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彼がベルトン邸に着いた時、そこはすでに、大方の決着ついた状況だった。
冒険者協会からの急の要請に、取るもの取らず急ぎ駆けつけてはみたものの、完全に後手に回ったと溜息が漏れた。
捕獲対象のランク10冒険者達は、一名を除いた他三名が、死亡または戦闘不能であった。
その状況を作り出したと思われる対峙した冒険者達も、一人の少年を除いて、他は全て戦闘不能の状態であった。
何があったのか、全くもって見当がつかない状況ではあったが、おそらく、激しい戦闘が行われたのであろうことは、現場の惨状から推測することはできた。
彼等が足止めをしてくれていなければ、ランク10冒険者達には、とうの昔に逃げられていたことだろう。
冒険者協会の手際の悪さに、また一つ溜息が漏れる。
「早急に、アルメアの後継を探す必要がありますね……」
状況は良くはないが、今は対象を捉える必要があった。
生死は問わないと言われてはいたが、情報を聞き出すには、生かしておかなければならないだろう。
唯一無事と思われる女魔術士を目の端で捉えながら、特に身を隠すふうでもなく、惨状を眺めながら近付いた。
その女魔術士は、少年に詰め寄っている最中だった。
聞こえてくる言葉から判断するに、『助かりたければ言うことを聞け』ということらしい。
高ランク冒険者が吐くセリフとは思えない、何とも下等な三下台詞だと呆れてしまう。
詰め寄られている少年は、倒れた二人の少女を守るように盾を構え、女魔術士に抵抗するように、強く握りしめた剣の切っ先を向けていた。
どちらが冒険者として相応しいのか……。明らかに後者の少年だ。
二人の少女のうち、一人は良く見知った少女だった。
オリビア・オースバン。
アウリスフレランス領の領主の娘で、愛弟子とも言える、優秀な教え子の一人だ。
何故ここに彼女がいて、そして、倒れているのか。もう一人の教え子も此処にいるのか、考えながらも、ざわざわと血が騒ぐような感覚に襲われた。
「どちらさま?」
近付いてくる存在にようやく気が付いたのか、女魔術士がこちらを見て尋ねてきた。
その手に持つ杖には、好意的とは捉え難い光が淡く宿っていた。
こちらの返答次第では、容赦無く攻撃を仕掛けるのも厭わない。細めた目は、明らかにそう言っていた。
「冒険者協会の者です」
ざわつく気持ちを抑え、相手を刺激しないように両手を広げ、敢えて笑顔で答えた。
抵抗しなければ、ことを荒立てる必要はない。まして、生きて捉えることを前提とすれば、戦闘は避けたい所だった。
しかし女魔術士は、首を傾げながらも警戒を解く素振りを見せなかった。
少年に向けていた身体を反転させ、半ば戦闘体制といっても間違いない構えを見せながら、質問を重ねてくる。
「……冒険者協会が何の用?」
こちらの身分を疑っている様子はないが、動揺しているのはわかった。
女魔術士の目に、焦りの色が見える。
ちらちらと少年を窺っては、何か言い出さないか不安で仕方がなさそうだった。
惚けてこの場をやり過ごそうとしているようだが、残念ながら身元は割れていた。協会の手際の悪さが功を奏した形となったか、ランク10冒険者達については、十分過ぎるほど調べ上げられていた。
今更何を言い出した所で、結果は変わらない。
「アルメア王国所属の、ランク10冒険者達の捕縛に来ました。
抵抗はしないでください」
無駄な問答は必要ないと判断し、簡潔に目的だけを伝えた。
瞬間、女魔術士の杖を持つ手が、ほんの少しだけ少年に向いて動いた。
自身の正体が気取られていることに焦ったのだろう、杖の光が一瞬明るさを増した。
その一瞬を見逃すことなく、指先をパチンと鳴らす。
少年達の周囲に分厚い魔法障壁が張られる。それは、並の魔法程度では破ることなど不可能なものだ。一目見ただけでわかるだろう。
女魔術士は不用意に動いたその手を、もう一方の手で堅く掴んだ。
「八つ当たりは褒められませんよ」
「ちっ」と舌打ちしながら不愉快そうな顔をする。
素直に捕まる気など無い。そうとでも言いたそうに、杖を前方に突き出した。
「……従わないと言ったら?」
そう言って、女魔術士が抵抗する意思を見せた。
紅い光を湛えた杖を頭上に掲げ、数瞬魔力を溜め込んだ後で、前方に向けて杖を振り下ろした。
辺りを焦がすような、熱気を纏った無数の炎の矢が襲いかかってくる。
魔法に長けている者であっても、それを防ぐのは困難だっただろう。高速で一直線に向かってくる炎の矢に、為す術もないように思われた。
しかし、それに対して彼は、指先を少し上に動かしただけだった。
その動きに呼応するかのように、地面から分厚い水の壁が、轟音とともに一瞬で現れた。
炎の矢は、その全てが水の壁に吸い込まれ、そして何事も無かったかのように、水煙を残して消えた。
女魔術士が水煙に霞む相手を呆然と眺めている。
筋は悪くない。
十分な実力は持っているようではあったが、例え本気で挑んでこられた所で、擦り傷一つ負う気もしなかった。
「もう一度言います。抵抗しないでください」
その言葉を受け、はたとして女魔術士がこちらを睨む。
しばし何かを考え込んでいるようだったが、何か意を決したのか、不意に声をあげた。
「私の名は……」
「名乗らなくて結構。あなた個人に塵程の興味もありません」
その声をあっさりと遮る。
