プロローグ
第二部もよろしくお願いします。
目の前に広がるのは静寂に包まれた白い広間。壁も天井も、まるで世界から色を奪われたかのように淡く虚ろだった。
その広間の中央に、古の文字が絡み合うように描かれた紋様が床に刻まれている。人が数人乗れる程の大きさのそれは、おそらく魔法を起動するための印であり、魔法の力によってこの塔の上階へ移動するための物であると直感が告げる。
案の定、足を踏み入れてすぐに鈍い音が鳴り響くと、紋様を模ったぼんやりとした光が足首辺りまでふわりと浮かび上がった。
ゆっくりと、一歩一歩確実に歩を進める。
紋様の中央に辿り着いたところで、光は一際輝きを増し、幾重にも重なって勢い良く上方に伸びていった。
……目を閉じる。
瞬間、身体がふわっと持ち上げられたような感覚を覚える。私は上階に運ばれるのだ。
僅かな耳鳴がしばらく続いた後で、それが落ち着いた頃に、自分の身体が目的の場所に到着したのだろうと何となく察した。
兎角何かを警戒するわけではなかったが、即座に動けるよう身体のこわばりを解きつつ、静かに目を開いた。
高い天井とそれを支える等間隔に配置された柱。長く続く廊下。私の到着を待ちかねていたとでも言いたそうな、仰々しい甲冑に身を包んだ衛兵二人の姿が目に入る。
天井と壁の間、僅かな隙間から微かに差し込む日の光が反射しているせいだろうか、まるで氷の中にいるかのように辺りは青白く染まっていて、窓ひとつ見当たらないこの空間にあっても、不思議と明かりの不足は感じられなかった。
しかし、そんな感想に浸る間すら惜しいと言わんばかりに、衛兵は私の左右に移動し否応なしに前へ進むように促してきた。
仕方なしに歩き出す。
歩くたびに鳴り響く衛兵の鎧が擦れ重なる音が何とも耳障りだ。
長く続く廊下は緩やかに左に弧を描くように続いている。
終着点が見えず多少心配になりながらも前に進んでいたが、しばらくして衛兵よりは軽装な門衛が姿をあらわしたことで、目的地にたどり着いたのだろうと安堵した。
背丈の倍以上はある重厚な扉が、門衛によって軋むような音を立てながら少しずつ開かれていく。
隙間から差し込む逆光を浴びて一瞬真っ白な闇に囚われた。
徐々に回復していくぼやけた視界が鮮明になるにつれ、開かれた扉の先が顕になっていく。
鏡のように磨かれた皓々とした天然石の床。広間の中央から奥に向かって半円状に伸びる金糸で縁取られた真紅の絨毯。そして、四方を取り囲む見渡す限りの屋外の景色。
一瞬、外に踏み出したのではないかと錯覚に陥る。しかしそこは紛れもなく広間の内部であり、その証拠に風が吹き荒ぶ気配も無く、陽の温もりも無い。上階とはいえ街の喧騒さえ届かない。今目にしている景色は紛い物であるかあるいは、壁や天井を透過して見せられているものなのだろう。
そしてこれも、おそらくは魔法の類による物だ。
広間の奥には、等間隔に配置された無意味と思える天高くそびえる六本の柱が見えた。
あれが暗に六柱の女神を模しているのだろうと想像はつく、しかし、あまり趣味の良いものではないなと心の中で悪態を吐きながら、両脇を堅める衛兵に続いて広間の中央に向かって前に進んだ。
絨毯の手前で衛兵が立ち止まる。
腰に帯びた剣を下ろすと、彼等はその場で跪き首を垂れた。
衛兵がチラリとこちらの様子を窺ってくる。まぶかに被った頭巾のおかげでこちらの表情を悟られることはないだろう、あからさまに億劫そうな顔をしながら衛兵を真似て跪いた。
倣う必要は全くない。
崇める神は目の前におらず、願いを乞う相手がいるわけでも無い。しかし膝を屈するだけで事を円滑に進めることが出来るのであれば、何も躊躇うことはない。
造作も無いことだ。
広間に響いていた床を蹴る乾いた足音と、衛兵の甲冑の金属が擦れる音が止む。しんと静まり返った部屋のせいかそれとも残響のせいか、静寂の音が耳奥に突き刺さるような違和感が残る。
数分も続いただろうか、静寂は六本の柱の前に現れた仄かな光の振動によってあっさりと打ち破られた。
それぞれの柱にそれぞれの女神を象徴する色の光が輝きを増していく。そして数瞬の後、その光の中に人影が姿を見せる。
アディリア六王国、ユースガリア、ダナグ、アルメア、アイゼサント、ザーローン、シルエリン・アルールの王等であった。
ここはあらゆる物が魔法で制御されている。あれもそのうちの一つに違いない。もはや驚くことは何一つ無いと半ば呆れた。
「下がってよい」
中央の柱、白く輝いた光の中から現れた人物が声を発する。
長い白髪と顎髭、頭上に黄金の冠を戴いた老年の男。ユースガリア王国の国王は金の装飾が施された真紅のローブから手を出し、私の両脇で跪いていた衛兵に下がるように命じた。
