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私と彼女の物語 -Travelers of the Far Green Road-  作者: ORSBN.shu
第二部・青陽
26/52

2-1

緩やかに続く上り坂の先、まるで誰かが線を引いたように、空と大地の境界が横たわっているように見えた。しばらく続いた坂道が、あの場所で下り坂に変わるのだと教えてくれているようだった。

その境界線の上に監視塔付きの小屋が見える。丘を境に東西の監視を担っている重要な施設であることはすぐに分かった。


ここ数日を共にしている馬車は、王都に続く主要な街道を通って東に向かって進んでいる。

河に沿って続く街道は馬車の行き来を想定してか、道幅も広く、所々新しい石畳に交換されているところを見るに、整備も行き届いているようだった。

アウリスフレランスを出てから、ユースガリア王国中央東部領に入ってもなお続いた、左手の視界を覆っていた断崖は気が付けば背丈ほどの高さになっていた。境界線に行き着く前にはなだらかな草原に溶け込んでいるところを見ると、あの場所が断崖の起点なのだろう。

右手に広がる丘陵地帯は、ゆっくりとうねる丘が遠くまで続き、時折現れる小さな森や雑木林が緑の海に浮かぶ島のようで、旅の初めは見ていて飽きなかったが、その景色が何日も続いたせいで、その広大さに驚きを通り越して呆れてしまうほどであった。


天候にも恵まれ、馬車の調子も良かったのだろう。時折りすれ違う旅人との交流以外にこれと言った出来事も事件も無く、旅は順調そのもので、予定よりも数日早く次の目的地に到着できそうだった。

退屈と言えば退屈な旅ではあったが、ここ数日続いていた、変わり映えしない景色から解放されることが何よりも嬉しかった。

無意識に「ホっ」と声が漏れる。


「あそこに見える小屋で馬を休ませましょう。

 オリビア、フレイアを起こしてください」


御者台からの声に我に返る。

この旅に急遽同行してくれることになった恩師アウギュリエスが、御者台から車内に向けて声を掛けてきた。


昨夜までは二人交互に御者台に同席し、馬車の操縦を習っていたのだったが、昨夜の野営のせいか、あるいは朝早くに出発したことが影響したのか、いずれにしてもこの旅を始めて七日が経過し、旅慣れていない二人の疲労を見て取った恩師から、今日は車内で休むように指示されていた。


オリーはアウギュリエスの声に「はい」と答えると、向かいの席をベッド代わりにして眠っている幼馴染の親友に目を向けた。

狭い座席から落ちること無く、器用に行儀良く寝ている。無防備な寝顔に少々悪戯心を掻き立てられもしたが、後日仕返しされることは目に見えていたので、大人しく体を揺すって声を掛けた。


「フレア、休憩するから起きて」


休憩するために起きる、という自分が発した言葉に違和感を覚えながらも、構わずフレアの体を揺する。……休憩するのは馬だ。

しばらく無反応だったフレアは、馬車の揺れとは明らかに違う激しい揺れに気が付いたようで、「んあっ」と声を漏らしながら両の目を薄らと開いた。

自分を眠りから呼び覚ました相手を一瞥し、掛けられた言葉の意味を理解するのに少し時間が必要なようだった。


「オリー?……到着ですか?」


意味は通じていないようだった。

車内の中を一通り見回した後で、フレアがもう一度オリーの顔を見る。まだ寝呆けている表情だ。


「馬の休憩よ」


今度は意味が通じるように声をかける。

それでようやく理解したようで、今までの気怠そうな雰囲気から、一気に覚醒したかのように上体を起こして座席に座り直した。

この目覚めの良さは羨ましい限りだと思う。


この旅の道中、休憩の際にアウギュリエスから特別授業が開かれることがあった。

その名の通り特別な授業で、冒険者として必要な技術であったり知識であったり、魔法教師らしく魔法についてであったり、いずれにしても、二人の冒険者としての実力を格段に飛躍させるものであった。

特にも魔法に関しては、学校で行われる座学や実技などとは比べ物にならず、完全に実戦を想定した、言わば特訓のようなものであり、勉強好きとはいえない二人であったとしても、その探究心を刺激されるものであった。

