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1:個体 No.1 調整ログ(1)

…….


 高い空から、現実という重力に引き戻される。胸の奥に鈍い重さが戻り、閉塞感を覚えながら徐々に意識が覚醒した。

「……のようです。負荷を上げることも検討しましょう。」

「….複合液の方は…」


 電子音の規則的なビープ音の間に、複数の声が混じっていた。座ったまま顔を上げ、周囲を見渡す。嫌味なくらい鮮明な視界だ。焦点を合わせるまでもなく、世界が輪郭を持って押し寄せてくる。飛び込んできたのは、いつも通り塵ひとつない白い壁。無数の数値を刻む計器盤とスクリーン。その前で、ざっと十人ほどの白衣の人間たちが忙しなく動いている。そのうちの1人がこちらを見たが、すぐに視線を外し、また計器へ戻る。観察対象を見る目だった。

 首と足、鉄製の椅子の肘掛けに置かれた両腕は、拘束具で固定されていた。もとより実験を阻害するつもりはないが、体を動かすことはできない。

 

 視線を下に落とす。


 体の各所に、有機コードが接続されていた。半透明の管の中を、黒銀色の液体がゆっくりと流れている。見慣れた液体だった。体内を循環するそれは、本来なら人間には存在しない。

 

——〈研究所内、三階〉

——〈調整室〉

自分の現在位置を示す座標が、自然に脳裏に浮かび上がる。


〈同調率 : 77.4%〉

〈変性反応速度 : 調整中〉

〈適応状態 : 安定〉

 

 脳内端末が、先ほどまでの実験工程を淡々と再生した。外部複合液との接続。身体の同期。適合率の最終調整。まだ覚醒しきらない意識が、それらをどこか他人事のように眺めていた。


「意識が回復しましたか、No.1。」

 

 声へ視線を向けると、研究主任の鈴木だった。一瞬、返答が遅れる。


「….はい。」


 目の前に二人の科学者がやってくる。モニターで意識の変遷は把握しているだろうが、とりあえず今回の実験の経過を報告した。


「負荷の影響で意識を喪失しました。ただ、脳内端末は稼働を継続していたので、処理は停止していません。」


 鈴木は横の研究員が差し出した端末に目を落とす。


「前回の完全停止と比較すれば改善は見られます。引き続き同期レベルを上げていきましょう。」


 淡々とした口調だった。一拍置いて、鈴木の視線がこちらへ向く。


「現在の反応速度では不十分です。意識保持能力を向上させてください。実戦環境で意識喪失が発生した場合、作戦全体に重大な支障をきたしますよ。」


「わかりました。」


 丁寧な口調で、簡単に言う。だが耐久を高めるのは容易ではない。身体の強化ならこれまで通りでいい。訓練や細胞操作で底上げできる。しかし意識の問題となると、眠気に抗うような、ーー根性ともいえる、曖昧で人間的な感覚に頼るしかなかった。根性論だけでは足りない。負荷の少ない神経回路。処理の流し方を変えれば、もう少し持つはずだ。用意された訓練メニューでは足りないため、空き時間も使って、自分で対策する必要があった。

 そう思った頃には、胸の奥に残る重さとは裏腹に、すでに思考は完全に覚醒していた。


 脳内時計を確認すると、調整室の滞在時間はちょうど終了していた。昼の休憩だ。 脳内に保存された本日のカリキュラムを参照する。訓練、検査、調整と、今日も就寝まで隙間がなかった。

 

〈訓練生番号: 01 3025年3月18日〉

…….1100………….実験….

1100-1200 調整室 : 外部端末接続 / 数値調整

1200-1230 休憩 

1230-1500 中央訓練場 : 模擬戦闘実験 (同訓練生 No.3)

1500-1600 戦闘演算室: 対零応シュミレーション訓練

1600-1700 調整室 : 細胞再生処置

160….


 昼の食堂の居心地は良いとはあまり言えないが、今日はいつもと異なる事情があった。片付けを待つ間、近くにいた研究員へ声をかける。


「ちょうど時間ですね。出撃する子たちの調子はどうですか。」


 他の実験個体に対して、扱いが酷い研究員が多い。見ていて気分が良いものでhなく、何度か父さんに掛けあってみたが、改善はされなかった。俺に対しては違う。立場上、俺に気を遣わなければいけない者が多く、その研究員も世間話に快く応じた。


「今朝は大変でしたよ。数だけは多いんですから。これだけ手間をかけさせられた分、きちんと成果を出してくれればなあ、全く。」


 金属音と共に拘束具が緩む。ロックが解除された。立ち上がりなら、俺は言い返す。


「あの子たちのおかげで助かっていますよ。戦闘データは多いほどいいですから。」


一瞬言葉を区切る。


「…..できれば、何人かは戻ってくれるといいんですけどね。」


 今日は、ガイア機関が初めてシティへ攻撃を行う日だ。シティの中では、多くの人間が死ぬだろう。ここから送りだされる個体も同じだ。重く受け止めるべきだと理解している。そう、理解しているだけだ。今日から食堂が空くな、と考えている自分がよくわからない。

 体中の有機コードを抜かれた後、会釈をしてくれる科学者たちに頷きを返しながら、早足で出口に向かった。


自動扉が静かに開く。その時


「No.1。」


背後から、鈴木の声がした。


「試験体ではなく、運用個体なだけありますね。私の最高の研究成果です。他のクズ個体とは明らかに性能差があります。」


 俺は何も言わず、その場で足を止めた。鈴木は構わず続ける。


「ただ、黒崎会長の期待にはまだ届いていませんよ。」


 壁に大小の灰色パイプが這う、白いリノリウムの廊下。天井灯の無機質な光を背に受けながら、そのままゆっくり振り向いた。

 俺は、努めて穏やかな声で言った。


「不要な評価は慎め。」


 鈴木は表情を一切崩さない。笑顔のままだった。


 自動扉が静かに閉まる。


 絶え間なく聞こえていた機械音と、研究員たちのざわめきが消え、廊下は静まり返った。


 小さく息を吐く。


 そして前を向き、誰もいない廊下を歩き出した。


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