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1:個体 No.1 調整ログ(2)

 歩き出した俺は、食堂で昼食用の合成食料を受け取ると、そのまま空いている座席には目もくれず出撃出口へと足を向けた。食べながら早足で行けば、まだ間に合うだろう。


 研究員や作業用ロボットの間を縫うように進む。何人か声をかけてくれる者もいたが、俺は軽く手を上げるだけで通り過ぎた。出撃直前だからか、皆それぞれの作業に追われている。気づけば、つられるように走り出していた。


 視界が一気に開ける。間に合った。


 そこは、天井の高い吹き抜け構造の空間だった。最終素体の変異のために確保された空間のため、施設の他の区画とはスケールからして違う。俺が向かったのは、その中腹ーー壁面からせり出した観測デッキだった。空間を跨いだ向かい側には、階層を跨ぐほどの隔壁。鈍く光るタングステン合金が、今は外界を完全に遮断している。しかし、隔壁の周囲の配管からは蒸気が噴き出し、低いうねりを伴う振動がここまで伝わってきていた。どうやら、今回の出撃のため、開放準備が着々と進んでいるらしい。


 ここからなら出撃する彼らを一望できる。そして皆が忙しい今なら、誰もいないはずだった。足音を殺して滑り込む。しかしそこには、見慣れた顔が一つあった。


「やあ、NO.4。」


 無視をするのも失礼だと思い、声をかけてから、ある程度距離をとって横に行った。彼女の呼び名を間違えることはない。俺たちの順位はそのまま評価コードになっている。ここ1年ほど、彼女の位置は動いていない。本人もそれに苛立っているのか、以前の様な堂々とした態度は影を潜め、いつも余裕がなさそうだった。手すりに頬杖をつき、手の甲に顎を載せたまま、今入ってきた俺を責めるように見てくる。相変わらず、敵意のこもった視線だ。大きく澄んだ目で、まっすぐこちらを射抜いてくる。


「君も見にきたんだ。隣、失礼するよ。」

「…..。」


 彼女は一瞬、何か言いかけた。だが、俺が薄く笑みを浮かべたまま視線を返していると、やがて苛立ったように口を閉じ、不機嫌そうに前に向き直した。


 それにしても、と場違いな感想が浮かぶ。眉間に皺を寄せ口元を歪めていても、極めて整った目鼻立ちは隠しきれていない。肩の下まで伸びた髪は前髪を作らずそのまま流され、無造作に見えるが光をよく拾っていた。どこか、彼女の妹を思わせる。体には俺と同じ黒い被膜。一見して硬質な装甲のようでありながらわずかにしなり、輪郭を正確に拾ってしまう。厚みのある部分と引き締まった部分の対比が、妙に際立っていた。本人はまるで気にしていない様子だが、見ているこちらの方が、少し落ち着かなくなることああった。


 視線を外し、三階層ほど下の床へと落とした。その中央に、巨大なプールがある。

 

 黒銀色の複合液が、縁のすぐ下まで満たされていた。もうすぐで臨界に達する。静止しているように見える表面は、よく見れば完全には止まっていない。わずかに遅れて波が生じては戻り、その周期はどこか生体の鼓動に似ている。いくつものパイプが接続されているが、今は新たな液の流入はなかった。その縁に沿うように、初期出撃をする約三十人の実験体が、二列で整列していた。空間自体は広いはずなのに、プールが大半を占めているせいで足場は思いのほか狭そうだ。背丈にばらつきはあるが、顔ぶれは全員同年代で、俺と同じ黒い被膜をまとっている。

 誰一人として私語はない。視線は例外なく一点に固定されていた。その先に立つ三人のうち、中央にいるのは父さんで、その両脇に評議会の人間が一人ずつ並んでいる。


 父さんが口を開く。


「我らメシア機構にとって、”企業”は憎き対象だ。」


「奴らがドームを築いてから三十年。選別されたわずかな人間だけを内に囲い込み、それ以外を切り捨てた。適応できない者を外へと放逐し、なおかつ汚染を垂れ流しながら、自らを救済と称している。」


「——滑稽だ。あれは人類を延命させる装置ではない。緩やかに殺すための構造だ。」


 父さんが一拍置く。NO.4も、名も覚えていない下位の子たちも、真剣そのものの面立ちで父さんを見つめている。そして、おそらく俺も。


「だから一度、壊す必要がある。」


「その上で、我々の技術によって再構築をする。正しく運用される生存圏としてだ。」


 父さんの視線が、整列した実験体をゆっくりとなぞる。


「そのための手段が、君たちだ。何者も代わることができない。」


わずかに口調が緩ませた。


「…..怖がる必要はない。君たちは、そのために作られている。」


「子どもたち、ぞんぶんに戦ってきなさい。」 


 実験体たちは、それぞれに声を上げて応えた。返事をする者もいれば、無言で敬礼する者もいる。けれど、その表情には共通して、抑えきれない高揚が浮かんでいた。今すぐにでも戦いに飛び出していきそうな、そんな熱だ。流石、我らの父さんだ。昔の大戦で、英雄と呼ばれていただけあって、俺たちの情を抜きにでも、その立ち居振る舞いには一切の無駄がなかった。俺たちが戦う理由なんて、結局は単純だ。あの人を敬愛し、認められたい。


