8 【策略の夜会・1】
著作者:なっつ
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窓の外はすっかり闇に支配されている。
だが硝子1枚隔てた世界はまるで違っていた。壁に掲げられた蝋燭の黄金色をした灯りを、シャンデリアが何倍にも増して輝かせている。
その輝きの下で無数の着飾った貴婦人が笑いさざめく。
他にも、グラスを片手に歓談に勤しむ紳士、色とりどりの菓子に歓声を上げる少女。そして人々の間を漂う音楽。
そこにあるのは贅を尽くした幸福の光景。
これが人里離れた崖の上に立つ城の中だとは。
道に迷った旅人など、これを見たら幻覚だと思うに違いない。
お伽話の少女が命尽きる前にマッチの炎に見た光景を思い浮かべる者もいるだろう。
グラウスは鳥の紋章が描かれた時計に目を落とす。
午後8時10分。タイムリミットまで1時間を切っている。
人ごみの中に青藍の黒い髪を探した。
侯爵と話をしている。必要以上に飾り立てられているのはアイリスの趣味だろうか。
魔王としての動きやすさを重視しているのだから仕方ないとは言え、やはり普段の彼の服装は簡素すぎるかもしれない。そう思う反面、今のその華やかさは余計に彼を遠い存在に感じさせる。
……夜会は嫌いだ。
あの人との距離を思い出してしまうから。
アイリスに彼女の友人と踊れと言われたものの、青藍は専ら侯爵の相手をしているようだ。遠巻きに取り巻いているのは相手にされなかった「お友達」だろうか。
本当に最初のワルツをものにしていったあの小生意気な姫君の姿は無い。満足して何処かでお喋りに興じているのか。
放ったらかしにされている諸姉の虎視眈眈とした目が怖い。
こんなところまで呼びつけて、いったい何を話しているのやら。
トレイ片手に人々の間をすり抜けながら、グラウスは目だけで青藍と侯爵を追う。
夜会やサロンとはもともと自分の権力をひけらかすためのものだと聞いたことがある。招かれる客で主人の社交界での地位が決まるのだとか。
青藍の家はアーデルハイム侯爵家より格下だが、ここ最近の上昇株。魔界貴族たちへの影響力は今や侯爵家より上とも言われている。
その功績は現在彼の家の当主に座している彼の実兄の手腕によるところが大きいのだが、10年の無敗を誇る魔王役の影響もないわけではない。それを従わせることができるのだと、力を誇示するためだけに招かれたのだとしたら腹立たしいことこの上ない。
流れる曲はもう何曲目になっただろう。
だが夜会は終わる兆しなど微塵も見せない。
タイムリミットまでに城を出なければ、幻覚に囚われ、城主が解放するまでこうして踊り続けることになる。
それでも齢の長い魔族ならなんの問題もない。人間にとっては1年でも魔族にはほんの一瞬。自分たちだって魔王役でなければ、そして義妹を待たせていなければ、問題にするところなどなにもない。
むしろこの閉ざされた空間であの義妹の影を見ることなく彷徨っていられるのなら、そのほうがずっと――。
『るぅの味方になってくれるね』
くだらない。
グラウスは自嘲気味な笑みをこぼす。
青藍は帰るつもりだ。それ以外の選択肢は無い。そう思いながらもう一度人ごみに視線を送った彼は……息が止まった。
いない。
つい今しがたまで侯爵と話をしていた青藍の姿が無い。
ほんの少し目を離した隙に、話に区切りがついたのだろうか。
その一瞬に、誰かに誘われたのだろうか。
侯爵は別の紳士と歓談している。
取り巻いていた令嬢たちはスイーツのコーナーに移動して花を咲かせている。
いない。
彼だけが、いない。
その頃、青藍は廊下を歩いていた。
手を引いて行くのは淡い金髪の少女。黄昏の光の中では豪奢に輝いていた黄金も、小さな蝋燭の灯りが点在するだけの廊下では、本来の輝きにおさまっている。
「……どちらへ?」
屋敷の奥には行きたくない。
時計をグラウスに渡してしまったので正確な時刻はわからないが、それでも、もうそろそろ午後9時近いのではないかと思う。
侯爵と歓談している間、何度かグラウスの視線を感じた。彼のことだから、時間が来れば何よりもまず城の外に連れ出してくれるだろう。そう言う点では目覚まし時計をセットしておいたような妙な安心感があったのだが。
しかし、今ここに彼はいない。
「どうして義妹君をお連れ下さらなかったの? 私、楽しみにしていましたのよ?」
肩越しに振り返り、アイリスは妖艶な笑みを浮かべた。外見だけを見ればあまりに違和感のある笑みだったが、魔族としての実年齢からすれば相応と言えるかもしれない。
「あれはアイリス嬢でしたか」
侯爵からの使者が持って来た手紙にあった、ルチナリスを連れて来いという一文は、どうやら彼女が付け加えたものであるらしい。
しかし何故。
同じ年頃の友人が欲しいなどという理由ではないだろう。現にダンスホールには彼女のお友達と称される令嬢が大勢招待されていた。彼女たちが人間界に居を構えているのか、今日の為にわざわざ魔界からやってきたのかは知らないが、あの分なら話相手に不自由することもない。
庶民派の義妹がこの令嬢の相手になるとも思えない。
「まだ人前に出せるほど作法を覚えているわけではないので、今回は御遠慮させて頂きました」
「10年も青藍様のおそばにいるのに?」
アイリスは足を止める。
遠くで聞こえる曲の曲調が変わった。
ゆったりとした調べに合わせるかのように、窓の外の景色も暗くなっていく。
「やっぱり家畜は家畜ってところなのかしら。豚に礼儀作法を教えるのが無駄なように、人間をどれだけ磨いたところで私たちと並ぶことはできないってことね」
家畜、という言葉に青藍は眉をひそめる。
人間は魔族にとっては狩る対象。豚や牛と同じように、育てて殺して食べるもの。それ故に、心無い者の中には蔑みを込めて人間のことを「家畜」と呼ぶ者もいる。
今回、侯爵が人間界に来た目的は狩り。同行してきたアイリスの前でも何度かその言葉が出てきたであろうことは、当然のように口にする彼女を見れば疑うまでもない。
「アイリス嬢は、その家畜ばかりの世界へ何をしにいらっしゃったんです?」
青藍の声にアイリスはゆっくりと向き直った。
紫水晶のような瞳が馬鹿にしたように細められる。
「あら、私だってヴァンパイアの血を継いでいるのですもの。狩りくらいできますわよ?」
「違う」
呟かれた否定の言葉に、アイリスはふふ、と笑った。
笑って、掴んだままの手を取り直す。
「……荒れていますわね。男性の執事と家畜のメイドしかいないのでは、手入れも怠っているのでしょう?」





