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明朝早く、まだ薄暗いレイフォルスの船着場の片隅に、六つの人影があった。
「オリビア、フレイア。昨夜自己紹介を受けましたが、改めて紹介します。
剣士のニクラウス、格闘家のヤーセンディル、修道士のウマーニュです」
名前を呼ばれて、それぞれ短く挨拶する。
どうやら昨夜のうちに、彼等三人と同行することに決めたらしい。
「こちらがオリビア、そしてもう一人がフレイア。それから私、アウギュリエスです」
アウギュリエスが振り返って自分達を紹介する。
経緯は聞かされていない。しかし、アウギュリエスの選択であるなら、間違いということはないだろう。
「彼女達は二人とも魔術士で、ユースガリアのランク3冒険者です」
冒険者である事までは明かされているようだ。その程度なら問題は無いだろうし、ただの旅人がわざわざ異変の起きている北の村に行くというのは、同行する上で疑問に思われても仕方がないだろう。
互いの紹介を終えたのを見計らって、ニックが口を開いた。
「まさか、二人も冒険者だったとは思わなかった。
しかしまあ、ランクも一つしか違わないって事でよろしく頼むよ」
その顔に浮かぶのはおそらく本物の笑顔だろう。彼の屈託のない表情に心なしか安堵した。
ヤーシーは相変わらず無愛想ではあったが、仲間として彼等を迎え入れたことで、その無愛想さですら頼もしく見えるのは、何とも不思議なものであった。
意外に思えたのは、マーニの反応だった。
「女の子が増えて華やかになったわ」
彼女が浮かれている様子に、昨夜見た刺すような視線が無いところを見ると、本当に喜んでいるのだろう。
そんな折、ニックが意気揚々とした表情で話しかけてきた。
「即席とはいえ、これから冒険を共にする仲間だ。
慣例に倣って呼び捨てで……といきたいところだが……、オリビア、フレイア……。リヴィとレイにしようか。他に呼んで欲しい名があったら教えてくれ。
俺たちのことは昨日伝えた通り、ニック、ヤーシー、マーニで構わない」
ニックがにこやかに宣言する。
こうしたやり取りに嫌味がないのは、この男の長所と言って良いだろう。
距離の詰め方に感心したオリーが、無意識にコクコクと頷く隣で、フレアは「ニクヤシーウマニ、ニクヤシーウマニ……」と呪文のように繰り返していた。
ひとしきりニックに感心したところで、これといって呼んで欲しい呼び名も思い付かない二人は、ニックの提案を快く承諾した。
『オリー』と『フレア』という呼び方は、二人だけの特別な呼び方なのだ。それ以外であれば呼び方にこだわることはない。
「それで、アウギュリエスさんは協会の人なんで、『アウさん』でいいですか?」
アウギュリエスはその言葉に静かに頷いた。
元冒険者ではあるが、冒険者協会の人間という立場で同行することにしたのだろう。
「では、日が昇る前に出発しましょう」
アウギュリエスの視線の先に、決して大きいとは言えない、大人六人が乗るには心許ない船が用意されていた。
それは暗がりで良く見えなかったが、軋む音とわずかに揺れる船体から、水面に浮いているのが不思議に思えるような、かなり年季の入った船だった。
急な話に応じてくれた船の持ち主には感謝しかないが、よもや乗船時に沈没しまいか、と思いながらも、六人は慎重に船に乗り込んだ。
船は、北の村に向けて暗い水面を滑るように進み出した。
・
前方を照らす魔法の明かりを頼りに、軽快に湖面を滑るように船が進む。
ほんのりと赤みを帯びた東の空は、未だ陽の明るさを取り戻してはいない。
櫂を漕ぐ音はせず、風切り音と水を切る音だけが静かに響いていた。
原理はわからないが、アウギュリエスはあらゆる場面で便利に魔法を行使する。想像によって生み出される魔法は、いつかその全てを魔法でなんとかしてしまうのかもしれない。
きっと何でもありなんだろう……。オリーとフレアは気にすることを諦めた。
「昨夜集めた情報ですが」
船首の方向を見つめたまま、アウギュリエスは静かに話し始めた。
一つ、湖の北岸近くから異臭が漂っている。
二つ、ここ数日、湖での漁獲量が著しく減少している。
三つ、湖で獲れた食材を食したと思われる住人が体調不良を起こしている。
四つ、体調不良は拡大しており、治癒院へ治療に訪れる人が後を絶たない。
五つ、三日に一度は街に来ていた北の村の住人が、しばらく姿を見せていない。
情報を整理すれば、湖の北側で何かしらの異変が起き、それによって不漁となり、わずかに獲れた食材を食したことで体調不良を起こしている。ということのようだ。
村人が姿を見せないことの関連は掴めないが、天変地異のような事態が起きたのであれば、それはそれで分からなくもない。
情報を得たことによって、昨夜のトラウト料理に一抹の不安を覚えなくもなかったが、今の所不調を感じる事もなく、一先ず難は逃れたのだろうと思った。
それはともかく、確実なのは体調不良を訴える人が増加しているということで、そういった類の調査も、れっきとした冒険者の仕事の一つである。
原因が掴めずに徒労に終わる可能性もあるが、それを理由に何もしないわけにはいかない。
オリーとフレアは視線を交わし、向かう北の村に思いを馳せた。
・
