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私と彼女の物語 -Travelers of the Far Green Road-  作者: ORSBN.shu
第二部・青陽
42/65

2-17

左腕に感じる柔らかな暖かさで、ニックは途絶えていた意識を取り戻した。

薄らと開いた視界に、純白の光が瞬くように消えていくのが見えた。その光のお陰か、チラリと見た腕の傷は塞がっているようだった。しかし、波打つようなおぼろげな意識からすると、全て元通りになったというわけではなさそうだった。


「応急で回復しただけ、動かないで」


すぐ側からオリーの声が聞こえた。

ありがたいことに、回復魔法で一命を取り留めたらしい。命の恩人として、一生感謝してもしきれない。

いつの間にか壁に背を預けるように座り込んでいた姿勢から、立ち上がろうと足に力を込めてみるものの、全くと言っていいほど力が入らなかった。

血が足りていないのだ。回復にどれだけ時間がかかるかわからないが、無闇に動いてせっかく繋いでくれた命を消費してしまうこともあるまい。

そう考えて、ニックは素直にオリーの指示に従うことにした。


戦況はどうなったかと、広場の中央に視線を投げる。

意識を失う直前に、残った長身の怪物は魔法で縛り付けられたはずだ。あわよくば、そのまま倒されていたりはしないだろうかと、淡い期待を抱く。

しかしそこには、あいも変わらず絡まった蔓にもがく怪物の姿があった。


フレアに焦りの色が見えた。


「オリー!おかしいです!」


悲痛な声が広場に響いた。

怪物に目を向けたオリーは即座にその意味を理解した。

もがく程に絡みついた蔓は、怪物の全身を完全に絡め取っていた。大抵の相手ならば、身動き出来ずに倒れ伏すはずである。

村で同じ魔法を掛けられたグロムとは明らかに違う。目の前の怪物は蔓をものともせずに、立ちながらなおもがき続けていた。


「破られるかも!」


フレアが叫ぶ。

初級の魔法とはいえ、フレアの魔力や熟練度からいってそう簡単に破られるものではない。荒れ狂う野獣であったとしても、ものの数秒あれば全身を絡め取られて大人しくなる。それくらいの威力があるはずだ。

