第4話:16歳のリアル
マインツ戦での鮮烈なゴールは、榊 迅の名をクラブ内に知らしめる十分な契機となった。しかし、ドイツのフットボール界は、一度の活躍で安泰を約束してくれるほど甘くはない。
翌週の月曜日。迅が練習場へ向かうと、U-19セカンドチームのロッカールームの空気がいつもと違っていた。重苦しく、どこかピリピリとした緊張感が漂っている。
「……おい、ジン。聞いたか?」
クラブハウスの入り口で、クリスが神妙な面持ちで待ち構えていた。
「何を?」
「トップチームから、何人かユースの試合に降ろされてくるらしい。直近のリーグ戦で結果が出ていない若手プロの調整だ。その煽りで、俺たちの誰かが今週末のメンバーから外される」
プロの世界の冷酷な縮図だった。16歳の練習生がどれだけアピールしようと、クラブが数千万円、数億円の投資をして契約しているプロ選手の「調整」が最優先される。それがヨーロッパの現実だった。
午後からの紅白戦。ヘスラー監督が読み上げたスタメン組のビブスは、迅の手元には届かなかった。
CFの位置に入ったのは、トップチームに所属する19歳のフォワード、ルーカスだった。身長188センチ、すでにブンデスリーガでの出場経験もある本物のプロだ。
「おい、日本のガキ。俺の邪魔だけはするなよ」
ルーカスはすれ違いざま、迅を一瞥もせずに吐き捨てた。
迅はサブ組のビブスを付け、ベンチから紅白戦を見つめることになった。
ピッチ上のルーカスのプレーは、これまで迅が戦ってきたユース世代の選手とは次元が違っていた。激しいディフェンスを物ともしない圧倒的なフィジカル、ボールを持った瞬間の迷いのなさ、そして何より「絶対に自分が点を取る」という凄まじい執念。
(これが、プロ……)
迅は胸の奥がチリついた。嫉妬ではない。悔しさでもない。ただ、自分の目の前に、まだ見ぬ「強者」の壁がそびえ立っていることへの、純粋な興奮だった。
「後半、ジン! ルーカスと交代だ!」
ヘスラー監督の声が響く。
後半、残り20分。迅はピッチへと送り込まれた。
ルーカスは不満げに鼻を鳴らしながらベンチへ下がる。すれ違う瞬間、迅はルーカスの目をまっすぐに見つめた。
「おい、何を見てる」
「あんたのキープの仕方、参考になった」
拙い英語でそう言うと、迅は足早に前線へと走っていった。ルーカスは一瞬呆気にとられたような顔をしたが、すぐにフンと顔を背けた。
ピッチに入った迅には、もう雑音は聞こえなかった。
相手のDF陣は、トッププロのルーカスを抑え込んだことで、どこか満足感と疲労が漂っている。だが、新しく入ってきた16歳のアジア人は、ルーカスとは全く違うベクトルの脅威だった。
(重戦車のようなルーカスの後は、捕まえにくい風――か)
中盤でクリスがボールを持った瞬間、迅は落ちる動きを見せ、相手DFを引っ張り出す。そして、ボールがクリスの足元を離れる直前、鋭く反転して裏のスペースへスプリントした。
「ジン!」
クリスからの鋭いスルーパス。迅はトップスピードのまま右足のワンタッチでボールをコントロールし、相手DFのタックルをスピードの差だけで置き去りにした。
ペナルティエリア手前。ゴールキーパーとの1対1。
迅は右足を振り抜くフェイントを入れ、キーパーが倒れ込んだのを確認すると、チョンとボールを浮かせるループシュートを選択した。
ふわりと浮いたボールが、無人のゴールネットに吸い込まれる。
「よし!」
クリスが叫び、ベンチのルーカスも思わず立ち上がって迅のプレーを凝視していた。
大きな目標なんて相変わらずない。プロになりたいという明確なゴールすら設定していない。だけど、こうして目の前の強者を観察し、盗み、自分のスピードと技術でピッチを支配する。その瞬間の脳の覚醒こそが、榊 迅というストライカーのすべてだった。
練習後、ヘスラー監督が迅を呼び止めた。
「ジン。今週末のリーグ戦、メンバーに入れる。ベンチスタートだが、準備だけはしておけ」
ヨーロッパ1年目。16歳の少年のリアルな戦いは、ここからさらに加速していく
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