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私と彼女の物語 -Travelers of the Far Green Road-  作者: ORSBN.shu
第二部・青陽
27/50

2-2

名もなき小さな湖のほとり。

一人の少年が歩き疲れた身体を休めるため、その岸辺へと立ち寄った。


彼は静かに腰を下ろし、冷たい水で顔を洗い、乾いた唇を湿らせた。

ふと顔を上げた少年の瞳に、可憐な少女の姿が映った。


陽光を纏い、薄水色の長い髪をなびかせた少女に、少年は心奪われた。

少女もまた、自分の姿を見て恐れずにいる少年に、静かな好意を抱いた。


ふたりは言葉を交わすことなく、ただ心で通じ合った。

少女には声がなかった。

けれども、ふたりの絆は確かなものだった。


互いに惹かれ合い、やがて長い時間を共に過ごし、笑い合い、寄り添う日々が続いた。


しかし、ふたりに残酷な現実が訪れた。

少年は老い、病に伏し、静かにその生涯に幕を下ろした。

一方で、少女は出会ったときと変わらぬ姿のままだった。


彼女の名は、ルミア。

水の精霊である彼女は、人と恋に落ち、愛を知り、そして別れが残す静寂を知った。


最愛の人を失ったルミアの瞳からこぼれ落ちた一粒の涙は、大地に染み込み、名もなき小さな湖を満たしていった。


やがて湖は満ち溢れ、広大な水面となった。


その湖は、ルミアの涙と共に、新たな名を得た。



広大な湖、ルーミレル湖の南岸にその街はある。

レイフォルス。

対岸が霞んで見えるほどの湖に面したこの街は、豊かな水源と穏やかな気候に恵まれ、古くから人々の暮らしを支えてきた。

湖に差し込む陽光がまるで光が降り注ぐように見えたことから、いつしかこの街はレイフォルスと呼ばれるようになった。その光景は、旅人や商人達の間でも『休息の光』として知られ、行き交う人々に安らぎを与えている。

水運と交易の要衝であり、アウリスフレランスと同程度の規模を誇っておりながら、喧騒よりも落ち着いた空気が漂っている。

大通りと並走するように建てられた街の象徴でもある水道橋と、古い石造りの水路が街に巡らされ、湖の水は生活のあらゆる場面で活かされている。

街の中心にある広場には、湖の水を引いて作られた泉が設けられており、その中央に湖の精霊を祀る石碑が建てられている。

街はその広場を囲むように広がり、湖の精霊の息づかいを、今も静かに受け継いでいる。


水路を流れる水音と、石畳に跳ねるしぶきの音が微かに耳の奥に届いた。

程なくして、馬車を引く馬の蹄音と、車輪のきしむ音が意識を現実に引き戻していく。


「オリビア、フレイア。もうすぐ宿に着きます」


アウギュリエスの声に応えるように、オリーがもぞもぞと上体を起こし、馬車の窓から街の様子をうかがった。

まだ日暮れには早い時間だったが、等間隔に浮かぶ街灯の灯りが水で濡れた石畳に反射し、絵にも言い表せない幻想的な雰囲気を醸し出していた。

通りには、買い物を終えた市民が籠を抱えて家路を急ぐ姿や、水辺ではしゃぐ小さな子供達の姿が見える。

すれ違う老夫婦は、旅人の馬車にチラリと目を向け笑みを交わしていた。

街に到着したのだ。


「フレア、レイフォルスに着いたよ」


オリーの声に、フレアもまたもぞもぞとしながら上体を起こした。眠りが浅かったようで、昼に起こしたときよりも意識がはっきりとしていた。


「ご飯の時間ですね」


開口一番に食欲を口にする声に、オリーの顔にくすりと笑みが浮かんだ。

そんなフレアにつられるように、ついついオリーも今夜の晩餐に意識が奪われる。昼に口にした黒パンと干し肉のスープでは、到底太刀打ちできない食事にありつけることだろうと。


