1−2
遥か昔、神話の時代。
天風の女神アウルが地上に遺したと伝えられる、東西南北に十字に伸びる巨大な亀裂、アウルの聖痕『アウリス・リフト』。
亀裂は長い年月を経て峡谷となり、さらに長い年月をかけてなだらかな谷となった。
谷にはいつしか女神を崇める人々が集まり、小さな集落をつくり、そして、営みを始めた。
集落はやがて、東西南北の王国が繋がる道が交差する場所となり、様々な文化や種族が交流し、次第に大きな街へと発展した。
ユースガリア王国・アウリス領、中央都市アウリスフレランス。
十字路の街と呼ばれるこの街は、商店や宿、酒場が立ち並び、親切で好奇心旺盛な住人が、旅人や商人達が語る他国の体験談や、冒険譚に耳を傾ける、昼夜を問わずに賑やかな街である。
各王国への始点という土地柄から、いつからか駆け出しの冒険者達が集まり、今では、冒険者の最初の街などと呼ぶ声もある。
街の警護や旅の護衛、国境警備から補給物資の運搬、時折現れる獣退治など、彼らに仕事を斡旋する冒険者協会が建てられており、冒険者と共にある街としても知られている。
領主であるユースガリア王国侯爵のオースバン家は、爵位に無頓着と言われており、居城を持たず、街の商館に居を構えている。
他領の領主から疎まれることもあったが、本人は全く意に介していないようだった。
その質素な佇まいと実直な姿勢、親しみやすい人柄から領民の評判も良く、それに倣った街の人々の中に、素行の悪い者はそうそう見つからなかった。
守護騎士団を有しているものの、街の有志による自警団が率先して警邏を行うことで、犯罪らしい犯罪もほとんど目にすることがない、至って平和な街である。
アウリス魔法学校は、その街の東の玄関口にあたる、砦にほど近い場所に建っている。
花や木々に囲まれ、白い石材と木材で建てられた美しい校舎は、翠緑の森にある王国の協力によって、この地に建設された。
歴史は浅いが、魔法理論や歴史、魔法の実践について学ぶことができる。
生徒数はまだ多くないが、街や国の内外から、魔法の素質を認められた優秀な生徒達が集まり、互いに切磋琢磨して日々成長している。
それら生徒が集まる理由の一つは、この学校を統べる学校長にあった。
世界人口の七割を占める凡庸な種族ヘイムでありながら、ユースガリア王国魔術兵団の高官を務めた才覚の持ち主である。
さらに、王立魔法学園の卒業生から選ばれた優秀な人材や、剣技魔法共に秀でた才能を持つ種族ネルヴを、翠緑の森から数年置きに教師として招いている。
それら教師陣と、生徒数が少ないことが相乗して、魔法実践教育においては、生徒二人に対して教師一人がつくことで、より実践的で、生徒の特性に合わせた指導がなされている。
その為、アウリス魔法学校の卒業生というだけで、様々な面で有利になると言われている。
その学校の裏手、鳥のさえずりがこだまする、背の高い木々に囲まれた扇型の庭園は、午前中の陽の光を浴びた草木の瑞々しい空気に満たされていた。
岩から削り出された、堅牢な作りのベンチが弧を描くように並び、今日、卒業認定式を迎える、第10期生10名が、緊張の面持ちで自分の名前が呼ばれるのを着席して待っていた。
「アウリス魔法学校第10期卒業生、首席、オリビア・オースバン」
長い金髪を無造作に後ろで束ね、琥珀縁の眼鏡をかけたネルヴの教師がオリーの名前を呼んだ。
オリーが、「はい」と返事をしてスッと立ち上がる。
庭園の中央、この日の為に設けられた円形の壇上には、アウルの紋章が入った杖を携えた学校長が、真っ白な長髪と顎髭を微風になびかせながら、オリーを優しく見守っていた。
渋みのある群青のローブに身を包んだ姿は、老齢でありながら、しかし凛とした佇まいをしていて、年齢を感じさせない雰囲気を醸し出していた。
オリーが、壇上まで折り目なく敷かれた赤い絨毯の上を歩く。