否が応でも期待せずにはいられない。

おそらくフレアもそれを期待しているのだろう、いつも以上に寝覚が良いように見えた。


「お勉強の時間ですかね!?」


フレアが目を輝かせてオリーを見る。


在学中、二人は他の生徒から担当の教師がアウギュリエスであることを羨ましがられることがあった。

決して他の教師が劣っているわけではなかったが、元冒険者であり、魔法に長けた種族であるネルヴの彼から直接指導を受けることは、学内でも選ばれた者の特権だとか、あるいは名誉だとか、そいういった優越感のようなもの感じていたのは確かだった。


「魔法のお勉強がいいですね」


フレアが目を爛々と輝かせてオリーの手を取る。

授業を行うとは一言も伝えられていないが、もしあるとすれば、それは間違い無く自分達にとって有用なものである事は想像に容易い。

オリーもついつい授業ありきで口が滑る。


「野営地の決め方や方角の探し方も良いけど、動きの素早い相手とか遠くの相手とか、実戦向きの魔法授業がいいわね」


オリーの心も踊り出すような高揚感を感じていた。


程なくして、馬車が丘の頂上に見えた小屋へと辿り着いた。

アウギュリエスが御者台から降りて小屋に入っていくのを確認すると、二人は降車の声を掛けられるよりも前に馬車から外へ飛び出した。

丘の向こう側から吹き上がってきた、決して強くはない風が全身を包み込む。標高が高いせいもあって、心なしか寒さを感じないこともなかったが、眼前に広がる光景に二人はしばし言葉を失った。

緩やかな丘を下りながら広がる緑の農地、点在する森、そして中央に輝く大きな湖。その畔に立ち並ぶ豆粒よりも小さな建物は、そこが湖畔の街であることを物語っている。そして、その街の奥に優雅に立ち誇る城。決して豪奢な作りではなかったが、この地の領主の城であることはすぐにわかった。

