10 【海のある町・1】
※過去話です。
著作者:なっつ
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ガラガラと揺れる馬車の音で目が覚めた。
ここはどこ?
揺れる振動に身を任せたまま、ルチナリスの脳裏に浮かんだのはその5文字。
目の前にあるのはネズミの毛皮みたいな毛足の短い生地でできたワイン色の長椅子。たぶん、椅子。
本で見た――確か、馬車や汽車の椅子がこんな感じだった。
視線を巡らせて次に目に入ったのは、飴色の天井と、金の枠で収められた窓。天井には花なのか鳥なのか曲線混じりの模様が描かれている。
窓に目をやれば、木のような影が瞬く間に現れては通り過ぎていく。
この不規則な振動と狭さから考えると、ここは馬車の中だろうか。
乗ったことはないけれ、ど……。
「え!?」
跳ね起きた。
体にかけられていたのであろう黒い上着がずるり、と落ちかけ、慌てて捕まえる。引っ張り上げると襟元を飾る金色の徽章が光を反射した。
これは少なくとも自分の服ではない。見たことがない。
そして。
今まで頭を預けていたのも、見たことのない人の「膝の上」。
何故!?
と言うか、この人誰!?
思わず身を引くと、硬いもので背中を打った。
柔肌に一撃を食らわせたのはどうやら扉の取っ手らしい。ぶつかった衝撃で開きでもしたら今頃は高速で回る車輪に切り刻まれているところなのだから、背中に痣ができるくらいはラッキーだったと思うべきだろう。
けれどラッキーで痛みが和らぐわけじゃない。子供らしく大泣きして暴れまわりたいくらいだけれども、それはできない。
だって。
膝を貸してくれていたその人は、窓枠に頬杖をついたまま眠っている。
ルチナリスは涙目のままその人を見上げた。
睫毛が長くて、色も白くて、指も細い。後ろでひとつに結わえられている黒い髪は背に流すほど長く、触ってみたくなるほどさらさらしている。
服装からいって男の人、なんだろう。しかし村にいた男性陣とはまるで違う。
彼らは皆一様に日焼けして浅黒い肌をしていて、丸太のような腕をしていた。
養父でもあった神父は肉体労働系ではなかったけれど、それでもこの目の前の彼とは比べようもない。
「……誰?」
だが、問いかけたところで返事が返って来るはずもなく。
ここはどこ?
この人誰?
あたしどうしてこんなところにいるの?
事情を知っているであろう人を起こすわけにもいかず、ルチナリスはただひとり、必死に頭を巡らせる。
『かわいこちゃん、見~っけ』
そうだ。あたしは悪魔に捕まったんだ。
ルチナリスの脳裏に、あの光景が浮かんだ。
空を真っ黒に覆う異形の群れが。
火に呑まれていく村が。
駆けていく神父の後ろ姿が。
そして、自分の背後に立っていた化け物が。
あたしは悪魔に捕まった。ミバ村の人もそうじゃない人も、そんなたくさんの人たちと一緒に。
何日も歩いて、見たこともないお城に行った。
羽根が生えていたり目がひとつだったりする、そんな化け物に引っ張られて。
食べられるんだ、って誰かが言った。
もうおしまいだ、って声も聞いた。
怖いとかそんなことより、疲れて、足が痛くて、喉が渇いて、おなかが空いて。
『なにトロトロ歩いてんだよ、クソ餓鬼ぁ!!』
記憶の中の場面が変わる。
化け物が叫ぶ。足を上げる。
もうどうでもよかった。
踏み潰されて死んだとしても、それでよかった。
これでもう苦しくないんだって、そう思……
……そこに、誰かが来た。
視界にふわりと見えた。黒い、長い髪が。
あれは。
ルチナリスは眠る人の肩に伝う髪に目を向ける。
この人。なの……?
そんなルチナリスの気配を感じたのだろうか、彼はわずかに目を開けた。
ゆるりと、引きつった顔をしている幼女に目を向ける。
まずい。
起きてしまった。
どうしよう。
さながら蛇に睨まれたカエルの如く……いや、睨まれてはいない。相手は寝ぼけたような目でぼーっとこちらを眺めているだけだ。
それなのに動けない。目を背けることもできない。
ガチガチに固まったまま、ルチナリスはただ同じように彼の目を見返した。
不思議な色をしている。
蒼い中に紫が混じっている。光の加減で桃色や紅にも見える。
なにもかも見透かされてしまいそうな、それでいて自分のことは何ひとつ見せようとはしない、そんな拒絶を感じる。
コレハ、ヒトノ目ジャナイ。
でもこの人はどうみても人間だわ。悪魔とは、あんな化け物とは違う。
視線を離すこともできないまま、ルチナリスは思う。
人間。
この人は、人間。
どうしてそんなことを必死で考えようとしているのかすらわからないままに、何度も何度も頭の中で繰り返す。
コノヒトハ。
この人は人間よ。
あたしを助けてくれたのよ。
コノヒトハ、ニンゲン。
考えれば考えるほど、嘘を信じ込もうとするような違和感に襲われる。
コノヒト、ハ……。
飲み込まれる。目に。
「あ、あの、ありがとう、ございました……っ!」
ルチナリスは叫んだ。
叫んだ途端に、パチン、と体の自由が戻った。
なに? 今の。
彼はそんなルチナリスをなおも無表情のまま見つめていたが、やがて面倒くさそうに目を逸らした。
記憶とつないで考えれば、この人があの悪魔たちから助けてくれた、と考えるべきだろう。
ルチナリスは膝の上で握ったままの自分の両手に目を落とす。戒めていた枷はない。
「あの、」
「俺は言われたから入っただけ」
しばらくして彼は窓に向けていた顔を戻し、ルチナリスを一瞥した。
双眸は蒼い。さっきの不安を煽り立てて来るような、不思議に入り混じった色ではない。
あれ?
さっきと目の色が違う。
「怪我は?」
「な、いと思います」
何だったのだろう。目の錯覚だろうか。寝起きで自分の目が変だったのだろうか。ほら、よく寝起きって視界がぼやけていたりするでしょ?
直視するとまた動けなくなりそうで、ルチナリスは視線をわずかにずらし、宙に向ける。視界の端に彼がいる。じっとこちらを見ている。
こんな蒼なら普通。
綺麗な蒼だけど、まだ、普通。
「そう」
こうやって聞いてくるのはさっきの「ありがとう」の効果なのだろうか。
しかし聞いてはいるけれど、ルチナリスが怪我してようがいまいがさして興味はない様子もうかがえる。
それを証拠に、彼はそれ以上聞いてこない。
ルチナリスも聞くことができない。





