10 【それはまるでゼンマイ仕掛けのように・2】
著作者:なっつ
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「グ、……」
義妹を見ながら、その口は義妹ではない人を呼ぶ。
「グ、グラウス様は今お医者様を送りに行ってます。すぐ戻りますから」
やっぱり最初に呼ぶのは執事か。
ちくりと棘が刺さったような痛みに、ルチナリスは慌てて首を振る。
普通だから。義兄のスケジュールから何から把握してるのは執事なんだから、状況確認のためにも呼ぶのは当たり前。
それに、この10年べったりくっついていた奴が近くにいなかったら違和感だって感じるわよ。ほら。いつもと風景が違うな。みたいに。
あのでかいのが視界にいなかったらかなり違って見えるって。うん。
「……る、ぅ?」
声が届いたのか、視線を宙に漂わせたままの義兄は今度は義妹の名を呟く。
「は、はい! ここにいます!!」
ルチナリスは義兄の視界に入るように覗き込んだ。
上から見てもやっぱり普通とは言い難い。正面にいるのに、彼の目は全く自分を映してはいない。
かすかに開いた瞼から覗く色は紅。時折混じる紫が、ゆらゆらと水面のように揺れる。
まさか……これが例の眠り姫?
何て言うか、儚い。
どう見ても勇者を薙ぎ払ってる魔王様ではない。いつもの義兄ですらない。
お兄様、その顔は反則です。あたしがお伽話の王子だったらキスでもして目覚めさせようとか思っちゃうかもしれない。
いや。本当にそうしたら起きるかも。だってただ眠っている程度であんな仇名を付けられると思う?
それに。
それにあたし、さっき何しようとし……。
「み、ず、」
「え!? あ、は、はい! ただいまっ!!」
水を求める声がルチナリスを強制的に現実に引き戻した。
やだ。あたし今何考えてた!?
心臓が口から飛び出しそう、ってこのことかもしれない。いつもの後ろから抱きつかれているどころの比じゃない。
慌てて周囲を見回し、水滴を纏った水差しに目を止める。
いつから置かれていたのか、水たまりの中に鎮座しているようなそれは、もうすっかり氷も溶けてしまっている。でも水であることには間違いない。
カチャカチャカチャカチャ。
グラスに水を注ごうとするも、水差しの口がグラスに当たる。
何度も何度も。
それでやっとルチナリスは自分の手が震えていることに気がついた。
どっ、動揺しすぎよルチナリス! ほら、ここには誰もいないんだもの。黙っていればわからな……いや! その前にあたし何もしてないから! ちょっと思い浮かべただけ! 未遂よ、未遂!
お兄ちゃんだって見えてな、いや、見えてるかもしれないけどこの状態なら覚えてないに決まってる! 後で何か聞かれてもしらばっくれていれば……ああ! もう! あたし誰に弁明してるのよ!!
と、とりあえず深呼吸。
1回。
2回。
3回。
4回……。
「……おまたせしました」
そんな格闘と葛藤の後。
水の入ったグラスを捧げ持ち、ルチナリスはそれを義兄に差し出した。
おぼつかなく伸ばされる手にグラスを持たせ、支えるように自分の手を添える。こくん、と水を嚥下するだけの仕草すらどうにも艶めかしくて、その場で暴れ回りたくなってくる。
だあぁぁぁぁぁめえぇぇぇぇぇぇぇえええ!!
これはガーゴイルたちには見せるわけにはいかない。
いや執事に見せてもかなりヤバい。奴のことだ、きっと率先して看病を申し出るに違いない。
こんな状態の義兄とふたりっきりにしたらどんな間違いが起きるか想像もできな……いやできるんだけどしたくない。あの人は義兄を大事にし過ぎるから、なんかこう見ていて赤面しそうな激甘展開が予想できてしまう。今の状態じゃなにされても抵抗しそうにないし、絶対危ない!
『あれで暴走したグラウス様の面白さと言ったら!』
昼間の「感動の再会」がルチナリスの頭の片隅をちらりとよぎる。
『ただ眠っている程度であんな仇名を付けられると思う? もしかしたら――』
おい。まさか。
背筋に冷たいものが走る。
まさか。
……やってないよな? 執事。
その時、何かが崩れるような大きな音が聞こえた。
「なに!?」
あの音は玄関ホールのほう。
なんだろう。音と同時に、シュン! という効果音が聞こえそうなほど急激に室温が下がった。
廊下をバタバタと走る音が近付いてきたと思いきや、ドンドン! とけたたましく扉が叩かれる。
あの叩き方はガーゴイルだ。また性懲りもなく、と思う間もなく声がした。
「坊――! ドラゴンが出たぁぁぁぁぁぁあ!!」
……ドラゴン?
どこに?
まさか、ここに!?
義兄の目から急速に色が消えてゆく。ぼんやりしたままなのに、背中からゆらりと陽炎のようなものが浮かび上がる。
ドラゴン、という単語に反応して無意識のうちに攻撃形態にでも移行したのだろうか。さすがは魔王様。半分眠ってても戦えるとか、もはや戦鬼ってレベルかもしれな……違う違う、そんな呑気なこと言ってる場合じゃない。
ほとんど透明に近かった陽炎が徐々に紅く色づいてくる。
ぱち、ぱちっ、と火の粉が混じり始める。
さっき下がったばかりの室温がここにきて急に上がった。熱風がカーテンを舞い上げた。
ちょっ……待て!!
ルチナリスは思わず水差しを胸に抱えた。表面を覆っていた水滴は、熱気に当てられてすっかり乾いてしまっている。
義兄の魔法属性は炎。
そしてこの状態はどう見ても魔法発動中。だがしかし! こんな部屋の中で使われたら火事になる。
「青藍様、ここじゃ駄目です!」
制止が聞こえたのか聞こえなかったのか、義兄はわずかにルチナリスのほうを見……いや、顔を向けた。紅い目がゆるぅりと溶けたような光を放つ。
その目に吸い込まれそうな錯覚を覚えて、ルチナリスは後ずさった。
この目を見てはいけない。
そんな警鐘が頭の中でガンガン鳴り響く。でも、目を離すことができない。
できないから。せめて、遠ざかるだけ、は。
思えば、そうして下がったのすら自分の意思かどうか危うい。
しかし結果として彼女はかなり離れた壁際にまで追いやられていた。
立ち尽くす義妹の前で義兄はゆっくりとベッドを降り、扉に視線を向ける。その向こうの何かに呼ばれているかのように、ふらり、と足を進める。
「……っ、青藍様ってば!」
傾きかけた後ろ姿に、ルチナリスは慌てて後を追った。





