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私と彼女の物語 -Travelers of the Far Green Road-  作者: ORSBN.shu
第二部・青陽
40/59

2-15

水屋の奥に洞窟がある場所など、これまでに立ち寄ってきた村や町でも、幾度となく見かけてきた別段珍しくもない光景だった。

ヤーシーがわざわざそれを口に出したことに、マーニはどこか腑に落ちない、モヤモヤとした違和感を覚えた。


「そんなもの良くあることじゃない」


つい口が滑って出た言葉は自分を落ち着かせるためのものであって、ヤーシーの言葉から生じた違和感を払拭するためのものだったのかもしれない。

おそらく無意識に、ヤーシーに答える振りをして、張り詰めていた緊張を無理やり口から吐き出したのだ。


異臭は先程の風で山の奥へと流れた。どこか鼻につく臭いは残っていたが、今なら水屋に近付いても問題はないだろう。

マーニは違和感の正体を確かめるべく、恐る恐るではあったが、ヤーシーが覗き込む水屋へと近付いた。


鼓動が全身を揺らす。

極力臭いを吸い込むのは止しておこうと、浅い呼吸を続けた。ヤーシーも危機感を持っているのだろう、掌で口元を押さえている。

数歩先の水屋に辿り着くのに、数分かかったような気になる。

深呼吸をして息を整えたいが、場所が場所だけに頭が拒絶しているのがわかった。


「何も珍しい事じゃないでしょ」


そう言いながらヤーシーの背後から水屋の中を覗き込んだ。破られた戸口から差し込んだ日差しが、水屋の内部を煌々と照らしている。

照らし出されているのは、どこにでもある水屋だ。そのはずだ。


……なるほど。

ヤーシーが口に出した意味を理解した。


「確かに……洞窟、ね」


水屋の中は岩や瓦礫が散乱していた。それは洞窟の内部から破られたことを物語っていた。

村人が掘ったものではない。自然に出来たものとも考え難い。とはいえ洞窟は洞窟で、それ以外の何物でもなかった。

ヤーシーの言葉に感じた違和感は、彼が言いそびれた言葉の続きに他ならない。

洞窟の中に見えたのは、村で飼われていたであろう家畜の死体だった。

それはまるで、狼にでも食い荒らされたかのように無惨な姿で横たわり、赤黒く変色した血が水屋の中まで流れ出してきていた。

腐臭の原因は、この血と家畜の腐った肉のものだろう。


「水、飲めたものじゃないわね」


凄惨な状況を少しでも和らげようと冗談を言ったつもりだったが、ヤーシーにはその意図が伝わっていないようだった。


目に見える死体が家畜のものだけなのは救いだった。もし村人の姿が見えていようものならば、間違いなく胃の中の物を戻していたことだろう。

ふとそんな事を考えていると、ヤーシーが躊躇いがちに口を開いた。


「この中を、確認するべきなんだろうな……」


いつになく弱気な言い回しに、マーニは思わず胃が縮まるような感覚を覚えた。

普段なら無言で、制止を無視してでもズカズカと中へ入っていくヤーシーが、洞窟を目の前にして動揺している。

それが異臭のせいなのか家畜の死体のせいなのか、判断は付きかねたが、そのどちらにしても、ヤーシーの意見を聞き入れるべきでないことは確かだった。


本来なら洞窟に入り、その先に何があるのか確かめる必要があるだろう。

万が一にもそこに村人が居るとするならば、どんな状態であったとしても救出しなくてはならない。それは冒険者云々の問題ではなく、人道的な行動だと頭ではわかっている。

しかし、立ち込める腐臭と洞窟の奥から漏れ出る刺激臭、朽ちかけの家畜の死体を前に、一歩を踏み出せないでいた。


「中に入るのは無謀よ」


状況を冷静に判断した結果を伝える。

臭気が毒である可能性は十分に高い。これほどまでに本能が忌避する臭いが、安全であるはずがない。

回復魔法が専門の修道士であったところで、この中に入っていくのは正気の沙汰ではない。

魔力に底がない人物であっても、常に解毒魔法を掛けて進むなど不可能だし、たとえこの先が毒でないとしても、この臭気の中にいるだけで気力も体力も否応なしに削られてしまう。

要は、無理なのだ。


マーニの言葉を聞いてヤーシーがチラリと視線を向ける。何か言いたそうな顔で口を開きかけるが、マーニはそれを遮って話を続けた。


「言わなくてもわかると思うけど、一人で入るのはもっと無謀よ」


修道士以前に、仲間だからこそこの中にヤーシーを入れるべきではないと感じた。

開きかけた口を閉じてヤーシーが洞窟の奥を睨む。ヤーシー自身もわかっているのだ。先に進むことが命に関わるということを。


「……最初にここも調べればよかったな」


ヤーシーが悔恨の表情を浮かべて独り言つ。

彼の言う通り、村に到着した時点で水屋も調べておくべきだったのだ。

小川を挟んだ先の、視界を掠めただけの水屋だからといって、気に留めなかったのが間違いだった。

全員が揃っているうちであれば、他に取れる行動はあったかもしれない。


「私たちの落ち度よ。今更嘆いても仕方ないわ」


マーニも唇を噛み締めるような思いに変わりなかった。

洞窟の深部まで入り込まなければ問題無い。そう思わなくもなかった。しかし、今優先するべきはヤーシーと自分の生存である。

村に誰かが戻って来た際に、何が起きているのかを聞き出すことが責務だった。

こうして水屋にいる間にも、村人が戻ってきているかもしれないことを考えれば、本来は一刻も早く広場に戻るべきなのだ。

……そして、自分にそう言い聞かせている事に気が付き、マーニは自分に苛立った。


「一旦戻りましょう」


例え洞窟の奥に村人が居たとしても、おそらく生存はしていないだろう。その思いが口に出そうになったが、言葉を喉奥に飲み込んだ。

ヤーシーは力無く頷き、マーニと共に村の広場へと歩き始めた。


村の広場に近付くにつれ、数人の人影が動くのが見えた。

それを見て二人は、安堵のため息を漏らしそうになった。しかしそれは、昨夜声を掛けた冒険者達だった。

自分勝手だということはわかってはいたが、ヤーシーとマーニから漏れたのは、あからさまな落胆と失望のため息だった。

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