15 【忠誠の証・2】
著作者:なっつ
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「よもやとは思いますが……見ましたか?」
目の錯覚だろうか。執事の背後に般若が見える。
この男は今がどんな危機的状況にあるのか把握しているのだろうか。
さっきからあたしを助けようという意思が感じられない。と言うか、そんな意思が欠片でもあれば会話じゃなくて行動してくれるはずよね?
延々と続くこの会話。
もしかしてあたしが凍りつきかけているのに気づいていない、とか?
いや、きっとこれはカムフラージュよ。無難な会話で場を和ませつつ、義兄に隙ができるのを待っているんだわ。あたしにとっては全然和めない会話だけど。
「な、何を」
見た、と言っても変わったものと言えば義兄の目の色くらい。しかし義兄の目の色が変わることなど今更だ。隠したところで意味はない。
それとも眠り姫状態のアレのことだろうか。
あれは……そりゃあ魔王の沽券とか兄の威厳とかには関わるかもしれない。でもガーゴイルさんたちだって知ってたのよ? あたしにバレるくらい、もう大した影響にもならないでしょ?
しかし、執事の「見ましたか?」が何を指すのかわからない以上、軽率に「見た」なんて言うわけにはいかない。
「見、見てませんっ! 何もしてませんっっ!!」
「……何か、したんですか?」
言葉尻を拾われた。
地獄の底から響いてくるような声に、ルチナリスは思わず義兄のほうへと身を寄せてしまう。
絶対に自分を助けてなどくれない、むしろ食べると公言しているのに。
「し、してませぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!!」
マズい。
このままだとあたしは凍死するよりも義兄に食べられるよりも早く、執事に抹殺される。
「話、終わった?」
今まで沈黙を貫き通していた義兄が声を発したのはその時だった。
今の会話をどう取ったのか、冷淡な薄笑いを浮かべると執事を見据える。
「最後の別れに言いたいことでもあるのかと思って待っててやったのに、つまんない言い争いしかできないわけ? 欠伸を噛み殺すのも限界だよ」
ああ。
こっちはこっちで助ける気なんか全然なさそう。
しかし、偶然の産物としては助けたことになったのかもしれない。執事は口を噤むと、その目を義兄に向ける。
「では、飽きたついでにその手を離して頂けませんか?」
「どうして?」
義兄の声で。義兄の口調で。
先ほどルチナリスを食べると言っていた時は、あの誰だかわからない声の調子で喋っていた。それが今は、いつもの義兄の声だ。
戻ったのだろうか。
しかしその淡い期待は、期待以上にはなってくれない。
これは義兄ではない。と、頭の奥で鐘が痛いほどに鳴り響く。それどころかもっともっと、事態は深刻なことになっているように感じる。
「その娘は、便宜上、且つ口約束の間柄とは言え我が主の義理の妹君。どこの馬の骨ともわからぬ下賤の者が触れていいものではありません」
「へぇ、お前は主人を下賤の者って呼ぶんだ」
義兄は上級貴族。
執事の階級は教えて貰ったことはないが、義兄より上と言うことはないだろう。
間違っても義兄を「下賤」などと呼べる立場ではない。
しかし執事の今の言い方は、ルチナリスに触れている者――つまり義兄こそが下賤だと、そう言っているように聞こえる。
この義兄は義兄ではない。
それはルチナリスも薄々感じてはいたこと。
でも見たのだ。ベッドで眠っていたのもドラゴンと戦ったのもこの人だった。間違いない。
間違いない、けれど……この人は、義兄ではない。
「私がいつ青藍様を下賤だなどと呼びました?」
それは執事も同じ考えのようだ。
義兄の姿をしたその人は、くすりと笑う。義兄の笑い方に見える。
なのに。
この人は、誰?