「ルーミレル湖で獲れるトラウトは、焼いても煮込んでも、揚げても美味しいそうよ」


聞き齧った話では合ったが、想像しただけでも頬が落ちるような感覚を覚えた。

フレアもまた同じように想像をしているのか、頬に手を当て目を閉じながら、ムフーと息を漏らしていた。


少しして、馬車が止まった。

窓から覗いた先に、五階建てはありそうな大きな木造の建物と、大きな戸の前に置かれた、絶えず水をたたえる魚の姿をかたどった小さな石像が見えた。

御者台からアウギュリエスが降りる音が聞こえる。その直後に、馬車の扉が開いて彼が顔を出した。


「手続きをしてきます。二人は必要な物の荷下ろしをお願いします」


言うが早いか、アウギュリエスは宿の戸を空けて中へと入っていった。


二人で跳ねるように馬車から外に出る。

湖面を通ってきた風が、まるで二人を待ち受けていたかのように吹き付けてきた。丘の頂上で受けた風よりも冷たさを感じたのは、きっと日が暮れかけているからだろう。

たまらず身震いをしながら、そそくさと荷箱から荷物を取り出した。

宿の方に視線を向けると、アウギュリエスが微笑みながら手招きをしている。問題なく宿が取れたのだろう。

二人は小走りでアウギュリエスの元へ駆け寄った。


「二人の部屋は二階です。先にいって休んでいてください。

 厩舎で馬を休ませた後で呼びにいきます」


そう言って二人に部屋の鍵を手渡すと、アウギュリエスは馬車の方へ歩いていった。旅慣れた手際の良さに、思わず何とも言えない安心感がこみ上げた。


『ひかりの宿レイヴェル』と記された木製の看板を横目に、静かに宿の戸を開けて中へと足を踏み入れた。

柔らかい魔光灯の光に照らされた室内が視界に広がる。

木製で統一された調度品と、広いロビーの中央に置かれた、宿の入り口にもあった小さな魚の石像が二人を出迎える。

木の温もりと、石像から絶え間なく流れ落ちる水の音が、旅の疲れを癒してくれるようだった。

その奥にある受付カウンターに、こちらの様子を窺うように座っている大男の姿が見えた。おそらくこの宿の主人なのだろう。二人は少しだけ緊張しながら小さくペコリと頭を下げ、ロビーの左手に見える階段へ向かった。

そんな二人を無邪気な笑顔で暖かな視線を向けながら、「ようこそ、いらっしゃい」と気さくな口調で声を掛けてくる。

見かけによらず人当たりが良くてホッとした気持ちになった。


階段を上り、二階に到着したところで左右を見渡す。長い廊下を挟んで向かい合うように客室が並んでいるのがわかった。

廊下の南側は街の通りに面し、北側はルーミレル湖を望む造りのようだ。

果たして、アウギュリエスが取ってくれた部屋はどちら側なのだろうか……、二人は顔を見合わせ逸る気持ちを押さえながら、受け取った鍵の部屋を探しはじめた。


オリーがきょろきょろと辺りを見渡していると、客室案内板を見つけたフレアが嬉しそうにオリーの肩を叩いてきた。


「オリー!案内板から察するに、我々の部屋は廊下の突き当たりのようです!」


嬉々としたフレアの視線を追って、オリーも案内板を確認する。

フレアの言う通り、その部屋は確かに廊下の突き当たりに位置していた。もしかすると、通りも湖も一望できる部屋なのではないかと、ふつふつと期待が高まってくる。


「……いいのですか?」


部屋を確認する前だというのに、嬉しさが抑えきれない様子のフレアが、感嘆の言葉を漏らした。最悪、どちらの景色も見られなかった場合の、フレアの落胆ぶりを想像してオリーは少しだけ可笑しくなった。