緊張からか、前に出す手と足が同じ側になっていることには気付いていないようだった。
ぎこちなく歩くオリーを見たフレアが、笑いを堪えてうずくまった。
当のオリーは何事もなかったように壇上に登り、学校長の前で軽く膝を曲げて礼をすると、胸元につけたブローチを取り外して、翠色の布で装飾された腰の高さほどの置き台にそっと置いた。
学校長に向き直り再度礼をする。
ほっとした表情が見てとれた。
教師が続く生徒の名前を呼ぶ。
「フレイア・レイシアナ」
フレアが、「はい!」と元気よく返事をして勢いよく立ち上がり、絨毯の上をゆっくりと歩いていく。
オリーのぎこちない歩きを見て少しは緊張が解けたのか、教師に笑顔を見せながら登壇する余裕があった。
オリーと同じ所作でブローチを台に置き、彼女の隣へ移動する。
並び終えたところで、「歩き方面白かったです」といたずらっぽい笑みでオリーをからかった。
フレアが何を言っているのかわからなかったオリーは、困惑した表情でフレアの顔を見つめていたが、自分の歩き方を思い出して次第に顔を赤らめた。
しばらくの間からかわれるのだろうと、恨めしそうにフレアを睨んだ。
そうこうしている間に、式は魔法教師が交代し、次の卒業生の名を呼んでいた。
担当魔法教師が呼名するのが慣わしだ。
「ソフィア・レオミュール」
水色の髪の長い少女が、「はい」と返事をして立ち上がる。
式は滞りなく進んでいく。
……卒業生全員が登壇を終えると、学校長はブローチの置かれた台に歩み寄り、皆に近付くように手招きをした。
「これから、皆さんが五年の間身に付けていた胸飾りから認証の魔法を解放し、新しい役割を与えます」
ゆっくりと優しい口調で続ける。
「感謝と敬意をもって見届けてください、そしてこれからも、皆さんのそばで皆さんを守り続ける役割を担う胸飾りを、肌身離さず大切にしてください」
卒業生が台を囲むように並ぶ。
教師達が目を閉じて俯く。
少しの間をおいて、学校長が手に持った杖を両手で掲げ、解放の儀式をはじめる。
「第10期卒業生の、アウリス魔法学校における全課程修了を認め、この胸飾りより、天風の女神アウルの加護を解き放たん」
口上を合図に、ブローチの下から緑色に輝く眩い光が現れた。
数瞬してその光は徐々に明るさを失い、やがて魔光灯の魔力が尽きるような、最後の瞬きをして完全に消滅した。
宝石から色が失われ、アウルの紋章が消えた。
それは、ブローチに刻まれた結界を通るための魔法が消え、二度と校内への立ち入りが許されないことを意味した。
紋章の消滅を確認した学校長が、続く転化の儀式をはじめる。
「光明の女神レイアの慈愛に満ちた光の加護によって、未来永劫にわたり、この者達の存在を証明する標となれ」
先程と同じようにブローチの下から、今度は金色に輝く光が現れ、呼応するようにブローチも光を放ちだした。
優しい光の束は少しずつ輝きを増して、やがて強烈な光球となって辺りを白い闇で覆った。
光球は明滅しながらゆっくりと明るさを失い、それに合わせて、辺りも少しずつ元の明るさを取り戻した。
卒業認定式の目的が果たされた。
「ご卒業おめでとう。少しだけ、私から祝辞を」
学校長が笑顔で話しかける。あまりの眩しさに皆が目を擦りながら学校長に向き直る。
「皆さんはこれからそれぞれの道に進み、この学校で学んだこと以上に沢山のことを学んでいきます。
良いことも悪いことも、楽しいことも悲しいことも、多くの経験を経て大人になっていきます。
自分だけではどうにもならない壁にぶつかることもあるでしょう。そんな時は、この学校のこと、先生方のこと、一緒に学んだ仲間達のことを思い出してください。
そして、どうしようも無く辛い時は勇気を出して声を掛けてください。きっとあなたの力になってくれます。
