17 【忠誠の証・4】
著作者:なっつ
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あの小さい蛇のようなものが本体。ホールで暴れていたのが囮。
義兄が帰還した際には扉を開け放していたし、庭の雪掻きやらマーシャさんの帰宅などで人の出入りもあったから、指程度の太さのものが人知れず入り込む余地などいくらでもあった。
入り込み、物陰に隠れて待っていたのかもしれない。
その時を。
熱に浮かされた義兄が、半覚醒状態のまま目覚める時を。
でも何故。
執事が隠し通そうとした眠り姫を、何故、ドラゴンが知っているの……?
「出ていきなさい」
義兄の中にドラゴンがいる。
本人が言っているのだからそうなのだろう。でも出ていかせるための決定打が何もない。
出て行け、と言って出て行ってくれるならそんなに楽なことはない。
「そうだねぇ。それじゃ、その娘を食べたら考えてあげる」
義兄の目がルチナリスに向いた。
笑みを浮かべて、おいでおいで、と手招く。
その凄惨な笑みにルチナリスは慌てて執事の陰に隠れ、上着の裾を握りしめた。
執事は黙っている。
黙ったまま、義兄だけを見ている。
微動だにしないその立ち姿が、余計にルチナリスには大きく見えた。
雨宿りに入った大木の陰みたいな安心感と言うか……いや違う違う、何考えてるのよあたしってば。この人、あたしのことどうでもいいって言ったばかりじゃない。
「どうする?」
義兄はせせら笑う。
執事は黙っている。ルチナリスが上着の裾を握っていることにすら気づいていないようにも、気づいてはいるが無視しているようにも見える。
「いらないでしょ? それ」
あたしは執事にとっては「いらない」存在。むしろ義兄の気を引く邪魔な奴でしかない。
そんなあたしと引き換えに大事なご主人様を返すだなんて言われたら、きっと喜んで差し出すに決まって――。
ルチナリスはパッ、と手を離した。
離したものの執事の陰から出ることもできずに、ただじっと手を見つめる。
掴むものを失った手が、小刻みに揺れている。
「ほら、小娘もそう思ってる。でしょ?」
義兄が身を乗り出すようにしてルチナリスを窺う。
その真っ暗な目に、悪意に満ちた笑みに足が竦む。
10年前、義兄が助けてくれなかったら、あたしは今頃生きてはいない。
10年間、義兄が面倒をみてくれなくても、あたしは今頃生きてはいない。
あたしは、義兄に生かされている。
だったら、その義兄のためになるんだったら、命を差し出すくらいするのは当たり前、なの、よ、ね?
でも。
嫌。
死ぬのは嫌。
たとえ義兄の姿をしていたとしても、食べられるのは嫌。
怖い。
怖い。
でも、生きたい。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
あたしは、死にたくない。
そのために義兄が帰って来なくなったとして、も……?
――所詮、自分が1番かわいいのよ。
どろり、と黒い声が聞こえた。
今のはあたしが思ったの? あたしの、本当の気持ちなの?
違うわ。だってあたしは、
――偽善者。
偽善じゃない。あたしはただ……!
『大人はそういうのが好きなの』
――お兄ちゃんよりも自分が大事なの。誰も彼も利用して生き延びてやるの。
『素直な子を演じておけば、聞きもしないことまで教えてくれる』
『どうして拾ってくれたのかはわからないけれど、同情だって構わない』
『利用できる間は利用しよう、って』
そう、よ。
そう言っていたのはあたし自身。
今更綺麗ごとを言ったって無駄だわ。あたしは自分が1番……
固まったままのルチナリスの視界がふいに覆われた。
執事の手によって彼の背後に押しやられる。
……な、に?
いつもなら文句のひとつも言うところだが、不意打ちのせいで頭が真っ白のまま動かない。
そんなルチナリスにグラウスは「くだらないことを考えるんじゃありません」とほとんど声に出さずに囁いた。
義兄の姿は再び執事の背に隠れてしまった。
でもそれは、裏を返せば義兄のほうからもルチナリスが見えなくなったということで。
隠して、くれた?
この執事が?
執事は義兄のほうを向いている。
表情から真意を推しはかることはできそうにない。
そして……それからさらにしばらくしてやっと、ルチナリスの頭の中に「こいつ今、顔掴んだわよ」という言葉が浮かんだ。
「どうする? ってもう1度聞くまでもなさそうな顔だね」
義兄の声がする。笑いを含んでいる。
目の前の執事の、先ほどの一連の動作を見たからだろうか。
「私は同じことを何度も言う主義ではないので。ご理解が早くて助かります」
執事の声には何の感情もない。
「その娘はお前にとって邪魔になるよ? 今のうちに排除しておくべきじゃない?」
「そうですね。私もそう思います」
見えない。
でもこの流れは、やっぱりあたしを差し出して終了、ってこと?
でもそれなら――。
「どうせならあと数ヶ月早くそのお話を頂きたかったですね。……残念ながら、私はこの娘の味方、なんですよ」
ルチナリスの頭の上から、そんな声が降って来た。
聞き間違えたのかとすら思うその言葉に呆気に取られた彼女の頭を、さっき顔を掴んだ手が無造作に叩く。
「本っっっっっっっっっっっっっっっ当に不本意ですがっ!」
……なんだその思いっきり嫌そうな言い方は。
でも。
ルチナリスは肩にかけられたままの外套を、ぎゅっと手繰り寄せた。
味方、って、言った。