小走りで部屋の前まで進み、心を落ち着かせて鍵を差し込み静かに回す。カチャリという音の後で、ゆっくりと扉を押し開けた。


「オリー!どうですか?どっちも見えますか?」


期待に胸を膨らませているのだろう、目を閉じたまま部屋に入ってくるフレアに思わず笑みが溢れた。


柔らかい魔光灯の光に照らされた半円状の部屋の窓際に、二つの大きなベッドが置かれている。シーツが目に眩しいほど白く、眠気に誘われそうな魅力を放っている。

部屋の調度品は木製の品が並べられており、宿の優しい統一感が感じられた。

片隅に備え付けられた暖炉は、高地にある盆地の街ならではの、朝夕の寒さに対応したものだろう。

そして、大きな窓から街の東側を望む。

左手には夕暮れに染まる茜色のルーミレル湖、右手には穏やかな表情を見せる街灯に照らされた街の通りと水道橋。

約束の地が二人を待っていたかのように、穏やかな景観が窓の外に広がっていた。


ひとしきり感動したところで、未だ目を瞑って待っているフレアの肩に手を当てて窓辺まで誘導する。

器用に歩き進み、窓の手前で声を掛けた。


「自分の目で確かめてみて」


言いながら自分の顔が綻んでいるのがわかる。この景色は自然に人を幸せにしてしまう魔法がかけられているに違いない。

そんな他愛もないことを考えながらも、再び窓の外の絶景に心が奪われた。


「オリー。これは、我々の勝利です」


フレアがぽそりと呟いた。その後に続く言葉は無く、何に勝利したのか全くわからなかったが、フレアの感動が手に取るように伝わった。

この部屋を取ってくれたアウギュリエスに、感謝の言葉では伝えきれない思いが込み上げてくるのを感じつつ、二人はしばし景色に見惚れていた。


しばらくして、扉がノックされる音で二人は現実に引き戻された。


「二人とも、食事に出かける用意はできましたか?」


アウギュリエスの声で我に返る。

部屋に入ってから今まで、ベッドに腰を掛けて窓の外に広がる景色に心奪われ、全く何も手を付けていないことに気が付いた。

ゆえに何一つ用意などしていない。しかし、食事に出かけるだけなのだから特段何か用意する必要もなく、荷物を部屋に置いていくだけで良かった。

「すぐ行きます」と返事をして、部屋の鍵を取り扉を開けた。


「眠ってしまっているかと心配しました」


アウギュリエスが冗談めかした口調で、にこやかに二人を出迎えた。

フレアは腰に手を当て、「馬車でぐっすり眠ったのです」と自慢げに答えたが、オリーはそれがまったく自慢できる話ではないと思い苦笑した。


大男の主人に声を掛け、鍵を預けて宿を出た。

辺りはすっかり暗くなり、仄かな街灯の明かりでも頼もしい時間帯になっていた。

アウギュリエスの後に続き、通り向かいの酒場兼食堂に向かう。

魚が跳ねる絵に並んで『ファングェンリング』と記された看板を見て、その聞き慣れない響きに思わず首を傾げながら店内に入った。

微かに外に漏れ聞こえていた弦楽器の音が、扉を開けた途端鮮やかに広がり耳を包んだ。陽気な旋律は料理への期待を一層膨らませる効果があるようだ。


アウギュリエスが受付に声をかけると、店の給仕と思われるネルヴの女性が「こちらへどうぞ」と案内してくれた。

促されるまま席に着くと同時にメニューを手渡される。


「ようこそ『トラウトのヒゲ』へ」


給仕一言で、『ファングェンリング』とは『トラウトのヒゲ』という意味なのだと謎が解けた。

愛想の良いネルヴの給仕はその後で、申し訳なさそうな顔をしながら言葉を続けた。


「誠に申し訳ないのですが、最近不漁が続いていて、トラウトはお一人様一尾までとなっております」


丁寧に頭を下げて奥へと下がっていく。

どうやら目当てのトラウトは、調理方法を慎重に選ばなくてはならないようだった。

とは言え、焼くも煮るも揚げるも、ちょうど三人揃っているこのテーブルならば、その全てを味わうことができるだろう。二人が選ばない料理を選んで分け合えばよいのだから。

オリーはそんな計算を抜け目なく巡らせ、手にしたメニューを開いた。


「さて、どうしようかな……」


独り言つ。

一人一尾の貴重なトラウトをどう料理してもらおうか、思案しようとしてメニューに目を落とした瞬間、オリーの動きが止まった。その様子を訝しげな顔でチラリと覗いたフレアだったが、すぐに自分の持つメニューに視線を戻した。


とんだ大誤算であったと思い知る。

さっと目を通したメニューに並ぶトラウト料理の多彩さに、オリーは思わず開いた口を閉じるのを忘れた。

これは何の嫌がらせだろうか。焼く煮る揚げる、どの調理法をとっても、それぞれに数種類ずつの料理が用意されている。

早くも自分の目論見が危ういことを察した。

この中から自分の好みのものを探し出すのは至難の業だろう。まして、アウギュリエスとフレアがうまい具合に異なる調理法を選ぶという保証はどこにもない。まさに運を天に任せるようなものだ。