護衛もなく私と対峙して差し支えないのかと頭を過ったが、もとより己の身を守ることなど念頭にないのだろうと思い至った。
そもそもが儀礼的なものだったのかもしれない、私に対して衛兵がいようがいまいが、二人と言わず十人、百人だったとしても、何の抑止力にならないことを彼は重々承知していたのだろう。
「よくぞ参られた」
そう言いながらこちらに視線を移し、一歩二歩と前に歩み出た。
全く警戒する素振りすら見せない堂々とした振る舞いは、王と呼ばれるに相応しい畏敬の念を抱かせるのに十分な態度であった。
しかしながら余りにも無警戒なそれは、生殺与奪を含めた全てを私に預けてしまっているような危うさで、少しばかり動揺し心配になるほどであった。
「本来ならば、我らが貴殿の元へ赴くべきところであろう。
しかし赴くどころか、我らの至らなさにより出向くことも叶わず……」
頭を振る仕草が自身の不甲斐なさを嘆いているようにも見えた。
「それでもなお、我が声に応じてくれた、心よりの礼を申す」
彼の言葉をどう受け止めたらよいものかと逡巡する。
策略や謀略の元、手ぐすねを引いて待ち構えていたのではないかと、邪推してしまいそうにもなったが、彼の行動を見るに、歓迎されてはいないまでも、言葉通りに受け取るべきかなのかもしれないと頭をよぎる。
そしてそれはおそらく、後者が正解なのだろう。
「楽な姿勢で構わない。
そもそも我々に跪く理由もなかろう」
その言葉を聞いて、苦笑しながら立ち上がる。形式的とはいえ膝をついて出迎えたと言うのに、まるで意味がなかったようだ。
ユースガリア王はその姿を見て一つ頷いた後で、チラリと後ろに控える他の国王等を見る。
彼にただ同調しているわけでも無く、かと言って屈している風でもなく、他の国王等も一様にその意見に賛同しているような表情を浮かべている。
放浪の魔女から受け取った書状は、ユースガリア王国の封蝋によって封印がなされていた。
高品質な羊皮紙のそれには、王国間の戦場へ介入した真意を示すことと、対話を求める内容が記されており、アディリア六王の印章が押されていた。
それが公式な書状であるという確証はなかった。
それでもこの場に赴いたのは単なる気まぐれで、胸の奥に微かにくすぶった郷愁に気付かないふりをしていれば、ただ魔が差したのだと自分を納得させることはできる。
……それで良いと思った。
六王国が不毛な争いを始めたのには理由がある。
理由も無く争うはずもなく、その原因が自分に有ることは自覚している。当時の自分の浅はかな行動が思い出されて、自分に些か腹も立つ。
だからと言うわけでは無く、かと言って罪滅ぼしというわけでもなかったが、私はあらゆる戦場に赴いて争いを終わらせるために手を尽くした。単純に、辺り一面なりふり構わず全てを蹂躙しただけではあったが、その影響かいつしか神話に登場する神に準えて「灰の魔人」などと呼ばれるようになっていた。
功を奏してと言えば聞こえは良いが、無益な争いは終わり、世界中の負の感情は全て私に向けられるようになった。
もっと他に良い方法があったのでは無いかと、今でも時折り後悔に似た思考が頭をもたげることもあったが、大方思惑通りに事が進んだことには、ある種の満足感の様なものを得ていた。
「灰の魔人よ、聞かせて欲しい」
ユースガリア王が頭巾の奥に隠れた私の表情を伺うように視線を向ける。
「アディリアの支配を求めず、何の大義も掲げぬまま戦場に介入し、戦火を払い大穴を穿った。其方には何一つ益があるとも思えぬのだが……その真意を聞かせてもらえるか」
彼の言うところは至極真っ当だ。
彼等からしてみれば、私は敵味方なく全てを薙ぎ払う破壊者にしか見えなかっただろう。見る者によっては救世主と映っていたかもしれないが、それは余りにも都合が良すぎる捉え方と言うものだ。
彼の質問に対する返答に苦慮する。
贖罪と呼ぶにはあまりにも多くの血を流しすぎた。未来を見据えて選んだ道とはいえ、それでも奪った命の重さは計り知れない。
しかし、熟考する時間は無いだろう。素直に伝えるべきなのだと思い至った。
口を開く。
その声に広間の王等が一瞬どよめいたような気がする。
「……私に力を託した、神の願いを果たすため」
ユースガリア王の目がかすかに細められる。
彼ならば気付いてくれるだろうと、ほんの少し期待していたのは間違い無い。多分、私はそのためにここに赴いたのだ。
「世界を滅ぼす気など、初めからありません」
頭巾を外し王等にまみえる。
彼の驚きは薄れ、疑念はほぼ確信へと変わったようだ。
「兵を欺き、民を騙し、歴史を歪める覚悟があるのならば……私の命を貴方に委ねます。」