それをものともしない強靭さ、頑強さ、それに先ほどのニックの負傷。眼前に立つ怪物に、痩身な見た目からは図れない、異様な力強さを感じて背筋に悪寒が走る。


「少しだけ耐えて!」


そう伝えて即座に思考を巡らす。一秒でも早く判断を下す必要があった。

魔法は通用する。ならば怪物の弱点は何だ。

全ての属性をぶつけて探っている時間は無い。一か八かで効果のありそうな魔法を打つしかない。

物理的に怪物を弾くなどオリーには不可能だが、できればニックの盾の体当たりのように、壁面にぶつけて強烈な衝撃を与えることができるような魔法……。


オリーが魔法書を開く。

まるで意思を持っているかのようにページがパラパラとめくれると、魔法書は緑色の光を湛えて煌々と輝いた。

そして、顕現した突風が怪物めがけて勢いよく放たれた。

単純にして合理的な方法だ。消費する魔力も大した事はない。


ゴォォッという轟音と共に、オリーが放った魔法は蔓が絡みついた怪物に直撃した。

突風に弾き飛ばされた怪物は、もがく姿勢のまま広場の奥の壁に勢い良く激突した。

パラパラと壁面から小石が落ちる。

それと同じようにして、怪物も地面に崩れ落ちた。

締め上げられた姿勢のままでは受け身を取ることもままならず、ぐったりと地面に投げ出された四肢を見て、そのまま他の怪物と同様に灰のように消えてくれることを願った。


しかし、怪物は予想以上に頑丈だった。

壁に強かに打ち付けられた怪物は、地面に横たわったまま微動だにしなかったが、灰が散るように消える様子はなかった。

微かに上下する肢体に、息があるのがわかる。


「硬すぎです!」


オリーに走り寄りながらフレアが叫ぶ。

正直、突風の魔法で勝負が決すると思っていた。少々侮り過ぎたと自省しそうになるが、今は早々に決着をつけるのが先決だ。


「このまま一気に終わらせよう!」


オリーの声にフレアが杖を前方に突き出して魔法の用意をする。

すかさずオリーも魔法書を開く。

魔法書のページがめくれるその隣で、フレアの杖先に橙色の光が仄かに灯り、幾つもの拳大の石が周りに浮遊する。

キエロス一味の女騎士を木の葉のように舞わせた、無数の石が乱舞する魔法。

それが今まさに放たれようとしたその瞬間、怪物は絡まった蔓を力尽くで引きちぎり、その勢いのまま立ち上がると、今まで以上に大きな咆哮を上げた。


「ヴォアアアアアアアアア!!」


空気がビリビリと振動する音がした。

オリーもフレアもその声にあてられたからか、体の自由を奪われたように身動きが出来なくなった。

一種の麻痺のようなものだろうか、空気の振動と同じように手足が痺れる感覚に襲われる。

絶体絶命の危機であると本能が警告する。しかし、どうすることも出来ない。


怪物は目の前の少女達をジロリと睨むと、手に持った小振りの杖を高々と振り上げた。

口元から聞いた事もない、言葉とも取れない音を紡ぎ出す。

その音の響きに合わせるように、杖の先端に嵌められた碧い宝石が光り輝きだした。


……魔法だと直感する。

得体の知れない怪物が魔法を使用しようとしているのだ。

見た事も聞いた事もない魔法。

まるで広場の水分を集めるかのように、碧い宝石に渦を巻いて形を成した水が吸い込まれていく。

やがて十分に水を蓄えたのか、碧い宝石は煌々と光りを放ち、発動の合図を待つかのように揺らめいた。


まるで猛獣を前にした子ウサギのように、身体が硬直して動かない。

呼吸さえたどたどしいというのに、意識がはっきりしている分、状況を俯瞰して見ているような気分だった。

フレアがかろうじて動く左手に気付き、指先の感覚を取り戻した次の瞬間。

その後は全て一瞬の出来事だった。


怪物が次にとる行動は、あの杖に宿った水をこちらに向かって放出することだろう。

おそらくそれは魔法で、水魔法に対抗できるのは地魔法だ。

土の壁を想像する。

魔力は十分にある。

後は合図を出せば良い。

フレアは僅かに動く左手の指を弾いて、パチンと乾いた音を鳴らした。


ゴゴゴゴッという音を立て、地面から土の壁が迫り上がる。

怪物との間に分厚い土の壁が姿を現したのとほぼ同時に、怪物の杖が振り下ろされた。

杖先から、想像を超える水の暴力が襲いかかってくる。それは堰を切った濁流のように、オリーとフレア、ニックに向かって一直線に放たれた。


……間に合った。

壁は天井辺りまで迫り上がり、濁流を堰き止めることに成功した。それは断崖にぶつかる波のように水煙を巻き上げ、姿を消したように見えた。

壁が一瞬でも遅れていれば、三人は濁流に飲まれ、流れに翻弄されるがままに命を失っていたことだろう。


そう思ったのも束の間のことだった。

怪物の放った濁流は、みるみるうちに壁に浸透し、ドロドロと壁を破壊し始めていた。


「こんなのインチキです!」


咆哮の痺れが切れたフレアが憤慨するように声を荒げる。

それもそのはず、魔法には四つの属性に明らかな相関関係がある。

水は火に強く、火は風に強い。そして、風は地に強く、地は水に強い。

