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1:個体 No.1 調整ログ(3)

 デッキから出た俺は、待機ブースの前に立った。


 NO.3から罵倒を浴びせられたNO.4のことは気がかりだが、切り替えなければならない。あの子は強い。これまでも似たような場面で声をかけたことはあるが、結果はいつも最悪だった。かえって逆効果なのか、「死ね」「殺してやる」ーー追い詰められた涙目で最後にはそう吐き捨てられるのを、何度も繰り返してきた。心配だが、最近ではほうっておいた方が傷つけない、という結論に辿り着いていた。それに今は、NO.3は集中を欠いたままで勝てる相手ではない。

 

 スキャナーに生体データをかざし、開いた扉の奥へ踏み込む。無音の空間に、規則的な足音だけが響いた。


 待機ブースは五メートル四方の立方体のような空間だ。中央には直径二メートルほどの円形水槽が据えられ、その外周に複数のモニターが設置されている。扉脇に照明スイッチはあるが、モニターの青白い光だけで十分だった。壁面はチタン装甲に隙間なく覆われ、天井の換気口には分厚いシャッターが下りている。もっとも、暴れて内部を破壊しようとする実験体はいないが。

 

 水槽へと続く短いステップを上がり、縁の前で片膝をつく。身を乗り出しても、底を見通すことはできない。満たされているのは見慣れた液体だった。


 大切なものに触れるように両手を差し入れ、慎重にすくい上げる。脈の微細な振動が伝わり、温かい。かすかな粘性を帯びたそれは、人工的な淡く青い光を受けながら掌からゆっくりと滴り落ちた。


 複合液。それは、生体に適合するよう加工された金属微粒子と、分化前の細胞ーーいわゆる原形細胞が結合した、人工の半流動体だ。脳内端末から神経を通じて指令を送ることで、細胞の配置や結合状態が切り替えることができる。俺たちが体を変形できるのは、この複合液が体の大部分を構成し、必要に応じて細胞を組み替えるためだ。

 

 右手を再び水面に沈める。


 力を抜き、揺れる水面を見つめながら、無意識に脳内のメッセージ画面を開いていた。新着はない。ある一人とのログを呼び出すと、口元がわずかに緩んだ。他愛もない、なくても困らない短文の積み重ね。待機中は目を通すことがいつのまにか習慣になっていた。”彼女”から返信が来ていれば簡単に返し、なければ履歴をなぞる。こうするといつもより戦闘効率が上がる、気がする。


そろそろだ。気を入れなくてはならない。


 目を閉じ、余計な視覚情報を遮断する。意識を内側へ沈め、脳の奥に格納された制御プログラムを呼び出した。皮膚の内側で何かが目を覚ます感覚。体内で保持できる複合液には体積的な限界がある。その制約を補うには、外部にも増設すれば良い。


〈身体構造変異プロセス、起動〉


 思考の主導権を、大脳新皮質上に増設された生体演算領域『脳内端末』へ移す。内臓、血管、筋肉。普段は無意識に構成されている体の感覚を、一つずつ掴み直す。掌に触れる温度。片膝にかかる圧力。それらはすべて数値として意識に浮かび上がり、空気と皮膚、自分と外界、それらの対照的な境目を、明確に感じとった。


 複合液にも神経を通し始める。外にあるはずのそれを、徐々に自分の体の延長として扱い、輪郭がとけていった。今度は、自分がどこで終わり、液体がどこから始まるのか、わからなくなっていく。


 右腕の表皮から、複合液の浸透を開始するプロセスに移る。


〈全身細胞同期、開始。複合液結合、開始〉


「ーーっ!」


 通知と同時に、全身に圧縮されるような痛みが走った。外側から物理的に押し広げられる痛み。内側からは、孤独、憧憬、歓喜、安心、渇望、諦観、恐怖、不安ーー.神経が乱れ、制御を失った感情が無秩序に駆け巡った。毎回そうだ。この段階では中身が一度かき回される。異物の侵入に、”本当の体”が抵抗を示していた。


〈痛覚遮断処理、並行実行〉


 優先度を再設定し、痛みが引いた。理論上は無駄な処理だ。だが、痛覚の制御にリソースを割かなければ、とうてい続けられるプログラムではない。生体に備わった本能が、変化を損傷と判断し、複合液を異物として拒絶していた。いつまでもこの激痛には慣れない。


