16 【忠誠の証・3】
著作者:なっつ
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冬の大気は冷たく澄みきった氷を想わせる。
ドラゴンがその姿を消した時に、ホールに振り込んでいた雪も同じように止んでいたが、だからと言って冬の夜に大気が温まることはない。
冷たさが満ちていく。
数週間降り続いた雪はまだ溶けずに城のまわりを覆っている。新たに雪が降ることはなくても、これでは氷冷されているのと同じことだ。
「帰る道すがら、町で話を聞いてきました」
グラウスは青藍を見据えたまま口を開く。
「最初の情報では町というより山の麓のあたりだと聞いていたのですが、随分と町寄りに移動されたのですね。この数日の間に」
この数日、というのは、義兄が出て行ってから帰って来るまでの間のことを指しているのだろうか。
ルチナリスは外套を胸の前で重ね合わせながら思う。
最初の情報では、ドラゴンの位置は「町と山の中間地点、わずかに山寄り」だった。居座っている時点で隣接する町の影響は推して知るべしというところだが、少なくとも町中ではなかった。
無論、置きものではないのだから動いて当然なのだろうけれど。
先ほどまで義兄に掴まれていた腕が、じん、と痺れるように痛い。
少しずつ温かい血が巡りはじめているのだろう。
それと同時に、腕から押し出された血が心臓に戻っていくのも感じる。細かな紅い結晶が心臓に押し込まれ、溜まっていくさまを思い浮かべる。
ちく、と胸に小さな痛みが走った。
しかしそれは決して結晶が心臓に刺さったからではない。
自分がついていたのに義兄を奪われてしまったことにか、為す術を何ひとつ思いつかないことにか。
最後まで義兄に守られるだけだった自分の不甲斐なさにか、執事の後ろに隠れているだけの無能っぷりにか、こうして自分だけ助かっていることへの罪悪感からか。
そのどれかはわからないし、もしかしたら全部違っているのかもしれない。
でも、痛い。
「あの巨体では、狭小な城下町では動きにくいでしょう? しかしそのリスクを冒しても、もっと有利になるものがあの町にはある。あなたは青藍様を引っ張り込んだんです、あの町に」
執事は義兄に向って話し続ける。
しかしその相手は義兄ではない。
巨体と言って推測できるもの。
そう。
執事は義兄ではなく、義兄の中にドラゴンを見ている。
宙に浮かんだままこちらに頭を向けた、蛇のような白い影を思い出す。
そして義兄に突っ込もうとして消えた、あの生き物を。
義兄の手から零れた氷の粒を。
あの、どす黒い声を。
「小さな町ですがひとの目はあります。吹雪の中で居座るドラゴンを、窓から見守っている者も多くいるでしょう。勇者ならともかく、非力で通っている領主の戦う姿を見せるわけにはいきません。魔法を使っているところなど論外です」
ドラゴンが義兄に化けている。いや、入り込んでいる、というべきたろう。
霊魂などではなく、小さいながらも肉体を持っていたドラゴンがどうやって入り込んだのかはわからない。そんなところも人間とは違う生き物だと思い知らされる。
この世界には、空想とされてきた生き物も紛れもなく存在していた。
人の姿をしている者の中には「人間」ではない者――魔族が存在している。異形ではなく何処から見ても人間にしか見えない姿で。
だったら、知らないところでドラゴンが――空想だとばかり思っていた生き物がいてもおかしくはない。
人の姿をした魔族だが、死ねば灰になるのだと聞く。
人間のようにいつまでも残る肉体を持たない種族が、実際に存在する。
それを思えば、ドラゴンの身が人間と同じつくりをしているとは考えにくい。
そして今、義兄の体はそのドラゴンによって操られている。
操っているドラゴンは、魂だけになっているのだろうか。
だとしたら、義兄の魂は何処にあるのだろう。
元に戻ってほしいと願ったものの、戻る魂はもう失われていた、なんて事態になっていたら。
義兄は薄笑いを浮かべたまま執事を見ている。
その目は真っ暗で、輝くことを知らない。
かつて自分を覗き込んできたあの煌めく蒼も、冷たく燃える紅も、
……そこには、ない。
「いくら雪が降っているとは言え、あの狭い町で無闇に炎を繰り出す真似はできません。それどころか魔法を使っているところを見つかれば、守ろうとした領民に背後から撃たれるかもしれない。つまりは、身を隠しながら戦わざるを得ない」
執事は口を噤んだ。
この数日の主人の様子を想像したのかもしれない。
ついて行けなかったことを、また悔いているのかもしれない。
「そこへ、あの天候。相性の悪い雪。あなたは待っていたんでしょう? 青藍様が弱るのを」
「想像力たくましいね」
義兄はパチパチと手を叩いた。
拍手とは到底呼べない、まばらな人を小馬鹿にした音が、ルチナリスの耳を打つ。
「でも、ま、だいたいは合ってるから褒めてあげる。さすがは魔界一と呼ばれるザイムハルツ執事養成学校何代目だかの主席卒業生様だね。ご考察痛みいる」
「……何故、それを」
「さあ? その自慢の頭で考えてごらん」
義兄は、いや義兄の姿を奪い取ったドラゴンは、もたれていた手摺りに腰を下ろした。
余裕が感じられる。
自らの行動や思惑を言い当てられたところで何の影響もないのだろう。
どちらかと言えば、逆に自分の経歴を言い当ててみせたドラゴンに、執事のほうが警戒を強めた感がある。
「いきなり消えたのは、油断させるためだったのでしょう?」
執事は言葉を続ける。
何故ドラゴンが自分の経歴を知っているのかは置いておくつもりのようだ。提示した話題には乗らない、と、そういうことだろう。
「つまんない男だね」
義兄は肩を竦めると、顔にかかる前髪をだるそうにかき上げた。
その様子に執事は唇を噛む。
「青藍様は仰いました。ドラゴンが弱ってきて、とどめを刺そうと思ったら消えてしまった、と。雪も止み、気配も消え、どうしようもないから帰って来た、と」
「それで?」
「弱っていたのはあなたも同じでしょう? あの人はドラゴン如きに負けるような人ではない。雪に吹雪かれたくらいで倒れるような人でもない。進退の見極めを誤るはずも」
「買いかぶりすぎじゃない? 現に負けたじゃない、ドラゴンに」
「負けていません」
「運も実力の内、って言葉、知らない?」
義兄の姿をしたそれは、執事を煽り続ける。
だが、嘲笑う声にも、執事は眉ひとつ動かさない。
「そして、此処に乗り込んできた。あの人はたまたま領民になっただけの人間が困っているからというだけでこうやって動いてしまうような馬鹿な人ですけれど、……もっと効果のある人質が、ここにはいる」
執事は振り返るようにルチナリスを見た。
「無理に無理を重ねさせて。そうしてあの人が意識を失くしたところに入り込んだのでしょう?」
突然、甲高い笑い声が響いた。
義兄が笑っている。狂気すら見え隠れするような笑い声に、ルチナリスは顔が引きつるのを感じた。
……これは、お兄ちゃんじゃない。
「そうだよ。囮にまんまと引っ掛かってくれちゃってさぁ」
1行目の「想わせる」は誤字ではありません。
ただ単に「考える」ではなく「イメージする」という意味が入っています。
常用外ですが辞書にもあります。