船が湖の北岸に近づくにつれ、情報通りの異臭が辺りに漂ってきた。
鼻の奥にまとわりつくような生臭さと、肉が腐り落ちる寸前の、甘くて重い臭いだった。
さらに船が進み、北の村の岸に着く頃には、鼻を突くような刺激臭が加わり、微かに腐った卵のような臭いもしていた。
喉奥が痺れるような感覚に襲われながら、一行は無言のまま北の村に足を踏み入れた。
弾けた波打ち際の水泡が、東から差す低い陽光に照らされて眩く煌めく。
打ち寄せる波の音が静寂をより一層引き立てているのだが、その空気を侵食するような異臭が、全てを台無しにしていた。
一行を出迎える人影は無く、本来であれば、漁に出た船が岸辺で賑わっているはずであろう時間帯にも関わらず、ただそこにあるのは、波に揺られる無人の漁船だけであった。
「危機管理のためとはいえ、この臭いは耐えられないね」
ニックが鼻を摘みながら顔をしかめて言う。
無論オリーとフレアも、湖上で臭いがし始めた頃から袖口で鼻を押さえ、できるだけ臭いを嗅がずに済むよう努めていた。
臭いを遮断する程度であれば魔法でなんとでもできるだろう。アウギュリエスがそれをしないのは、ニックの言う通り早期に危険を察知するためであり、例え鼻がもげそうな酷い臭いであっても、それを遮断してしまうのは命に関わる問題だからだ。
できることは、極力深く息を吸い込まないことだけであった。
「そう広くはない村のようですが、二手に分かれましょう」
村の船着場に降り立ってすぐに、調査のための段取りを告げる。
アウギュリエスの提案に、皆うなずいて返事をした。
「ニック達は西から、私達は東から、まずは村人を探しましょう」
三人ずつに分かれて捜索する。安全と効率を考えれば、理にかなった立ち回りだろう。
「少し私に寄ってください」
アウギュリエスはそう言いながら右手を頭上に上げた。
皆がそそくさと近付いたのを確認すると、彼はそのままの姿勢でパチンと小さく指を鳴らした。
次の瞬間、白く輝く光がアウギュリエスを中心に勢いよく広がった。
全員を包み込んだ光はその後パッと弾けると、光の欠片を瞬かせながら消えていった。
一瞬全身を包み込んだ障壁の魔法は異様な程に分厚く、おそらく戦斧で殴られても破れず、業火に包まれようとも燻りもしないことだろう。
恐ろしく頼りがいのある魔法を、いとも簡単にやってのけるアウギュリエスに、オリーやフレアだけでなく、ニックやヤーシー、マーニまでもが、驚嘆の表情を隠せないでいた。
誰かが「何者……?」と呟いたが、その問いに誰も答えられなかった。
「念のため、物理障壁と魔法障壁の魔法を付与しました。
くれぐれも気をつけてください。村の中央で合流しましょう」
その言葉を合図に、一向は船着場から左右に分かれて移動を開始した。
村人の影はなく、異臭が充満する村。
何かしらの自然災害による被害に遭った形跡もない。
不規則に立ち並ぶ家々は、倒壊することもなくそこに建っている。だとするならば、この現状は一体何が原因だというのか……。
言い表せない緊張感に押しつぶされそうになりながらも、家屋を一軒一軒確認していく。
声を掛けながら戸を叩くがその声に返答はなく、戸が開け放たれている家もある。よほど急いで家を出たのか……。
いずれにしても、異常事態が起きたのであろうことは状況から判断できた。
そうして気が付けば、さほど大きくない村は一時もかからずに回り終わってしまった。
「ひとっこ一人見当たらないね」
オリーの口から素直な感想が漏れる。その言葉にフレアも頷きながら振り返って、今きた道に視線を投げる。
臭いが先だったのか、それとも人が消えたのが先だったのか……、三人は注意深く村を見て回ったが、人どころか家畜の姿さえ見当たらなかった。
オリーとフレア、アウギュリエスが村の中央に到着した時には、ニック達はまだ着いていなかった。
村の人達の憩いの場所だったのだろう、円を描くように整備された村の中央には、精霊ルミアと思われる精巧な石像があった。
その石像は意図的に倒されたような痕跡があり、部分的に破壊されているようにも見えた。
仮に倒されたのであれば、事態は何者かの災禍によって引き起こされたと考えて、間違いなさそうだった。
「人どころか食い物も無くなってるな」
ニック達がキョロキョロと辺りを見渡しながら近付いてくる。村の西側も、東側と同様にもぬけの殻ということらしい。
「いくら人里離れた村とはいえ、戸締りもされていないわね。
家の中が荒らされた様子は無かったけど……」
マーニがニックの言葉を続ける。
なるほど家の中も確認していたために到着が遅くなったらしい。
つまるところ、村人達はやはり何かしらの危機的状況に見舞われたのだろう。そして、何もかも投げ出し、命からがら村から一目散に逃げ出したのかもしれない。
果たして、いったいどんなきっかけでそんな状況になったのか。天災でないとすれば、野犬や獣にでも襲われたのか、または賊の類か……。
想像するだけでは埒があかず、もっと情報が必要な段階に来ているように思われた。
互いに視線を交わし、この村の異変について思いを巡らせる。
そのまま、しばしの沈黙が流れた……。
その沈黙は、背後から駆け寄ってくる何者かの足音で掻き消された。
そして、その足音に続いて大きな怒声が静まり返った村に響き渡った。




