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坑道の先は光を吸収するかのような暗闇で、魔法の明かりで照らされてはいたが奥まで見通すことはできなかった。
それでも、先ほどまでの光虫の明かりに比べれば雲泥の差と言えた。
地面は乾いており歩き辛いということもなく、先頭を行くグロムの道案内もあって、行程は順調そのものであった。
この調子ならばそう時間をかけずに全体を見て回れるかもしれない。全体像を把握してはいなかったが、アウギュリエスは楽観的な目算をしていた。
「アウギュリエス。
お前さん、ただのネルヴじゃないな」
唐突に投げかけられたグロムの言葉に、アウギュリエスの眉がわずかに動く。話しかけられることを想定していなかった誤算の現れだった。
おそらくは何の確証もない世間話のようなもの、何も気に留めることはない。
一瞬たじろいだことを誤魔化すように、素っ気なく返答した。
「ただの協会員ですよ」
当たり障りのない回答。グロムが求めている答えでないことは百も承知だ。
「こう見えてそれなりに長いこと生きておる。
村に移ってからも相当な年月だ、森のネルヴどもとは短い付き合いじゃない」
森のネルヴ、翠緑の森のネルヴのことだ。聞くまでもない。
湖の東岸の先にある小高い丘から続く森は、大陸の北東を覆い尽くす翠緑の森である。翠緑の森に住むネルヴはあまり外界との接触を好まない。グロムが言う「付き合い」という言葉は、決して友好的な意味合いのものではないだろう。
「あの森を出るネルヴにまともな奴はいない。そうだろう?」
チラリと視線を投げてから、また坑道の先に向き直る。
気を紛らわせたいのだろう、黙ってグロムの話に耳を傾けた。
「まぁ、森に居座る連中の方がイカれておるがな」
そう言って得意そうに鼻を鳴らす。
ネルヴとバウルの因縁は深い。たとえそれがバウルの一方的な思い過ごしであったとして、過去に戻ってやり直すことなど出来はしない。
「シュタールグリフ……」
アウギュリエスの反応が無いからか、グロムは淡々と話を続けた。
「さっきも少し話したが、わしら家族はその名を受け継いでおっても、氏族の話合いにすら呼ばれることもない末席の身でな。
親父が『せっかく手にした技術や知識を他所で活かすぞ』なんてことを言い出して、親戚や近所の爺さんを連れて国を出たわけだ」
故郷を懐かしんでいるような、郷愁が背中越しに感じられた。
「あの村には、きっとルミア様に導かれたんだろうな。
ザーローンを出てしばらく各地を転々としておったが、たまたま立ち寄ったルーミレル湖で精霊石が光るもんだから、虫みたいに引き寄せられてルミア様の元に辿り着いた……」
話しながら胸元の首飾りを手に取り眺める。それは、小粒ながらに存在感のある透き通った黄昏色の宝石。『精霊石』だった。
事故後に唯一取り戻した、父親の形見なのだとグロムがいう。
「あの頃はわしも、半人前以下のひよっこだったわい」
そう言いながら豪快に笑う。
堅物そうに見えるが、根は気さくで愉快な男なのだと思い直した。
そんなグロムに絆されたのだろうか、グロムに多少なりとも気を許したのかもしれないが、アウギュリエスの口からも滑るように言葉が紡ぎ出されていた。
「まだ冒険者だった頃に、シュトルムランツの戦士と旅をしたことがあります」
グロムにとってアウギュリエスの反応は予想外だったのか、驚いた表情で振り返った。そして、懐かしい響きを聞いてつい答えるように相槌を打つと、すぐさま前に向き直った。
「ほう、戦技の氏族か、あいつらは我が物顔で街を歩くから好かん」
言いながらフンと鼻を鳴らすが、どこか楽しそうで、話の続きを聞きたがる子供のような無邪気さが含まれていた。
「あなたと同じ理由だったのかはわかりませんが、彼は独りザーローンを出て、冒険者の道を選んだのだと言っていました」
同族の話が聞けるのはそうそうある事ではないのだろう。どこかしらグロムの足取りが軽くなったように見えた。
「度し難いほど頑固で、不器用なほど実直で、そして、とても仲間想いな男でしたよ」
その言葉に気を良くしたのか、「当然だ」と言いながら道を進む。バウルは他の種族よりも身内意識の強い種族だ。自分のことではなくとも、同族が褒められることは誇らしいと感じるのだろう。
たとえ、「好かん」と口に出したとしても。
奥へ進むほどにひんやりとした空気が徐々に体温を奪うが、会話のおかげなのか、今はまだ耐えられると感じていた。
時折現れる洞穴や採掘跡地を確認するが、村人の姿はなく、その痕跡すら見つけられなかった。やはり廃鉱の奥に逃げたのは村人ではなさそうだ……。
覚悟を決めつつ、二人は最奥にある水脈が開かれた場所を目指した。
「それで、シュトルムランツはどうなった?」
グロムのぶっきらぼうな語り口を聞いて、シュトルムランツの記憶が薄らと蘇る。
どんなに困難な状況下にあっても、彼は培った経験と己の直感に従い迷いなく行動した。
危険と知りつつも臆することなく前へ進み、劣勢な戦況の只中でさえ背を向けることはなく立ち向かった。
他者の実力を見極める目は鋭く、時に遠慮のない物言いをした。それが嫌味と受け取られようとも、真実を曲げてまで相手を慰めることはしなかった。
彼にとっては、それこそが仲間への誠意だった。
そして最後には、必ず仲間のために己を投げ出す。
その行動は、誇示でも義務でもなく、ただ自然にそうするだけのことだった。
「彼……、バルドハルドは随分前に亡くなりました」
グロムは「そうか」とだけ返すと、聞き慣れない言葉で唱えるように何かを口にした。
それはバウル族の弔いの言葉だった。バルドハルドも仲間の死に際してそれを唱えていたのを、不意に、そして鮮明に思い出した。
無意識に、アウギュリエスの口元からも同じ言葉がこぼれ落ちた。
「失われし魂よ、幾億の精霊の元に還りて、新たなる命と成りて我らを見守りたまへ……」
チラリとグロムが視線を投げる。その目には感謝の念が宿っている様にも見えた。
「ネルヴである以上、親しくなった者とはいずれ別れが来ますが、往々にしてそれは、相手が私の前から居なくなると言うことです」
グロムは何も言わず、ただ黙って前を向いていた。
見送って来た魂は数知れない。冒険者であったことを加味すれば、そうでなかった者と比べて数が多くなることはいわば宿命のようなものだろう。
故にアウギュリエスは、彼らの魂の救済を、彼らのやり方に倣って行ってきた。
「少し、饒舌になりすぎましたね」
苦笑いを浮かべながら、照れを隠すように場を濁す。それに対してグロムは、片手を上げるだけで返答とした。
「そういえば、バルドハルドがこんなことを言っていました」
グロムを見るでもなく、坑道の先の闇を見つめながら独り言のように話を続ける。グロムもアウギュリエスに振り返るでもなく、黙って話の続きに耳を傾けた。
「バウルに『耳長』と言われたらこう返せ、『岩頭』と」
その言葉の後で、一瞬静寂が二人を支配したような気がした。しかしそれは、グロムの馬鹿でかい笑い声で容易く打ち砕かれたのだった。
坑道を進む歩調に変化は無く、やがて、廃鉱の最奥へと足を踏み入れた。




