21 【紅の炎と、白の氷と・1】
著作者:なっつ
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「いいよ。順番においで」
青藍は嬉しそうに目を細めた。まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように嬉々としている。
「でもね。そんな自尊心は間違いだったってこと、すぐに気づかせてあげる」
そのくせ、その目は暗く何も映してはいない。
「お前ひとりで何ができる? 雑魚でもいたほうがいいだろうに、そんなにも取り戻す自信があるっていうわけ?」
青藍の顔で、姿で、声で。
だから、やもすれば本人ではないかと錯覚してしまう。
ドラゴンが宿っているのかもしれないが、今表に出ているのは「彼」のほうではないかと……そう、期待してしまう。
固く唇を引き締めるグラウスに、青藍は笑みを浮かべて手を差し伸べた。
その手は、左。
あの手は先ほどから火花を散らしている。奴の意志に反するように。
戦いに明け暮れている人の手にはとても見えないその手をグラウスは凝視する。
奴がなにか呟いた時に見ていたのも左手だった。青藍を取り戻すきっかけがあるとすれば、あの手なのだろうか。
だが、また囮ということも考えられる。これ見よがせな態度が逆に怪しい。
あの手は炎の竜を繰り出す手。魔力を具現化させる手。
青藍の魔力を手にした奴が魔法攻撃を仕掛けて来るとすれば、使ってくるのはあの左手だろう。
剣が柄の部分で切ることなどできないように、大砲の玉を打ち出すのは砲口であるように、魔法を発するにもしやすい箇所というものがある。
ましてや乗っ取った他人の体、最大限の威力を望むのならドラゴンとてあの左手を使うはずだ。
それが、まるで握手でも促すように差し伸べられている。
手を伸ばせば簡単に掴むことができる。
手、を。
思わず伸ばしかけた手は、だが、触れるより前にぱたりと落ちた。
俯くグラウスを青藍は鼻で笑う。
差し出していた手を一瞥し、きゅっと握って引っ込める。
「手も取れないんだ?」
「……取らないんです」
左手の握手は「別れ」の握手。
そう教えてくれたのは誰でもない、「あなた」だったのに。
「守るって言ったね?」
動かないグラウスに青藍は口角を上げる。
「いつ守ってくれた? ドラゴンを倒しに行く時も、そのドラゴンに取り込まれた時も、お前はいなかったよ?」
「……それは」
彼が城を出る前の、あの時の会話を思い出す。
何故あの時彼をひとりで出してしまったのだろう。城を守れというくだらない言いつけなど捨てて、責められるのも覚悟して、そうしてでもこっそり後をついて行けばよかった。
「だから、こんなことになっちゃったんだ。わかる? お前のせい。……みんな、みぃんな、お前のせい」
握った手を青藍は胸のあたりで広げる。
ふぅっ、と息を吹きかけると、手のひらから煌めく結晶が舞い上がった。舞い上がった結晶は宙を漂い、また、ふわり、ふわりと落ちてくる。
黒く艶めく髪にも、執事服の袖にも、近いようで遠すぎる彼と自分の間にも。
「守って、くれなかった。……よ?」
その悲しそうな笑みさえも塗り潰すように、白く、白く。
『守って。ここを。お前にしか頼めない』
城なんかいらない。
ルチナリスだってどうでもいい。
それなのにあの人をひとりで行かせてしまったのは、あの人が残していった言魂のせい。
あのくだらなくて意味のない小さな約束を後生大事に守った結果、私は、最も大事なものを失おうとしている。
相手が黙っていることに気を良くしたのか、青藍は更に続ける。
「兄上に捕まった時も。知ってる? 俺が何をされたか? 知らないだろ?」
くつくつと自嘲気味に笑う。
その笑い声が胸を抉る。誰にも知られないようにしまい込んでいたあの日の記憶までもが白く凍りついていく。粉々に崩れていく。
『大丈夫だから、ね』
そう言って笑ったあの人の言葉を馬鹿みたいに鵜呑みにした。
大丈夫だと思い込んでいた。あの噂を聞くまでずっと。
残していったあの人にその後なにがあったのか、彼の口から語られたことはない。
でも本当は……。
「も、申し訳ありません。あれは私の落ち度で、」
「結局、お前は何もしてくれなかった」
言うなり、青藍の姿が消えた。