「ずるい」


 ふいに、横から小さな声がきこえた。NO.4だった。場違いな一言に思わず視線を向けると、さらに驚く。彼女は父さんの方を見たまま、どこか寂しそうに目を細めていた。普段のきつい表情からは想像できない顔だった。


「ずるい、って?」


 視線をこちらにやっと向けて、彼女は俺がいることを思い出したようだ。小さく息を吐いて、話題を変えるように言う。


「ドームに行けば、NO.5に会えるかもしれないじゃない。」

「そうだけど、君は連絡を取り合っているんだろう。彼女も元気そうだ。」

「それだけじゃ足りない。心配なのよ。私の妹なんだから。」


 わずかに間を置き、彼女が続けた。


「それに、初期出撃の人たちは今お父様に声をかけてもらってる。あなただけはいつもでしょう。私なんて....ずっと話していないのに。」

 

 やっと、彼女の当初の言葉が意味していることがわかった。同情のようなものが浮かび、すぐに押し込めた。そんなものを見せたら、プライドの高い彼女は烈火の如く怒りだすだろう。俺は殺されるかもしれない。


「彼らはどうせ、ドームで死ぬまで戦うんだ。最後くらい、それくらいは――」

「だよなあ、弱いくせして願望叶えちゃってるのは頂けないよなあ!?」


突然後ろから大きな声がかかった。そちらを振り向くと、No.3だった。いつのまにかいたのか。観測デッキの出入口に寄りかかり、こちらを見つめている。


「声の大きい馬鹿ね。」


 NO.4は吐き捨て、眉間の皺を谷が如くいっそう深く刻む。


 NO.3はそれに反応しない。無視というより、最初から価値のない雑音として切り捨てていると確信させる迫力がある。ゆっくりと大股で観測デッキへ踏み込んできた彼の口元には、いつもの不敵な笑みがあった、値踏みをするような目で、周囲をひととおり見渡している。


 相変わらず、目立つ奴だ。うなじにかかる一房の長く残した髪は、本人はおしゃれのつもりなのだろうか。


 階下へ視線を落とすと、案の定だった。声が届いてしまったのだろう。出撃個体たちの動きに、明確なゆらぎが走っている。デッキを見上げる視線がいくつも刺さった。会釈する者、動きが止まってしまっている者。さっきまでの高揚が削がれ、露骨に表情を曇らせている子もいた。それでも視線は外れない。畏怖、羨望、憧憬ーー混ざり合った視線の中には、見慣れた感情がこちらに向けられていた。


「人が嫌な気持ちになることは、言うべきじゃない。」


「あぁ?うるせえな。雑魚に雑魚つって、何が悪いんだよ」


 NO.3は気に留めず、そのままデッキの縁へと身を乗り出した。その瞬間、視線の質が変わる。不遜さから打って変わり、純粋な敬意だけの、濁りのない、まっすぐな光を帯びた目で階下を見渡している。自分に向けられる視線など、まるで眼中にない。


「父さんは....もういないのか。あーあ、そりゃ忙しいか。」


「ほんのさっきまでいたよ。出遅れたね。」


 声をかけると、露骨に厭わしそうに舌打ちして、こちらを見やってきた。


「気持ちわりぃな。アンタにはなんもきいてねえよ。贔屓されてるから、父さんの予定は全部把握済みかよ。」


「....僕は、贔屓されていない」


「白々しいなあ?ほんと、気持ち悪い奴。」


 振り向いたNO.3は、不機嫌そうに顔を歪め、器用に皮膜の表面にポケットを構築して手を突っ込んだ。こちらを見据えてくる。


「まあ、今アンタがNO.1なのは事実だ。だが今日は勝つ。最終素体に選ばれるのは、この俺だ。」


 迷いがない。本気で確信しているのは滑稽かもしれない。でも、その目を見ていると、一瞬だけ錯覚する。本当に選ばれるのは、彼じゃないか、と。何も知らないのは哀れだ。それでも、無根拠な自信は昔から変わらない美点だ。そういうところは嫌いじゃなかった。


 NO.3は視線を外し、背を向けて歩き出した。


「遅れんなよ、NO.1。そろそろ訓練の時間だ。」

「君こそ、NO.3。息を切らした君に勝っても、面白くない。」


 わずかに肩が揺れた。笑っている。それでも声は低く、真剣だった。


「.....殺してやる。」


 そういうと、NO.3はすれ違いざまに、後ろに残っていたNO.4にも声を投げた。煽りながら、小馬鹿にしたような声だ。


「なんで今、出撃してねえんだよ。少しは父さんの役に立つために、頭使えよ。」

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