オリーは恨めしげにメニューのページをめくった。


そんなオリーに気が付いたからか、それともこの店のメニューの多彩さを予め知っていたからか、アウギュリエスがすっと手をあげて給仕を呼ぶ仕草を見せた。


「こういう時は店の人にお勧めを聞くのが一番です」


にこりと笑いながらそう言うアウギュリエスの隣では、フレアがまるで親の仇でも見るような眼差しでメニューを凝視していた。どうやらフレアもまた、この店の豊富なメニューに頭を悩ませているようだった。

その様子を見てオリーは不思議と安堵し、この多彩な料理への憎悪も幾分和らいだような気がした。


「頭は黒煮、身は塩焼き、皮は唐揚げが素朴な味で誰の口にも合うそうです」


アウギュリエスが給仕から得た情報を伝える。

フレアは相変わらずメニューに釘付だったが、不意にグゥゥっと鳴った腹の虫にハッと顔を上げると、スンとした表情で「先生にお任せです」と言って選ぶのを諦めた。


「では、前菜に皮の唐揚げのサラダ、メインに身の塩焼きと頭の黒煮で、ブロススープに黒パンを添えたセットにしましょう。

 オリビアはどうします?」


実の所、オリーも選ぶのを諦めかけていたところだった。

アウギュリエスの選択は最適解であるように思えた。何せ、その選択であれば一尾を三種の調理法で楽しめるのだ。

願ったり叶ったりとはこの事だろう。

渡りに船とばかりに、オリーは首を縦に振りつつ「同じものをお願いします」と答えた。


結局自分達が選んだわけではないが、メニュー選びという一仕事を終え、アウギュリエスが給仕を呼び注文しているのを横目に、店内をなんとなく見渡した。

年季の入った木の床はよく磨かれていて、靴音が心地よい響きを奏でている。

木の温もりが感じられる空間には、柳の枝で編まれた照明が柔らかな光を落とし、壁には釣具や魚の装飾が所狭しと並んでいた。

吟遊詩人の透き通る歌声と、軽やかな弦の旋律で奏でられているのは、アウリスフレランスでもよく耳にした『放浪の魔女』の唄だろう、どこか懐かしさを感じさせた。

穏やかな雰囲気が気持ちを落ち着かせてくれるなか、鼻をくすぐる料理の香りに意識が引き寄せられた。

嗅覚を通り越して、直接胃に訴えかけてくるようなその香りは、否応なく料理への期待を膨らませる。

腹の虫が機嫌を損ねるほどに空腹である今であれば、昼に食した質素な食事でも満足できそうな気がしたが、それは気のせいだと心の中で頭を振った。


そんな穏やかさと空腹がせめぎ合う中で、オリーがふとあることを思い出した。

フレアの袖を引いて耳打ちする。

こそこそと内緒の提案にフレアもウンウンと頷きながら同意したようだった。

そして、アウギュリエスに声をかける。


「「先生!素敵なお部屋をありがとうございます!」」


満面の笑みで感謝を伝える。

初めは驚いた様子のアウギュリエスだったが、すぐに表情を崩して「どういたしまして」と答えた。


「せっかくなので湖が見える部屋が良いだろうと。気に入っていただけて良かったです。

 上階が埋まっていなければ、もっと良い景色が見られたと思いますが、それはまた後日に取っておいてください」


その言葉に上階の部屋から見る景観を想像しようとしたが、二人はもう一つの、とても重要で大きな心配事を伝えなければならなかった。


「とってもいいお部屋なんですが、その、お代の方が……」


口火を切ったフレアだったが、ついつい語尾を濁してしまう。

冒険者になったばかりの二人の手元には、まだまとまった資金がない。

少なく見積もっても薬草採取の依頼を数十回はこなさなければ、あの部屋に泊まるのは難しいだろう。そんな悩みに、店の穏やかさも空腹さえも忘れてしまいそうになっていた。

かくなる上は、出世払いという最終手段を切るつもりではあった。


そんな、そわそわし始めた二人を優しく見つめるアウギュリエスが、手に持ったメニューをテーブルに置きながら答えた。


「二人には、形式的とはいえ冒険者協会からの依頼で私の護衛についてもらっています。

 雇い主が食事と宿を提供するのはおかしなことではありません。

 ですから、何も心配いりませんよ」


アウギュリエスはそう言って、満面の笑みを浮かべた。

宿代の相談が、いつの間にか食事代の問題まで解決していた。確かに、アウリスフレランスを出てから今日まで、二人は宿泊代も食事代も支払っていない。

野営が多かったとはいえ、馬車に積まれていた食料はアウギュリエスが前もって用意していたものだ。護衛任務だからと言って、ここまで何から何まで世話になっていると、少しばかり気が引けた。

