7 【菖蒲の姫君・2】
※挿絵があります。
著作者:なっつ
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「……るぅの情報が漏れた」
見下ろすこと数分、目を逸らしたままのご主人様がぽつりと漏らした。
だからか。
今まで魔族の集まりになどあまり顔を出さなかった彼が、迎えの馬車を寄越されたくらいで行く気になったのは。
グラウスは空を仰ぐ。先程より確実に暗くなっている空を。
「かわいがっていらっしゃる人間のお嬢さんも。お越し頂くことが叶わないのであればお嬢さんだけでも是非に、ってどういう意味だと思う? メイドとしてかな、義妹として連れて来いってことかな」
青藍の問いに、グラウスは暫し視線を宙に彷徨わせた。
メイドとして連れて来いと言っても、あの娘の不器用さを考えれば皿を割りに行くようなものだ。それにいくら別宅だとしても上級貴族の屋敷。メイドは足りているだろう。技量を見ると言うならそれこそどんな権限で? と聞きたい。
とは言え、義妹として出せるほどに行儀作法が身についているわけでもない。間違っても貴族の娘には見えない。
下手をしたら、気づかない間に食糧庫に放り込まれていることだって……いや、むしろそれを狙っているのかもしれない。連れて来なかったのは賢明な判断だと言えるだろう。
「……隠しているわけではないのですから、いつかは知られる日も来ると思いましたが」
現に町長をはじめとするノイシュタインの人々の間では、ルチナリスは「領主の妹」として定着している。
魔族がどれほど人間に関心がなかったとしても、魔王が人間の娘を育てていることくらい伝わっているだろう。今まで放置されてきたのは人間界に住まう魔族――爵位を持つ魔族が人間を使用人として手元に置くことなどさして珍しくもなかったからだ。
だがその人間を義妹として扱っている、というなら話は別。
青藍が上級貴族のひとりであることや魔王役を盾になかなか出て来ないことも相まって、侯爵の興味を引いてしまったに違いない。
ぎり、と奥歯が鳴った。
あの娘のせいで青藍が不都合を被ることになるのなら、何時でもあの娘を破棄できるようにしておく必要がある。彼が何と言っても、こればかりは聞けない。
「俺はきっと時計なんて見てる暇ないと思うし」
そんな執事の心の内を知ってか知らでか、ご主人様は屈託なく笑う。
何も問題などない、心配することではない、と言いたげな素振りが余計に腹立たしい。
魔王役を理由に招待を断れば、それなら妹君だけでも、と来るのは目に見えている。しかし青藍がルチナリスをひとりで差し出すはずがない。
ルチナリスを魔族の表舞台に出して、やれ珍獣だ、食糧だと好奇の目に晒すぐらいなら自分が行けば済む、と、それも夜だけなどと限りを付けずに相手をすれば侯爵も気が済むだろう、と……そう思うところまで読まれている、と言うことか。
アーデルハイム侯爵という人物は、そこまで青藍のことを熟知しているのか?
油断できない。
グラウスは懐中時計を握り締める。
「……あなたは、」
『るぅの味方にもなってくれるね――?』
あの娘のために。何故。
「まぁ、ちょっと雑談に付き合えば満足するでしょ? だから、」
気付かないうちにまたしても睨んでいたのだろうか。青藍の言葉に弁解の色が見える。
だが。本人は最良の判断をしたつもりなのかもしれないが、こういうことは事前に相談してほしい。
――私は、それにすら値しませんか?
棘だらけの言葉を無理やり呑み込む。
ちくちくと腹の底に痛みが落ちていく。
また営業用の笑みを浮かべて、お偉方の相手をするつもりなんだろう?