一瞬のうちにグラウスの前に現れ屈み込んだ彼が、にやりと笑う。その笑みの真意を考える暇すら与えられないまま、腹部に蹴りを叩き込まれる。
「ぐ、……ぅ」
グラウスは2、3歩よろけるように後ずさった。
口の中が苦い。胃液が遡ったかもしれない。
腹部を押さえて片膝をついた相手に、青藍は冷笑を浮かべる。
そこには、先ほど垣間見せた悲しげな笑みは無い。
その肉付きの薄い細身から、青藍の武術面での能力を甘く見るのは間違っている。
むしろ魔王である時の彼は魔法戦よりも肉弾戦を好む性質だ。それもただの武力行使に止まらない。
わずかな動きから相手の次の行動を読む能力は、余程訓練を受けてきた者の証。
そして、蹴りを入れる時は足に、拳を振るう時はその拳に込められる魔力が、その威力を数段に跳ね上げる。
伝統ある「上級」の家柄の中でも、彼の家は今の代になって成り上がったが故に敵が多くいる。
権力に媚びへつらって配下につく家がある一方、伝統を重視する旧家の中には彼の家をよく思っていないところも多い。
そんな一触即発の事態になりかねない危うい関係も多い中、彼の家は戦力を誇示することで他家を牽制している。
青藍自身が戦場に立ったことはないかもしれないが、その桁外れの魔力は魔界貴族の間にも知れ渡っていることだろう。いつでも立てるよう訓練されて来たことは、この10年の彼を見ていれば嫌でもわかる。
「なにもしてくれなかったよ。俺、あんなに呼んだのに」
違う。これは、あの人じゃない。
ドラゴンが言っていることに惑わされてはいけない。
「呼ん、だ? 私……を?」
それでも。もしそれが真実なら。
無事でいると思い込んで、ただ、あの人に釣り合う自分になることだけが再会の道だと思い込んで。そして私は何をしていた?
守るだなんて、本当に守らなければいけない時は何時だっていなかったくせに。
「そう。助けて、助けて、って。その時お前は何してた? 俺のことなんか忘れてたろ」
再び。
今度は頭部を狙って来た足を紙一重でかわす。
わずかに触れた前髪が、鋭利な刃物で切られたかのように散るのが見えた。
『守って、ここを』
青藍が自分に助けを求めることなどあるだろうか。
差し迫る危険を前に、自らを盾にしてまで逃がそうとした男に。
強敵を前にした時にでさえ戦力外として置いていった「ただの執事」に。
否。
これはただの心理攻撃。
揺さぶりをかけて、相手の心の隙を突くために言っているだけ。
そう、思うけれど。
……腑に落ちない。
何故ドラゴンが25年前のその話を知っているのだろう。
あの場所には自分と青藍しかいなかった。あのことはふたりだけしか知らない。ドラゴンが知り得るはずがない。
なのに、何故。
彼が助けを求めたと言う話自体が、単なるでっちあげなのかもしれない。
偶然、過去に似たようなことがあったから、ドラゴンが知っているように思ってしまっただけのこと。
きっとそうだ。そうに決まっている。
「お前は俺を利用したんだ。自分が逃げ出すために。今度のことだって、お前は安全なところで待ってただけでしょ?」
なのに。
それにしては一致する部分が多すぎる。
「それなのに。……守るだなんて、今更」
今喋っているのはドラゴンだろうか。
青藍ではないのだろうか。
そして彼があの事を本当に覚えているのなら、今更何を言っていると詰られても文句は言えない。
私は、それだけのことをしてしまったのだから。
片膝をついたまま、グラウスは青藍を見上げる。
はらはらと舞い下りる雪の結晶が、あの日の噴水のようにふたりの間を遮っていく。
25年は、長すぎたのだろうか。
もし目の前のこの人が魔王として立つ「彼」ではなく、初めて出会った時の「あの人」なら。
ほんの思い付きでしかない馬鹿げた言い訳を簡単に信じてくれた、「あの時のあの人」なら。
すり抜けたあの手を、もし、離さずにいることができたのなら。
私は、あなたを守る役目を許されていたのだろうか。
『どうか、ご無事で』
そう言って微笑んだ人を思う。
迸る噴水に遮られたその笑みは、ゆらゆらといつまでも心の奥に沈み込んで、この25年の間、忘れたことなど1度もなかった。
それなのに。
それなのに、あなたは。
あなたは覚えているのですか?
それとも本当に、忘れてしまったのですか?