その先は青白く霞んでいて、目指す目的地の海はまだまだ先であると思い知らされる。

王都への到着には、なお10日はかかる見込みだ。


「今日の目的地はあの街です」


景色を眺める二人の背後から、アウギュリエスが湖の畔を指差しながら声をかける。


「レイフォルス領レイフォルス、湖のほとりの街です。

 ここから先は下り坂なので急ぐ事は出来ませんが……」


そう言いながら辺りを見回す。


「丁度良い開けた場所もあります。

 少しくらい時間を使っても、夕刻には辿り着けるでしょう」


アウギュリエスの言葉がぼんやりと頭の中にこだまする。

ハッとしたフレアがオリーを見つめる。目が合った瞬間、二人はニヤリと笑いアウギュリエスへ向き直る。

そして声を揃えた。


「「よろしくお願いします!」」


特別授業が開かれるのだ。

アウギュリエスが笑顔を見せて頷いてから返事をした。


「先ずは昼食にしましょう」


アウギュリエスの言葉に、意気揚々と特別授業に向かおうとした二人は前のめりによろけそうになった。

肩透かしを喰らったような気分ではあったが、『昼食』という言葉を聞いた途端、空腹がにわかに主張を始めた。

今朝の食事を思い浮かべ、朝食と呼ぶには憚られるような、黒パン一切れを齧っただったことを思い出した。


馬車の荷箱から簡素な調理道具と食材を取り出す。

革袋の水を鍋に注ぎ、火にかけると同時に一口大に切った芋を放り込む。

干し肉を手でほぐし、香り付けの数種類のハーブとともに鍋へ入れる。やがて湯がふつふつと泡立ちはじめ、湯気に微かな香りが立つ。

味付けは干し肉の塩味だけという質素この上無いスープだったが、今夜は街でまともな食事にありつけるのだ。

今はただ、空腹を満たせればそれでいい。


すぐにでも特別授業を受けたい二人は、咀嚼する時間さえ惜しいとばかりに、黒パンを齧り質素なスープで流し込み、あっという間に昼食を平らげてしまった。

大地と天の恵みに感謝の礼を捧げた後で、アウギュリエスの食事が終わるのを今か今かと急かす様に見つめ始めた。

流石に二人からの圧力に根負けしたと言わんばかりに、結局アウギュリエスも早々に昼食を切り上げることになった。


「勉強熱心なのは感心なことです」


笑いながら調理道具や食器類を魔法でサッと洗い流す。濡れたまま荷箱に詰め込むわけにもいかず、温かい風の魔法を当てて乾かしてしまう。

つくづく魔法は便利な物だと思う。


食事を終えた三人は、小屋の裏手にある開けた場所まで移動した。

丘から山の頂上に向けて少し傾斜のキツい草地を眺めながら、アウギュリエスが思案するような素振りを見せた。

特別授業の内容を考えているのだろう。


「そうですね、今日は少し基本に立ち返りましょうか」


言いながらアウギュリエスが目を向けた先を、二人もつられるように追った。そこには、まるであつらえたかのような小さな岩がいくつも横たわっていた。

アウギュリエスは二歩、三歩と岩に向かって歩き、その後二人に振り返って言葉を続けた。


「魔法を発動させるのに必要な三つの段階……、説明は不要ですね」


第一に、顕現させる魔法の明確な想像。

次に、それを実体化させるための魔力の集中。

そして最後に、想像と魔力を結びつける合図。


想像が曖昧ならばそもそも魔法は発動しない。

魔力が不十分であればたとえ発動しても効果を得られずに消えてしまう。

十分な想像力と十分な魔力が整った時にのみ、機を逸せずに合図を出すことで、効果的な魔法を発動することができる。


「想像力という面では、二人はまだまだ伸びる余地があります。

 熟練の魔術士になるほど過去に囚われ、己が放った事のある魔法に固執してしまいます。これは想像力の欠如と言えるでしょう」


アウギュリエスが岩の方に向き直る。


「魔力については、……二人の場合、今の所なにも心配することは無いですね」


言い終えるのとほぼ同時に周辺の草木がザワザワと騒ぎ出した。

風が吹いているわけではない。大地が揺れている気配もない。それは目に見えない力が周囲に満ちていく、そんな感覚であった。

そして、そのざわめきの中心にアウギュリエスが立っている。

……まるで空間が歪んでいるかのような錯覚を覚える。


「魔力を集中する時間と発動のきっかけ。

 常に臨戦態勢でいるのは無理な話ですが、訓練次第ではこんなことも可能となります」


アウギュリエスが指先を軽く弾く。

パチン、と静かな音が空気を裂いた刹那、彼の傍に、馬の頭ほどもある巨大な岩が忽然と出現した。

それは、まるで風に揺れる羽のようにふわりと宙に浮かんでいるように見えた。

二人の視線が、アウギュリエスが顕現させた岩に引き寄せられる。

そして次の瞬間、その岩はブンッと風を裂く音と共に、丘の上の岩に叩きつけられた。


ゴッという重く鈍い音が響く。


残響の中、岩はまるで芯から断ち割られたように静かに真っ二つに割れた。

二人は目の前で起きた現象を、ただ口を開いて見つめていた。

以前フレアが女騎士に叩きつけた魔法に近いようにも見えたが、その大きさも威力も、そして発動までの時間も、まるで別物の魔法のようだった。


「もし……」


アウギュリエスが二人に向き直り問いかける。


「魔力も実力も同等の魔術士二人が戦った場合、勝敗を決する要因は何だと思いますか?」


