20 【忠誠の証・7】
著作者:なっつ
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「”俺”は、お前の主ではないのだろう?」
ルチナリスとガーゴイルがそうして階段の上を見上げる少し前。
不敵な笑みを浮かべた青藍がそう言った頃に遡る。
青藍の左手が持ち上がり、指先を鳴らす。
その瞬間、キィン、と高く絞るような音が走った。
部屋の空気が凍りつく。上から空気の塊で押さえつけられるように、ずん、と肩や背中に重みが圧し掛かる。
そして、針で刺すような痛みがグラウスを襲った。
お守りします。一生涯。
あの手を取ってそう誓った。
あの時の慌てて引っ込めた彼の顔は、今でも鮮明に思い出せる。
その手から、今は一気に白い結晶が巻き上がる。
どうやら甘い感傷には浸らせてもらえそうにないらしい。
「それなのに俺を主と呼ぶのは、矛盾しているのではないのか?」
「私が主と呼ぶのは”あなた”ではありません」
「痴れ者め」
青藍の左手が閃くのが見えた。グラウスはとっさに背後に隠していたルチナリスの肩を押し飛ばす。
年頃の若い娘らしからぬ叫び声が落下していくのに、しまった背後は階段だった、と思ったがそれは後の祭り。ガーゴイルがいたようだしクッション代わりにはなるだろう、硬そうだけど、と無理やり自分を納得させて。
そして彼女がどうなったのか見届けることなどせず、自分も飛び退く。
直後、今の今まで彼らが立っていた場所を白い渦が引き裂いた。
やはり読まれていたか。
青藍は渦の通ったすぐ脇に無傷で立つ長身を視界の端に留める。
面白い。あのやたらと偉そうな言い草から想像できないほどの弱いゴミ屑だったりしたら、期待外れのあまり城ごと破壊するところだった。
これなら少しは楽しませてくれるだろう。
だが。
ちらりと自分の左手を見る。
いたぶる相手に不足はないが、今しがた使った魔力のほうはと言えば、予想をかなり下回るものだった。
魔王の魔力はこんなものではない。
以前、自分の前に立ち塞がった炎の竜を思い出しながら、青藍の姿をした者はギュ、と手のひらを握り込む。
まだだ。
まだ、手に入ってはいない。
この忠犬と小娘のせいだろうか。
握った手を開く。
食い込んでいた4つの爪痕が手のひらに紅い傷を刻んでいる。
その傷から、パチ、と小さく火花が弾けた。
まだ抵抗するとでも言うのか? さっさと諦めてしまえばいいものを。
しかしそんな抵抗もあとわずか。
このふたりを失えば、奴も失意と共に消え失せる。いや、奴が消えることでこのふたりが生きる気力を失うほうが早いだろうか。
どちらでもいい。魔界随一といわれる魔力はいずれ自分のものになる。
この鬱陶しい男を自尊心の欠片もないほど打ちのめし、小娘も喰らってやる。
苦しめ。
泣き叫べ。
そして、消えてしまえ。
「どっちがいい?」
青藍の口からそんな問いが洩れる。
誰に向かっての言葉か。しかしその返答は戻ってはこない。
わずかな間に距離を詰めた執事の腕が自分に向かって振り下ろされるのを見、今度は青藍が飛び退く。
腕の軌跡から身をかわし、数メートル後方に飛ぶ。
ふむ。
体のほうは馴染みつつある。
あとは、魔力。だが、それも時間が解決してくれよう。
ゆっくりと、ゆっくりと浸食していけばいい。どちらがどちらかもわからなくなるまで。
そうだろう?
手摺りに立つという離れ業を難なくやってのけながら青藍は心の中で語りかける。
そして、体勢を立て直しつつある執事服の男を見下ろす。
「不愉快な犬だね」
声に笑いが含まれているように聞こえるのは、無意識にも勝利を確信しつつあるからだろうか。
リーチは向こうに利がある。それは仕方がない。
だがこちらにはそれを補って余りあるだけの魔力がある。それにこの身は奴の大事な主人のもの。傷つけるには躊躇するだろう。
そう思っていたのだが、今の行動を考えるとそうも言えないようだ。
どういうつもりだ?
なにか考えがあるのか、見た目よりずっと短絡的な行動しかできないただの脳筋なのか。
だとしたら、この失望はどう返してやるべきだろう。
青藍は何も映さない黒い瞳をグラウスに向け、冷笑を浮かべる。
そんなにも大事か? この主人は。
戦略も何もなくただ力に任せて奪い返そうとするほど、何も考えられなくなったのか?