〈同期処理、完了。〉


 これで、脳神経と脊髄を除く全ての器官が、脳内端末の制御下に入る。自分の体が、ただの細胞の集合へと還元される瞬間。所要時間は一秒。随分と縮められたもんだ。


 同期が完了したら、次は自分自身を変えていく。


 頭の中に、とある怪物の輪郭を描く。


 毛皮も牙も持たず、皮膚は薄く裂けやすい、そんな脆弱な人間とは対極にある存在。純粋に強度だけを突き詰めた生物。俺たちは、変化したい細胞構造をプログラムとして脳内に擬似的に保存し、それに合わせて自分の細胞配列を書き換えているに過ぎない。今使うのはいつものプログラムだ。何度も交戦に使った分、挙動は身体に馴染んでいる。ベースはそのままに、多少の改修だけを上乗せする。構造は精緻になるほど再現に相応の訓練と経験を要する。



 「戦闘試験まで六〇秒。対象実験体、開始位置にて待機。ーー59、58、57。」


 アナウンスがかかった。いつも通りのタイミングだ。構造変化はそれ自体が負担になるため、短ければ短いほど良い。


〈構造フレームを展開。〉


 骨格、血管、神経、筋肉を順に形成する。体を粘土細工のように作り替えていく感覚だ。保存配列を実行するだけだが、実際に組み上げているのは自分の脳だ。説明書だけが存在し、それをなぞり一つずつ部品を再現していく感覚に近い。脳に鈍い疲労が溜まる。


「48、47、46……」


 外観はすでに人の形を失っていた。、黒銀にどす黒い赤が入り混じる、複合液と肉の半固体。

  体長が伸びる。四肢が生え、黒い金属質の装甲が体表に浮かび上がる。表面が泡立ちながら外殻が固まっていく。その間にも、崩れて筒状になった元の右腕だけが、規則的な痙攣とともに複合液を吸い上げ続けていた。


「36、35、34……」


 流れを背中へ回す。血管とリンパ管の位置をずらし、二点に集中させる。


〈増設ポート1、2、展開。〉


 背中が裂ける。突き出た二本の腕が、肥大し、分岐し、増えていく。その隙間を埋めるように、粘ついた膜が糸を引きながら渡り。引き伸ばされ、張り詰め、やがて厚く硬質な皮膜へと変わる。

 内部では、配置の定まった構造が痙攣しながら噛み合っていく。腕だったものが引きずられるように組み替えられ、別の器官へと転用されていった。


 完成したそれは、直線的で、機械的で、無骨な翼だった。今回のNO.3戦に向けた新たな試みだ。

「24、23、22、21……」

 翼の重みで重心が後ろに引かれ、足だけでは支えきれず、自然と腕を着いて四足に移行する。この方が安定するが、攻撃時には腕を使いたい。外形の変異はほぼ終わっているため、体内の骨格と筋肉の配置を調整し、四足を基盤にしつつ二足でも即座に体重を支えられるようにする。

「15、14……」

 同時に、体にかかる重力がわずかに増す。床が震え、待機ブースごと上昇しているのが伝わってくる。

「10、9、8、7….」


 最後に五感を組み込む。複雑で、後回しにしていた工程だ。耳介を排し、皮膚直下に受容部を露出させる。以前学んだ爬虫類系の構造を参考にした。視覚は目を閉じたままくみ上げ、被弾を前提に損傷してもすぐに再生できる構造にする。口を拡張し、鋭い歯列を組み込む。人間に近い配置を維持しながら顎と輪郭を調整し、無理なく噛み合う位置に収束させる。


「6、5、4」


 五感を再形成できたことにより、それまでただの信号だったカウントが、“音”として届くようになった。


〈肉体感覚、復帰。〉

〈身体構造変異プロセス、完了。基幹構成を維持。サブプログラムとして常駐。〉


「3、2、1」

 待機ブースの振動が一度強まり、次の瞬間止まる。遅れて、最大の重力が体に落ちてくる。定位置についたのだろう。

 正面の壁を見据える。

「試験開始。」

 壁が左右に開いた。一歩踏み出すと同時に、訓練場の監視カメラへ侵入する。各カメラへ視界を順に乗り換えながら全体をなぞる。障害物の位置、空間の広さ、高低差、必要な情報を抽出し、数値として頭に叩き込む。


 最後に自分の視覚へ戻り、反対側正面、二百メートル先の標的を見つめる。学んだことは同じだ。相手も同じようにフィールドを見ているだろう。それでも、余裕を見せつけるように、ゆっくりとブースから出てくる。

 そこにいたのは、もう一体の黒い怪物だった。形状は似ているが、細かい構造が違う。こちらが四足であるのに対し、あちらは二足。


  ライトに照らされ、NO.3がニイっと口角を上げた。あからさまな挑発。


 ——戦闘開始だ。


 実力の差を思い知らせてやろうじゃないか。

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