問われた意味をそのまま受け止めるか、それとも深く読み解くべきなのか、アウギュリエスの問いが頭の中を駆け巡る。

その問いに先に答えたのはフレアだった。

フレアは満面の笑みで答えた。


「運です!」


全てが同等ならば、二人の魔術士がどうこうできる問題ではないだろう。もはや運任せにほかならない。フレアの答えは間違ってはいないだろう。

しかし、運よりももっと個人の力量が問われるのだとしたら……。

オリーはフレアが答えた後もしばらく考えていた。そして、半信半疑ながらも導き出した答えを口にした。


「小賢しさ?」


もう少し言い方があったのではないかとも思ったが、しかしまあ、言いたい事は大方そういう意味なのだ。

他に上手い言葉も見つからない。


二人の答えを聞いてアウギュリエスが笑みを浮かべる。


「どちらも良い回答だと思います。そして、おそらく二人とも正解です」


正解と言われたことに、二人はほっと胸を撫で下ろした。

その反応を見届けた後で、アウギュリエスはひとつ咳払いをして続けた。


「私の答えは、創造力です」


その言葉に、オリーとフレアの目がアウギュリエスに引き寄せられる。


「無から有を生み出す、あるいは新しいものを形にする。

 人は女神から力を授かってから数多くの魔法を創造し、魔法書や呪符によってそれを語り継いできました。ですが、女神の力には未だ具現化されていないものがあると考えます」


創造力……。

創造力の差が勝負の行方を左右する。それは、より多くの魔法を扱える者が勝つということなのか、それとも別の意味があるのか、二人は少し小首を傾げるような仕草でアウギュリエスを見た。

その仕草に気付いたアウギュリエスは、まるで胸中を読み取ったかのように、穏やかな表情で口を開いた。


「先程私が使用した魔法、地の初級魔法ですが、使用する魔力も集中する時間も、普段二人が使用している魔法の半分以下の負担で行使されています」


理解が追いつかないのか、二人は困惑した表情を浮かべる。


「魔力の使用は精神を疲弊させます。

 どれほど潤沢に魔力を持っていたとしても、常に魔力を集中し続ける事は容易なことではありません。

 だからこそ、ごくわずかな魔力で最大限効果が得られる術を考える必要があるのです」


アウギュリエスは微かに笑みを浮かべ、二人を見つめた。

ふわりとした雲を掴もうとするような、それでいて指先がほんの少し触れそうな、そんなもどかしさに二人は思わず顔を見合わせた。


「今はまだ分からなくても構いません。

 ですが、これから冒険者として歩む中で、必ず向き合うことになるでしょう」


明確な答えは与えられない。けれど、答えへと向かう道は示してくれている。きっとこれは自分自身の創造力で辿り着かなくてはならない問いなのだ。


「以前にも言いましたが、魔力の枯渇は命の危機を意味しています。

 魔法は魔力だけでなく、精神も疲弊させることを忘れてはいけません。くれぐれも無理はしないでください」


アウギュリエスはいつものように静かに、そして何気ない口調で最も大切なことを伝えた。


その後もしばらくの間、二人の魔法特訓が行われた。

二人の創造力の探究の始まりであった。



魔力の流れが静まり、空気が穏やかさを取り戻した頃。アウギュリエスが穏やかな口調で特別授業の終わりを告げた。


「そろそろ移動しましょう」


二人の愛弟子は肩で息をしながら、それでもまだやれると言いたそうな表情でアウギュリエスを見つめる。

しかし、それを見てもなお、優しい表情のままアウギュリエスは首を横に振った。

肉体的には疲れていない、それでも、頭が霞みがかったような感じがして、何となく視界もぼやけているような気がする。

魔法を打ち過ぎた結果なのだろう。


魔力を抑えつつ放った魔法に威力は無く、現れた魔法は効果を発揮することなく消え、ようやく岩までたどり着いた石礫は、弾かれることもなくその場に落ちた。

師の真似事をする事すらままならない。

全力で放つ事ができれば、岩を削ることぐらいはできただろう。しかし、それでは意味がないのだ。


疲弊し切った体を引き摺るようにして馬車まで移動する。けれども、この疲労感は気持ちの良い疲労感だった。

どうにかこうにか体を車内まで持ち上げると、そのまま座席に倒れ込むように横になった。


「……先生の魔法は少しおかしいのです」


フレアが独り言のように呟いた。

オリーもその意見には同意していた。しかし、それ以上に『おかしい』では言い表せない、全く別の魔法を見せられた気分だった。

あの魔法がアウギュリエスの創造の結果だとすれば、自分達もいつかは同じような魔法を使うことができるのだろうか……。

思考を巡らせようとしたが、何度も魔法を放った影響でうまく考えがまとまらなかった。


「少し、じゃないわね……」


答えるつもりはなかったが、オリーの口からぽつりと言葉がこぼれた。

それがフレアに届いたかはわからない。二人は馬車が動き出すよりも先に、消耗しきった精神を癒すように深い眠りに落ちていった。


馬車が動き出す。緩やかな下り坂を、レイフォルスの街に向かって。

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