下位属性でも上位属性を上回る威力があれば、その関係を覆す事は可能ではあったが、それを成すには膨大な魔力が必要になる。

フレアの魔法は、そう易々と覆されるようなものではない。その自負があるからこその憤慨なのだった。


憤慨するフレアの横で、同じように痺れから回復したオリーが、即座に壁を補強するように魔法を重ねかける。

水に浸食され、崩壊し始めた壁は、寸でのところで踏みとどまった。かろうじて崩壊は免れたものの、脆くなった壁がいつまで持つかわからない。


「フレア、奴は水を打つ前に何か呟いてた。

 あれって詠唱とかそういうものかも知れない」


確かに聞いた事もない言葉のようなものが漏れていた。

魔法に詠唱といったものは存在しないが、得体の知れない、魔法かどうかもわからない術であれば、その術を行使するのに詠唱といった類のものが必要なのかも知れない。

だとするならば、詠唱させなければ術は使えない可能性がある。

単純な話ではあったが、根本を断てば良いという至極当然なことだった。


「この広場全体に静寂魔法を張る」


言うが早いかオリーは魔法書を開いて静寂魔法の準備に取り掛かる。


「他に、何か奴に効果的な魔法は……」


オリーが呟くように独り言つ。

そうこうしている間にも怪物は次の行動に移ったようで、壁向こうから壁を掘り返すような不気味な音が響いてきていた。

時間の猶予はまるで無い。


フレアはオリーの言葉に思考を巡らせた。

身体を拘束してもあの怪力では簡単に破られてしまう。

地魔法で石を当てようにも相手が見えないのでは効果を想像し難い。あの怪物を怯ませて隙を作ることができれば……。


「閃光魔法です!」


その声と同時に、オリーの静寂魔法が広場に展開した。

オリーとフレアは視線を交わし、互いに頷いてから音の消えた壁を見据えた。

壁を掘り返すような不気味な音は聞こえない。しかし、壁は確実に削られていて、表面から土塊がボロボロと落ちるのが見えた。


壁が崩壊した直後に、目が眩むどころでは済まない閃光を放つ。

光虫の光で他の怪物が散ったように、あわよくばこの怪物も消えてくれれば、事態は好転するどころか終息する。

息を呑んでその瞬間に意識を集中する。


壁に穴が開く。

初めは指先ほどの小さな穴だった。

穴は一瞬で広がり、魔法で構築された壁は、その頑強さがまるで幻であったかのように、脆くも大きな口を開けた。


そして、怪物が顔を覗かせる。

姿を現した怪物は、二人の姿を確認するとすぐに大きく息を吸い込み、空気を震わせるほどの咆哮を上げた。……上げたはずだった。

広場に音は無い。

オリーの静寂魔法によって、広場の音は完全に消失していた。

空気が震える気配はしない。それは、再び麻痺に陥ることがないことを意味していた。


オリーとフレアが完全に同調した動きを見せる。

怪物が戸惑う姿を確認し、二人は息を合わせたかのように、閃光魔法の強烈な光を広場いっぱいに弾けさせた。


眩い光の中で色彩を失った世界が明滅する。

残光を残しながらチカチカと光の粒が瞬く。

視界に映るのは、杖を手放し両目を抑えてもがく怪物の姿。残念ながら灰のように屠ることはできなかった。しかし、形勢逆転したことは明らかだ。

フレアが杖を構えて次なる魔法を用意する。

……杖先に宿る橙色の光。次こそは、目の前の怪物を木の葉のように舞わせてみせる。

すかさずオリーが足止め魔法を放つ。魔法の蔓が怪物の足元に這い寄っていく。

音の無い静寂に包まれた広場で、まるで熟練の魔術士同士のような連携が繰り出される。


蔓が怪物に到達するまで後ほんの少し。

フレアの周りには拳大の石がいくつも浮遊している。

そして、蔓が怪物を捉える瞬間、フレアが杖を振り下ろし石を射出した。

縦横無尽に飛んでいく石が怪物に触れる直前、カッと目を見開いた怪物は、凄まじい速度で二人の横を駆け抜けた。


一瞬の出来事に呆然とする二人を他所に、怪物は仲間が掘り返した広場の穴の向こうへと姿を消した。

逃げられたと気付くのに、しばし時間を要した。


呆気に取られた二人が顔を見合わせた時には、全てが終わっていた。

ガランとした広場、静寂魔法のせいか余計に静謐な空間に少し戸惑う。


「終わった……?」


魔法の効果を切るのと同時に、オリーがフレアに問いかけるように呟いた。

小首を傾げて答えるフレアに、自分と同じように状況が理解できていないことを知る。


「一先ず外に出よう」


その言葉にすぐさまニックに駆け寄る。

再び意識を失っていたようだが、呼吸は安定している。傷口は塞がっていて出血も見られないが、失った分を補充できた訳ではなく顔色は良くも悪くもない。

いつまでもこのままにしている訳にはいかない。可能な限り早急に、回復魔法の本職であるマーニに回復してもらう必要があるだろう。

二人はニックを担ぐような姿勢で立たせると、急いで廃鉱の外に向かって歩き出した。


廃鉱の入り口でアウギュリエスとグロムが合流したのは、日が傾き出した夕刻になってからであった。

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