いつの日か成長した皆さんが、学校に顔を見せに来てくれることを楽しみにしています。
ありきたりな言葉しか贈れませんが、あなた達の未来に幸多きことを願っています。
改めて、ご卒業おめでとう」
言い終えると、満面の笑顔で卒業生全員に向けて拍手をした。
見守る教師達も祝意の拍手を送り、「おめでとう」と声を掛けた。
目に涙を浮かべる者、照れ笑いをする者、教師の手を取って飛び跳ねる者、卒業生達がそれぞれに違った反応を見せる。
オリーが照れ笑いをしながらフレアを見ると、彼女が両手で目を覆っているのが見えた。
結構多情多感な子だなと、彼女の新しい一面を見たと思った矢先、「目が潰れるかと思ったのです」という声が聞こえた。
どうやら未だ転化の光から癒えていなかったらしい。
儀式の後、ブローチは元の所有者に手渡された。
ブローチに嵌め込まれた宝石は透明になり、アウルの紋章に代わり、レイアの紋章が浮かんでいた。
アウリス魔法学校卒業生の証として、これからその役割を担っていく。
その後も式は進み、終了後の庭園にて、ささやかな祝賀会が開かれることとなった。
卒業生たちが卒業認定式の余韻を堪能している中、会場は手際良く設営が進められた。
遠方の国アルメア出身のソフィアとリディアナの二人は、都合により式終了後すぐに帰省することとなったのは、とても残念であった。
庭園の中央にあった檀は片付けられ、白いクロスが敷かれた大きな木製のテーブルと、その上には普段の食事とは明らかに異なる、沢山の豪勢な料理が並べられた。
交差点の街と呼ばれているだけあって、街の外から持ち込まれたであろう、普段はなかなか目にする機会のない食べ物も見える。
肉料理や魚料理も、近隣の山で取れた肉や川で取れた魚ではなさそうだ。見たこともない果物も並んでいる。
街の恩恵をヒシヒシと感じる。
街の人達からのお祝いとして、飲み物についても多種多様なものが用意されているようだった。これについては、ある意味先行投資といった所なのだろう。
これから先、街のために役に立つ働きを期待されているのだ。
テーブルの脇に教師と生徒達人数分の椅子が用意され、学校長の合図で皆が席に着いた。
卒業生達がご馳走を前に目を輝かせ、「あの料理は何処の名産で、あっちの料理は遠方の国の珍しいものだ」などなど途端に騒がしくなった。
微笑ましい光景を笑顔でしばらく眺めていた学校長が、咳払いを一つして場を静め、果実酒の入ったグラスを片手に立ち上がる。
皆も倣ってグラスを持って席を立つ。
それを見届け、ぐるりと皆の顔を見た後で口を開いた。
「皆さんの新しい門出というおめでたい日なので、私も一杯だけ頂戴します」
そう言ってグラスを揺らす。
「ご覧の通りとても素敵な場を用意して頂きました。
街の皆さんも貴方達の卒業を祝福し、沢山のものを提供してくださいました。感謝して頂きましょう。
さて、伝えたいことは式でお話ししましたし、ご馳走を前に長々と話をして、せっかくの料理が冷めてしまうのは勿体無い」
言った側から、何処からかグゥゥという音が聞こえてきた。
ニヤニヤとするオリーの横で、フレアが頬を赤らめながらそっぽを向いている。
皆は辺りを見まわし音の出所を探ったが、うまく誤魔化せたのか犯人は見つからなかった。
笑い声が会場を包み、和やかな雰囲気となったところで、学校長が言葉を続けた。
「それではもう一度、祝いの言葉を述べて祝賀会を始めましょう」
学校長がグラスを持った手を掲げる。
皆も同様にグラスを掲げると、声高に宴の始まりを告げた。
「卒業おめでとう!乾杯!!」
「「乾杯!!!」」
互いのグラスを軽く合わせて音を鳴らす。それを合図に和気藹々と皆が思い思いに昔話や未来の話を始めた。
あちらこちらで話に花が咲く。