足繁くやって来てはくだらない雑談をして帰っていくノイシュタイン城下町の町長を思い出す。
見た目の若さや魔族故の整った顔立ちと、年齢不相応にしか思えない知識量。そのギャップが気に入ったのか、青藍は町長のお気に入りだ。菓子折りひとつ下げて頻繁に訪れる中年男の存在をグラウスが苦々しく思ったことなど、もう数えきれない。
そして、その町長を前にこの主が浮かべる微笑がまた気に入らなかったりする。ガーゴイルからはただの嫉妬と揶揄されるけれど、それでも無駄に笑顔を振りまくのはやめてほしい。
あの顔を、侯爵の前ででも。
機嫌を損ねないようにするのが帰るための最短だとわかってはいるけれど。
「ですが、」
「青藍様――!!」
グラウスがさらに文句をつけようと口を開きかけた時、甲高い声が青藍を呼んだ。
声のするほうを振り返ると、柵から身を乗り出すようにしてひとりの少女が手を振っている。
「……アイリス嬢」
青藍が、わずかに緊張がとけたような顔をした。
知り合いですか? と目で問いかけてみても気づかないあたり、彼も決して表情どおりの平静を保っていたわけではないらしい。
その間にもアイリスと呼ばれた彼女は長いドレスの裾をものともせず、ひらりと柵を飛び越えてやって来る。
長い金髪は黄昏の光を受けて豪奢に輝き、アイリスの名を表わす青みがかった紫の瞳も印象的だ。ヴァンパイア一族の蝋のような白い肌に合わせれば、その髪もその瞳も妖しい美しさを醸し出すのだろう。犠牲者が自ら血を捧げてしまいたくなるほどに。
しかし、夕陽の赤に染まった頬と今の言動を眺めている分には普通の少女と変わらない。
ルチナリスのような、人間の、普通の少女と。
「何故此処に?」
「叔父様に連れて来て頂きましたの。だってそうでもなければこちらの世界に来ることなどないでしょう?」
軽やかに駆けて来たアイリスは青藍の前で立ち止まると、つい、と右手を差し出した。
「キスは頂けませんの? 私、これでも社交界デビューは終えていましてよ?」
「……失礼」
こましゃくれた態度に、苦笑しながら青藍が彼女の手を取る。
少しわざとらしい、と思うほど恭しく取られた手に、アイリスは満足そうに目を細めてみせた。
「青藍様がいらっしゃると聞いて待っていましたのよ? 最初の御挨拶は私が頂きたいんですもの」
甲高い笑い声を上げながら、アイリスは青藍にまとわりつく。まとわりついていた、と思いきや、急に不快そうに顔を歪ませた。
「なんて地味な格好をしてらっしゃるの!? やっぱり衣裳係がいないから無頓着になるのかしら」
特に困ってはいないけれど、と思ってしまったのは性別の違い故だろうか。話をしに来ただけなのだから殊更華美に装う必要もないと思っていたのだが。
目の前のふたりが内心そう思っていることなど気にもせずに、アイリスはまくしたてる。
「ああ、叔父様の服を借りるにしたって青藍様ってば細すぎるんですもの、手直しが必要だわ。でも任せて! 夜会までには間に合わせてみせますから!」
「……夜会?」
予想外の言葉に青藍とグラウスは目を見合わせた。
そんな彼らにはおかまいなしにアイリスは続ける。
「一曲目のワルツは私と踊って下さいましね。今日はお友達も呼んでいますけれど、私が最初よ? ああ、もちろん全員と踊って下さるまでは帰しませんことよ!」
夜会に出席しろとは聞いていない。催すというのだって寝耳に水。
他に招待客がいるのか? ただ会って話をする、というだけではなかったのか?
しかしここまで来て帰るわけにもいかない。
本当に……貴族様というのは自分勝手な。
アイリスに手を引っ張られるようにして門をくぐっていく青藍を、グラウスは呆れたように眺める。
しかし思えば侯爵と面と向かって歓談するよりは、不特定多数が入り混じる夜会のほうが抜け出すには好都合だろう。
預かった時計をポケットに滑り込ませ、グラウスも青藍の後を追った。





