1 【ユメ ノ ハジマリ】
「魔王様には蒼いリボンをつけて」Episode5。
届けられた招待状を手に、「僕」は魔界にある、とある上級貴族の城を訪れる。
今まで生きて来た「僕」の世界とはまるで違うその場所で、「僕」は「彼女」に出会う――。
※ 過去話です。
※ 本文中に挿絵があります。
※ 見方によってはBLです。
著作者:なっつ
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彼女は月の下にいた。
壮麗だった夜会も終わり、馬車が混みあうのを嫌った気の早い招待客がひとり、またひとりと姿を消していく。ラストワルツまでが登場し終えた今、夜会の間途切れることなく聞こえていた音楽の代わりに聞こえてくるのは、人々の足音や暇を告げる挨拶の声ばかり。
同じ城の中とは思えないほど簡素な――言い方を変えれば寂れた――庭に用がある者などいないのだろう。その喧噪が近づいてくる気配はまるでない。
そんな場所で、彼女はひとり、月を見上げていた。
僕がこの庭にいたのは人いきれを避けてのことだった。
元々夜会などには縁がない。知り合いがいるわけでもない。ホールを飾る装飾品の豪奢さは慣れない目をチカチカと刺すばかりだし、誰が誰だかわからないその他大勢は僕など見向きもしない。
帰ると言っても途中で帰っていいものかどうかもわからないし、なにより、頼んでいた馬車が来る時間まではまだかなりある。
そんなことで1時間ほど前からホールを抜け出し、彷徨った挙句にこの庭に辿り着いたのだ。
細い枝を好き勝手に伸ばした木が、小さな庭を囲んでいる。
石造りの歩廊は同じものとは思えないほどに朽ち、所々、苔に覆われている。
歩廊の近くにはこれまた古めかしい噴水。噴き上げている水だけが月明かりを浴びて妙にキラキラと煌めいている。
住人にも見捨てられた庭なのだろうか、とも思ったが、それなら水を噴き上げることもないだろう。
わざと手入れされていない風を装っているのかもしれない。寂れた雰囲気を漂わせているのに雑草がほとんど生えていないのがその証拠だ。
使用人のための庭なのだろうか。
何処も彼処も豪華絢爛な城だから、僕のように慣れない者はその場にいるだけで疲れてしまう。
……僕のように?
自分の考えに思わず失笑した。僕がこの城に似合わないと、僕がこの城に抱くのは使用人と同じ感覚なんだと認識したようなものじゃないか。
溜息交じりの息を吐く。
アルコールは給仕が回って来た時に1杯貰っただけなのに、くらくらするのは人に酔ったせい。
庭に下りると、靴底から柔らかい感触が伝わった。
此処は酒も香水の匂いもしない。少し湿り気を帯びた草と土の匂いしかしない。
噴水を覗き込むと、透き通った水底に白い花が数本、沈んでいた。誰かが手折って投じたのかもしれない。
ゆらゆらと水面に月が映る。
疲れ切った僕の顔が映る。
彼女がいつ此処に来たのかはわからない。
ふと人の気配がして顔を上げたら、歩廊に立っていた。
噴水の陰で見えなかったのか、彼女は僕がいることに気づいていないようで……少し憂いた表情で空を見上げている。
ああ、確か。
そんなふうに記憶を手繰るまでもない。
彼女はこの夜会で当主の隣にいた人だ。皆が何処の姫君だ? と囁き合っていた。
なんて綺麗なんだろう。
我ながら語彙力の欠片もない陳腐な表現だと思うが、そんな言葉しか思いつかなかった。
月光に照らされた憂い顔は銀に縁どられている。漆黒の髪、白磁の頬、夜会のあいだ伏し目がちで顔をほとんど上げなかった彼女の瞳の色も今ならわかる。
レースに飾られた袖から伸びる腕なんて、華奢すぎて折れてしまいそうだ。
風が彼女の髪を乱す。
押さえるように彼女は髪に手をやる。
その時だった、何か小さなものが転がり落ちたのは。