「お前の主人は、俺。だろ?」
「”あなた”は私の主人ではありません」
義兄の声で喋り、義兄の姿で笑うその人を、執事は違う、と言い捨てる。
執事はそのままつかつかと近寄ると、主の腕からルチナリスを引き剥がした。
ほとんど同化しているんじゃないかとばかりに動かすことのできなかった腕が、メリメリ、だの、パキパキ、だのという、生身の人間からは発することのない音を立てて切り離される。
パラパラと破片のようなものが零れ落ちるのには目を疑ったが、これは本当にただの氷だったようだ。
ルチナリスは数十分ぶりに自由になった腕を両手で擦った。
感覚はかなり鈍くなっている。
助けてもらったのだから感謝するべきなんだろうけれど。でも「ご主人様の妹君」と謳ったにしては雑な扱いじゃありませんか?
きっと折れたところで気にすることなどないのだろう。所詮あたしはその程度。
ため息交じりにそう思いかけた時、執事は手にしていた外套をルチナリスの肩に掛け、自分の背後に隠すように引き寄せた。
「グ……?」
ルチナリスは思わず執事を見上げた。
ありえない。この男の優先順位はなによりもまずご主人様だったのに。
ああ、でもありがとうの一言くらいは言うべきよね。今までの態度が態度でも……。
「黙りなさい。あなたが出て来ると話が進みません」
口を開きかけたルチナリスを、執事はピシャリと遮った。
おいおい。
言ってることとやってることの差がありすぎる。
こういうのをギャップ萌えと言うのだろうか。いや、全く萌えない。
執事はいかにも自分の意思ではない、と言いたげな顔で、ルチナリスの頭に手を置いた。
「私は正直なところあなたがどうなろうと関係ないんですが」
正直すぎる。
黙っていれば「もしかしてあたしのことを!?」なんて誤解する女もいるかもしれない行動をとってくれちゃったすぐ後にそれを言う?
まぁあたしじゃそんな誤解をしそうにないし、してほしくもないんだろうってことは重々承知していますけれども。
それでも助けてくれて感謝というか尊敬というか、そんなピンクっぽい感情が沸きかけた……んだけど。
「あなたはどうでもいいですが、後で青藍様が悲しむのには耐えられませんので仕方なく」
なんとかしてくれよ、この人。
そういう余計なことを言わなきゃもっと株も上がるだろうに、本当にこの人はご主人様以外はどうでもいいらしい。
心の内で頭を抱えるルチナリスをよそに、グラウスは険しい顔を青藍に向けた。
青藍は目の前のふたりをつまらなそうに眺めている。
思えばグラウスがルチナリスの腕を引き離そうとした時も、彼は抵抗できたはずだ。
何故。
何か意図するものがある、とか?
だが青藍の表情からは何も見て取れない。
掴むものを失った手を、ただ握っている。
「出て行って頂けますか?」
「言われなくとも。もうこんな城に用はない」
青藍の声が凍りついたホールに虚しく溶けていく。
「その小娘を喰ってやろうかと思ったけど、城下に行けば餌なんか有り余ってるし」
そう言い放つと青藍はふわりと身を翻した。
執事の脇をすり抜けかけたその腕は、しかし執事に掴まれる。
「……どういうつもり?」
掴んだ手をちらりと見、それから青藍は、つい、と間合いを詰めてグラウスを見上げた。
妖艶な笑みはそんな戒めなど簡単に解けると言っているようで。その勝気な表情に、グラウスはかすかに苦しそうな顔をする。
「出て行けって言ったのはお前でしょ?」
「ええ」
光も何も映さない瞳は、あの人のものではない。
姿も声もあの人のものなのに、その虚ろな闇の向こうにはいつもの色が見つからない。
「青藍様から出て行け。と、言っているのです」
「何を言ってるんだか」
掴まれた腕をまるで埃でも払うような仕草で払った青藍は、そのまま階段の手摺りにもたれかかった。
出ていくのをやめたのは執事との議論のほうが面白そうだとでも思ったのか、何時でも出て行ける、という余裕からなのか。
口ではそう言ったものの、未だにあたしを喰らうことを諦めてはいないのか。
それは、わからない。





