上に、神に近しい存在であるという事は言えるでしょう」


司祭の声には、どこか羨望めいた響きを感じた。

生まれながらにして強い神の力を持つ少女が、これからどうなるのか。想像し難い未来に、言葉にはならない不安が胸を締め付けるようであった。


「それで、この少女をどうされるお考えですか?」


まるで霧の中を彷徨うような思考の中に、司祭の声が響いた。

ハッとしてフレアの顔を見る。

自分達はこれから王都に向かい、学業と冒険者という生活を送る。その中に、年端もいかない少女の姿を想像した事はなかった。

一緒に連れて行くという可能性があることに、今更ながらに気付かされた。


視線を受けたフレアは黙って首を横に振って返事をする。

現実的に考えれば、それは当然の答えだった。成人したばかりの二人は、自分達でさえまだ少女と言われてもおかしくはないのだった。


「先生に聞いてみるのです」


力ないフレアの声と同じように、オリーも項垂れる思いだった。


「先に、お話ししておきますが……」


司祭が二人の様子を窺いつつ、静かに話を続けた。


「この街にある孤児院は、今の所この少女を受け入れる余裕がありません。

 昼夜を問わず、治癒院へ人が来ている状況で、それ以外へ手を回す余裕がないのです」


大聖堂前の人だかりを見てきた二人にしてみれば、司祭の言葉には疑念が入り込む余地は無かった。

司祭の言葉に「承知しました」とだけ答え、ベアトリクスのこれからについては、アウギュリエスに託す他ないと考えた。


おおよその話を終えて、二人は司祭に深々と礼を告げた。

ベアトリクスの眠りが、ただの眠りであったことだけが唯一の救いとはなったが、心の中のわだかまりは、別の形で残ったままのようにも感じた。


診察部屋を出る直前に、オリーは司祭に一言声を掛けた。

オースバン家の令嬢が来たということは内密にして欲しいこと。それと、この後に北の村のグロムが訪れること。

司祭は「重々承知しました」と言い、二人を見送った。


治癒院は未だ人の渦の真っ只中にあった。

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