女魔術士が呆気に取られたように、口を開いたまま言葉を失っている。その顔は次第に憎悪に歪み、怒りにまみれた表情でこちらを睨みつけた。
それが切っ掛けだったのかは分からないが、女魔術士から、じわじわと魔力が染み出すのが感じられた。
それは徐々に勢いを増し、ほどなくして、濁流となって身体から溢れ出るのが目視できる程になった。
無尽蔵に流れ狂う魔力だったが、女魔術士を満たしているようには見えなかった。
魔力を失った魔術士の最後の手段。
もしくは、自身の許容を遥かに超えた魔力を欲した者の奥の手。
「源泉を開いたのですか。
……少しだけあなたに興味が湧きました」
そう言って、腰に帯びた剣を抜く。
「源泉を開いた者で、こちら側に戻って来られた者を数人知っています。
魔力に取り憑かれずに、戻って来てくださいね」
視線は鋭く、女魔術士を窺う。
いったいどれだけの魔力が流れ出ていることだろうか。
女魔術士の許容を遥かに超えた魔力が、だくだくと、止め処無く溢れ出ているのが見える。
あの状態ならば、想像し得るいかなる魔法でも、際限なく放つことができるだろう。
女魔術士が杖を掲げる。
杖がそれに応じて煌々と光を湛えた……。
そして、振り下ろした杖に従い、具現化された力の暴力が襲いかかってくる。
うねる炎の激流が現れる。
触れた者は、例外なく消し炭なるであろうそれを、先程と同じ様に指先を動かし、先程よりも更に分厚い水の壁でもって消し去った。
続けざまに次の魔法が襲ってくる。
周りの地面が隆起し、無数の石柱が勢い良く彼に向かって迫り上がる。
直撃すれば身体に風穴が開き、掠っただけでも肉を削ぎ落とされかねないそれを、剣に宿した風で全て切り倒した。
さらなる魔法が襲う。
幾重にも連なる水刃が、弧を描くような動きを見せながら、身体を切り刻まんと乱舞する。
飛沫だけでも掠り傷では済まされないであろうそれを、全身に纏った炎の外套で、全て受け止め蒸発させた。
頭上に巨大な竜巻が姿を現す。
竜巻の筋が足元に達し、すべてを巻き込み、切り刻み、跡形もなく消し去る風の刃が、辺りを高速で回りだす。
轟々と吹く風の中、彼は指を鳴らす仕草を見せた。その音は聞こえなかったが、瞬間、竜巻が中心から弾けるように消滅した。
なおも女魔術士は魔法を繰り出す。
烈火の如き炎の壁が迫り、山を思わせる巨大な岩石が降り注ぎ、鋼鉄のような無数の水の針が放たれ、何倍にも膨れ上がった重力のような気流が圧し掛かる。
幾度と無く強力な魔法が放たれた。
『真理者』と呼ばれる、最高位の称号を持った魔術士であったとしても、その全てを耐え抜くことが出来たか定かではない。
髪の毛一本残すこと無く、存在が消滅していたかもしれない。
しかし、彼の前では、それらの魔法は全てがことごとく無に帰された。
静寂が辺りを包み込んだ。
「火には水、水には地、地には風、風には火、魔法の基礎です。
もちろん応用は必要です。水に業火、風に氷結、地に……」
女魔術士の方をちらりと見る。
目は正気を失い、左右の視線は定まっていない。
黒髪はすべて色が抜け落ち、口元からはだくだくと唾液が垂れ落ち、全身からは汗とも体液とも見分けのつかないものを噴き出している。
両腕は肩からだらりとぶら下がり、立っているのが不思議な程に、全身の力が抜けているように見えた。
放たれた魔法は、そのどれもが彼女の持つ魔力の限界を超えていた。
全てが強大な魔法だった。
故にその反動は凄まじく、女魔術士の状態は、その凄惨さを体現しているようでもあった。
「戻ってこれませんでしたか……」
小さく溜息を吐く。
こうなっては、情報を聞き出すなど到底できない。
女魔術士のそばまで歩み寄り、力なく立ち尽くす身体をそっと座らせる。まったく抵抗がない。
魔力を渇望し取り憑かれた者の成れの果てだ。
「少し期待しましたが……残念です」
そう言って女魔術士の瞼を下ろすように目を閉じさせた。
傍らで少女達を必死に守り抜いた少年を見る。
夢現と言ったような表情でこちらを見ている。無理も無いだろう、源泉を開いた魔術士の魔法など、そうそう見られるものでは無い、その結果の術者の有り様に至っては、見なくて済むのならば見ないほうが良い。
呆然としている少年に語り掛ける。
「ご苦労さま。
オリビアと、そちらのお嬢さんは眠っているのですか?」
少年がはたとして片膝をついて礼をする。
味方であると告げたわけではないが、冒険者協会と名乗った上に、傍らで眠る少女の名前を告げた。
味方と判断されてもおかしくはない。実際敵でないことは確かだ。
「アルノルドと申します。助けていただき感謝いたします」
深々と頭を下げる。
結果的に助けた形とはなったが、助けに来たわけではない。礼など不要だと笑顔を向けた。
「私はアウギュリエス、オリビアとフレイアの元教師です」
簡単な自己紹介をしたところで、アルノルドの緊張の糸が解けたようだった。
今に至るまで、どれほどの重圧に抗ってきたのだろうか、腰が抜けたようにその場にへたり込んだ両脚は、ガタガタと震えていた。
「アルノルド、それで、一体何が起きたのですか?」
何とか立ち上がろうと奮闘していたが、身体に全く力が入らないのか、座り込んだままこちらを見上げた。
「無礼な格好で失礼します」
アウギュリエスは問題ないと合図を送った。
「ここへは、うちの冒険団の団長が耳にした噂話を確認するために来ました……」
安堵のせいか饒舌になったアルノルドは、アウギュリエスが来るまでに起きた、自身が知り得る全てを話した。