それをよそ目に、先ずは腹ごしらえとフレアがテーブルの上の料理を取り皿に盛り始めた。大皿に盛られたアルメアシュリンプを見つけると、それを指差しながら満面の笑みでオリーに話しかけた。
「オリー!夢の続きですよ!」
寝起きに放った他愛のない一言を覚えているとは、妙な所で記憶力が良いな、と思いながらも、今度は魔法書に化けないであろうご馳走を取り皿に盛り始めた。
東方の海に生息する小ぶりのアルメアシュリンプは、殻を剥いて背腸を取っただけの、生の状態で食するのが極上と言われている。
その身はプリプリとした食感で、ほのかに甘味があり、調味料を使用せずとも絶品である。
と聞き及んではいたが、遥か遠方のアルメア王国からこの街まで、生のまま運ぶのは到底無理がある。
生きた状態で運んだのか、加工した状態で運んだのか見当がつかないが、物資運搬の技術の高さに思いを馳せた。
ふと見渡してみれば、その他の料理も新鮮なを使用しているのが見てわかった。
近隣の農園から調達できる羊肉や、街近くの河川で捕れる魚であれば新鮮なのも頷けるが、この珍しい食材達は、一体どんな技術でもってこの十字路の街にやってきたのか……。
一頻り感心した所で、念願の食材を口に運び、口の中で蕩ける珍味佳肴に舌鼓を打った。
この味を好きな時に味わえるソフィアとリディアナが、羨ましいと頭をよぎった。
一方のフレアといえば、北方の雪原に生息しているという、スノーバッファローの脂の滲み出る炙っただけの肉を口に含んで、「贅沢すぎてこの辺がモヤモヤです」と顔をしかめて眉間を摘んでいた。
手元のグラスを掴んで、モヤモヤもろとも一気に飲み込もうとしたらしく、咽せているのが何とも騒がしい。
そんな光景を後ろで見ていた魔法教師が、フレアにハンカチを手渡しながら話しかけた。
「オリビア、フレイア、卒業おめでとう」
二人が驚いて振り向く。
長い金髪を無造作に後ろで束ねた、琥珀縁眼鏡の、白と紺のローブの上に式典用の豪華な紺色のケープマントを羽織った、ネルヴの教師が立っていた、
オリーとフレアの担当魔法教師だ。
驚いている二人を尻目に、教師は手の指をパチンと鳴らす。
それとほぼ同時に、フレアの眉間の辺りでパッと青色の光が弾けたかと思うと、心なしかフレアの表情が和らいだ気がした。
「これでモヤモヤは消えたでしょう?」
教師がニコニコしながらフレアの顔を見る。
フレアは眉間にできた皺を指で均すような仕草をして、モヤモヤの存在を確認しながら目を寄せている。
モヤモヤはまるで幻覚だったかのように存在を消し、脂肉を口にする前のスッキリとした状態に戻っていた。
学校で習った、傷を癒す魔法や病気を軽くする魔法に似た、治癒魔法の一種なのだろうと感心しながら教師を見つめる。
そんな二人に、人差し指を立てて笑顔で言う。
「魔法は想像力です。
と言っても、体験したことのない事象は簡単にはいきませんけどね」
なるほど、教師もあのモヤモヤを経験したことがあるのだなと、フレアがニヤける。
そんな彼を見つめていた二人であったが、ハッと我に返って慌てて席を立ち、声を揃えて礼を述べた。
「「アウギュリエス先生!今までありがとうございました!!」」
式が始まる前に挨拶はしていたが、結局遅刻ギリギリに着いたこともあり、改まって礼を述べる機会を逸していたことに気が付いたのだ。
二人揃って膝を軽く曲げ、魔法学校式の礼をする。
アウギュリエスも胸に手を付け礼を返したが、すぐに二人に席につくよう促した。
「堅苦しい礼は不要です。座ってください」
笑顔で言う。
素早い動きで、オリーが隣の空いている椅子を持ってアウギュリエスも座るように促す。
「ありがとう」と言って席につくと、手に持ったグラスを二人に近付けた。二人もグラスを持ちアウギュリエスのグラスと軽く合わせて音を鳴らす。
そして、三人の小さな祝賀会を始めた。
「「「乾杯!」」」