とにかく、礼を失するのは宜しくない。二人は示し合わせたかのように揃って頭を下げた。


「「ありがとうございます!」」



やがて運ばれてきた料理の香りと彩に目を奪われる。

色とりどりの香草や木の実の上に盛られた、見た目でパリパリとわかる皮の唐揚げ。

ふっくらとしたメインの塩焼きからは、立ち上がる湯気に香ばしさが宿っているようだ。見た目の迫力に一瞬たじろぐ頭の黒煮は、それでもなお艶めいた照り具合が、食欲を一層にそそる。

柳のカゴに山盛りに積まれた黒パンと、骨から出汁を取った黄金色のブロススープが、今宵の食事を更に豪華なものに見せている。


アウギュリエスが食事に感謝の言葉を口にする。

オリーとフレアも目を閉じ、手を組んで感謝の祈りを捧げる。

湯気と香りに包まれた食卓の上、いよいよ、待ちに待った食事が始まる。


まずは前菜のサラダに手を出す。

冷えた皿から立ち上るのは、木の実と香草が混じり合った香り。

脂を丁寧に処理し、最小限に粉を打って低温で揚げた唐揚げは、パリッとした食感とじんわりと滲み出る皮の脂の甘みが、香草のほのかな苦味と絶妙に合い、木の実の歯応えと相まって癖になる逸品であった。

全てを一緒に口にすることで初めて生まれる調和であったが、フレアは唐揚げだけ先に食べきってしまい、「葉っぱは苦手です」と言って、オリーの皿に香草を押し付けようとした。

オリーも、「前菜でお腹いっぱいにしたくない」と言って突き返したものだから、結局アウギュリエスの皿に、こんもりとした香草のサラダが完成した。

主菜一品目の塩焼きは香草で包み焼きされていて、ふっくらとした身をほぐすと、ほんのり甘みを帯びた蒸気が立ち上がった。

一切れ口に頬張ると、薄味ながら塩見を感じる中に、トラウトの素材の甘味が口いっぱいに広がった。調理が上手いのか、ルーミレルのトラウトだからか……、いずれにしても、この塩焼きは大正解だと言えた。

皿に添えられた柑橘を塩焼きに軽く絞ってから口に運ぶオリーを、不思議そうにじっと見つめていたフレアに、「後味が爽やかになるよ」と教えると、フレアはさっそく真似をして一口頬張った。

言われた通り、口に残っていたトラウトの甘味や脂が柑橘によって程良く中和され、口の中がさっぱりしたようで、「何て大人な食事の仕方です……」と言いながら頭を上下に振って感心していた。

見た目の迫力に一瞬気圧される頭の黒煮。

オリーもフレアも手を出すのに少し勇気がいったが、アウギュリエスの「身が溶ろけて美味しいですよ」という言葉に背中を押され、恐る恐る身をほぐし、そろりと一口味わった。

ほぐれた身が口内でとろんとほどけ、濃厚な味わいが口いっぱいに広がった。

思わず黒パンを手に取り齧りつく。

その傍らで、アウギュリエスが黒パンに濃厚な蜜醤を付けて口に運ぶのを見て、二人も真似をして黒パンを頬張った。

濃厚な蜜醤と黒パンの香ばしさ、とろりとほどけるトラウトの頭。気が付けば黒煮は皿の上から姿を消していた。

全てを食べ終えた後で、黄金色のスープで口を整える。

アラと背骨と、香味野菜を煮出した滋味深いスープは、一口すするたびに舌に馴染んだ旨味とともに、食事の余韻を静かに染み渡らせた。

今宵の食事を思い返し、自然と浮かぶ満足げな表情に、三人は顔を見合わせて笑い合った。

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