だったら。
「お前も喰らってやろうか?」
誘うように囁かれたその言葉に、グラウスは怪訝な表情を浮かべた。
魔族が魔族を食べたところで何の効果も得ることはできない。薬と同価値があると言われているのは人間の血肉だけだ。魔族の肉がドラゴンに効果があるという話も聞いたことはない。
同じ魔族だとしても若い娘や赤子なら食欲も湧くかもしれないし、余程腹を空かせていれば口に入ればなんでもいいという考えにも至るかもしれない。だが、それでも男の肉では硬くて食べられるものではないだろう。
そう思いかけたところに、さらに言葉が畳みかけられる。
「望み通り愛しの君と結ばれるがいい。……私の中で」
はいい!?
階段の下で聞き耳を立てていたルチナリスのほうが先に反応した。
上から見えないように頭を低くして、階段に這いつくばっていたところに聞こえたその会話。思わず叫びそうになった口を、上下左右からガーゴイルに塞がれる。
「もぎゃぐぎゃぐ、」
「静かにするっすー!」
数段下でそんな攻防が繰り広げられているとは、いくら執事でも思うまい。
何だそれは。ここにきてドラゴンまで脳が腐ってるとか!?
いやいやいやいやちょっと待て。
執事が義兄を守ると言ったのはそういう意味じゃなくて、ただ純粋に頼りないご主人様を放ってはおけないという一種の親心と言うか母心と言うか、そういうものよね?
あの執着は傍から見れば妖しい関係に見えるかもしれないけど、でも。
ぴた、と動きを止めた執事は、しばらくの後に大袈裟な溜息をついた。
「申し訳ありませんがそういう意味不明な結ばれ方はちょっと」
そういう問題か!?
って言うかそこ、そんな風にツッコむところじゃないでしょ!!
足元でルチナリスがそんなことを思っていると知ってか知らでか、執事は手を頭にやる。
「青藍様は本当に誰からも好かれる性質で困りますね。ちょっと目を離すとこれだから」
心なしか照れ笑いのように見えるのは何故だ。
ご主人様が好かれる性質だからか?
それとも別の結ばれ方でも想像したのか!? ……恐ろしくてそれは聞けない。
キィ。
シャンデリアが軋んだ音を立てた。音と共にパラパラと木片や細かい瓦礫が降って来る。
見上げると、ゆぅらり、ゆらり、と揺れている。
「……下がりなさいルチナリス」
執事の声がした。
ルチナリスは天井に向けていた視線を慌てて戻す。
目を離したわずかな間に、執事からは先ほどの照れ笑いのような笑みはすっかり消え失せている。
顔は向こうを向いているが、彼の周囲に冴え冴えとした空気が漂っているのを感じる。
ヤバい。
階段の下に隠れてるの、もうバレた。
執事の声にルチナリスもガーゴイルたちも固まった。
もしかしなくても怒ってますか執事さん。
階段から突き落としたのが彼なりの庇い方だとして、そうやって逃がしたルチナリスがギャラリーを引き連れて戻って来たとあっては、嫌味だけでなど済むはずがない。
義兄の手前、傷になるような制裁はしてこないとしても、道徳や倫理系の一読しただけじゃ意味のわからない本を積み上げて、一晩で内容を覚えろと言ってくるくらいは推測できる。
ガーゴイルたちに至っては、食事の時間だけ石像に戻されるようなルーチンが組まれるかもしれない。
「……私は一応は味方の立場を貫かねばなりませんが、あなたがたが戦闘に巻き込まれていなくなる分には大歓迎です」
ひいぃぃぃぃぃぃぃいい!! とガーゴイルたちの間から悲鳴が上がった。
即座に枯木のような手がルチナリスに掴みかかり、またしても先ほどのように持ち上げられる。
「ちょっと!」
「逃げるっす、るぅチャン! グラウス様は俺らの被害なんか二の次にする悪魔みたいなお人っすよ!」
いや、あなただって悪魔でしょう?
そんなツッコミを入れる隙もない。
わかるけど!
奴の制裁だけは避けたいのはみんな同じだけど!!
でも、よく考えて!?
あの人、執事よ? 事務系専門職でしょ?
今、戦闘って言ったわよ!?
「無茶すぎるって! グラウス様ひとりじゃ勝てるわけない!!」
相手は魔王。今まで何人もの勇者を退けて来た強大な魔力の持ち主。中身は違うと言いたいが、だとしても何人もの勇者を葬り去ってきたドラゴンだ。
手加減でもしてくれれば多少は勝機が見えるかもしれないが、今の「義兄」が手加減などするはずもない。
「ねぇ! ガーゴイルさんたちも手伝っ」
「必要ありません」
魔王配下として日々勇者の相手をしている彼らなら、足手まといにはならないだろう。そんな思いで叫んだ言葉は、こともあろうに執事によって拒絶された。
「青藍様をお守りするのは、私の役目です」
執事は少し悲しげな目を青藍に向ける。