それは石畳の上でシャリン、と音を立てて跳ね、まるで生きているかのように階段を駆け下り……水飛沫を上げる噴水に飛び込んでいった。
それを拾い上げたのは、ほとんど反射のようなものだったと思う。
水底の花の横に、それはまるで最初からそうして飾られていたかのように沈んでいた。
拾い上げたそれを手のひらの上で転がす。
小さい耳飾りだ。丸い、金色の釦のような。
曲面に浮き彫られているのは紋章だろうか。何処かで見たことがあるような……何処だっただろう。つい最近見た気がするのだが。
紋章自体は細部まで彫り込まれているものの、他に飾りらしきものはない。
裏に彫られているのは製作者のイニシャルだろうか。それとも彼女のものか。月明かりの下では、その文字を読み取ることはできない。
何か呪いの類が施されている、とも考えられる。夜会で見た他の令嬢の耳元はもっとジャラジャラしていた。主の隣にいた彼女がこんな簡素な耳飾りでいいはずがない。
そんな考えに没頭しつつ、ふと顔を上げると……彼女が息を呑んで僕を見ていた。
まずい。
とっさに思ったのはそんな後ろめたさ。
拾ってさっさと渡せばよかったのに、僕は何故そこで考えごとなどしてしまったのだろう。
これじゃまるで拾い物がいくらで売れるか算段していたみたいじゃないか。もしくは、彼女が来るのを此処で待ち伏せていたようにも。
慌ててその耳飾りを捧げるように差し出す。
彼女は僕の手のひらに目を落とし、それから顔を上げた。
いえ、決して売り払うつもりで拾ったわけじゃ……そんな弁明が喉から飛び出しそうになるのを、ただ堪える。
ああ。本当に。
さっさと渡してしまえばよかった。もしくは拾わないでずっと陰から見ていれば。
そんな僕の心の揺れに共鳴するように、彼女の瞳がかすかに揺れる。
「……服、濡らしてしまいました」
聞こえたのは叱責でも感謝でもないそんな言葉。
そして言われて初めて、僕は袖から滴が落ちているのに気が付いた。噴水の中に腕を突っ込んだのだから当然と言えば当然なのだが。
袖口から垂れた滴が袖を濡らす。浸食するように少しずつ袖の色を変えていく。
夜会が終わっていてよかった。これがまだ会の途中だったら会場を汚す、と追い出されていたかもしれない。
彼女は申し訳なさそうな顔のまま、滑るように階段を下りてきた。
しゃらしゃらと衣擦の音がする。
差し出した耳飾りも受け取らず、彼女は黙って僕の腕を取る。何をするのかと見ていると、白い手巾を取り出して袖口を拭い始めた。
ふわり、と花のような甘い匂いが眩暈を誘う。
俯いているから白いうなじがよく見えて、思わず喉が鳴りそうになった。
こんな安物の服に。
一張羅だけど彼女のドレスに比べたら布も薄いし飾りも少ない。男物と女物の違いというところを省いても、僕の服が安いのは一目瞭然だ。下手したらその手巾数枚分と釣り合ってしまうかもしれない。
気にしないで。それよりきみの手が濡れてしまう。
そんな台詞で彼女の手を取る自分を想像してみる。
でも想像するだけだ。手も口も全く思うようには動いてくれない。
赤い顔で案山子のように突っ立っている僕は、さぞ滑稽な田舎者に見えていることだろう。
僕が勝手に濡れたんだ、そんな顔をしないで。
……せめて伝わるだろうか。そんな思いで彼女の手を止め、笑みを向ける。
彼女は少しだけ目を見開いたあと、はにかんだように俯いた。
「ありがとう」
小さく、彼女の唇がそう紡ぐ。
読んで下さる読者様にはご迷惑をおかけ致します。
この度、当作品が中国の海賊版サイトに転載されていることが発覚致しました。機械式に本文を丸ごとコピーしているようなので、著作権表記を本文冒頭に貼らせて頂きます。
詳しくはEpisode9-14【級友は嗤う・前編】の前書き及び、2018/04/04の活動報告をご覧ください。





