第3話:冷徹なインテリジェンス
「アイントラハト・フランクシュタット U-19」の練習生となって2週間。榊 迅の評価は、コーチ陣の間で急速に変わりつつあった。
当初は「ただ足が速いだけの典型的なカウンター型」と見られていた。しかし今の迅は、相手が引いて守れば中盤まで降りてポゼッションのテンポを作り、相手が前がかりになれば一瞬の爆発的なスピードで裏を突く。その極端な二面性を、わずか16歳の少年が「状況に応じて無意識に使い分けている」という事実が、指揮官であるヘスラー監督を驚かせていた。
「ジン、今日の練習試合はスタメンで行くぞ。相手はマインツのU-19だ」
クラブのミーティングルームで、ヘスラー監督がホワイトボードを叩きながら告げた。マインツU-19は、この地域のユースリーグでも屈指の堅守を誇る強豪だ。特にセンターバックのコンビは、すでにプロのセカンドチームでの出場経験もある国内トップクラスの若手だった。
「相手の守備は組織的だ。簡単にスペースは生まれない。ジン、お前がどれだけ頭を使えるか、試させてもらう」
迅は黙って頷いた。試されるのは嫌いではない。むしろ、強固な組織であればあるほど、それを壊したときの快感は大きくなる。
試合当日。フランクシュタットのホームグラウンドには、若き才能をスカウトしようと、多くの関係者が詰めかけていた。
ピッとホイッスルが鳴り、試合が始まる。
マインツの守備は、事前の情報通り完璧に統率されていた。4人のディフェンダーと4人のミッドフィルダーが美しい2列のブロックを作り、フランクシュタットのパスコースを完全に塞いでいる。
迅が前線でボールを呼び込もうとしても、マインツの激しいプレスが中盤にかかり、まともな縦パスすら入ってこない。
ボランチのクリスが顔を上げ、前線の迅を見る。だが、迅の周りには常に2人のDFが影のようにへばりついていた。不用意にパスを出せば、即座にインターセプトされてカウンターを喰らうだろう。
(さすがに隙がないな……)
迅はあえて前線で立ち止まり、試合の解像度を上げていく。相手のディフェンスラインの高さ、スライドするスピード、そして個々のクセ。
マインツの右センターバックは、対人能力が異常に高いが、ボールへの執着心が強く、釣り出されやすい傾向があった。逆に左のセンターバックは、冷静でカバーリングに優れている。
(なら、崩すのは右だ)
前半30分。フランクシュタットが自陣でボールを奪い、左サイドへ展開する。
迅は中央から意図的に右サイドへと流れる動きを見せた。当然、マインツの「釣り出されやすい」右センターバックが、迅の動きを警戒してポジションを数メートル動かす。
その瞬間、マインツの美しい守備ブロックに、わずか数センチの「歪み」が生じた。
迅はその歪みを見逃さなかった。右へ行くと見せかけたステップから、軸足である左足で爆発的に地面を蹴り、真逆の左斜め前方のスペースへ向かってスプリントを開始した。
「クリス! ここだ!」
迅の動き出しと同時に、中盤のクリスから鋭い低空の縦パスが供給される。
迅が狙ったのは、右センターバックと左センターバックのちょうど中間のスペースだ。お互いに「自分が処理すべきか」と一瞬だけ判断が遅れたその隙間を、迅の176センチの身体がすり抜ける。
「させん!」
カバーリングの得意な左センターバックが、長い足を伸ばして滑り込んできた。強烈なスライディングタックル。まともに受ければ足首を持っていかれるような威力だ。
しかし、迅の脳は極めて冷静だった。
迫り来るディフェンダーの足を視界の端で捉えながら、迅は右足の足の裏でボールを優しく手前に引き(ソールプッシュ)、相手のタックルを紙一重でかわした。
目の前にはゴールキーパーしかいない。
キーパーは迅の圧倒的なスピードに気圧され、前に飛び出すタイミングを完全に失っていた。迅は右足のインサイドで、ゴール右側のサイドネットへと正確にボールをインサイドキックで流し込んだ。
完璧な崩し。完璧なフィニッシュ。
スタジアムに歓声が響き渡る。ベンチのヘスラー監督は、大きくガッツポーズを作っていた。
明確な未来の目標なんてない。ただ、自分の戦術眼とスピードで、ヨーロッパの強固な組織を完全に破壊してみせたこの一瞬。それだけで、迅の心は熱く満たされていた。
「ジン! 最高の動き出しだ!」
駆け寄ってきたクリスが、迅の頭を激しく揺らす。迅は小さく微笑み、再び自分のポジションへと戻っていった。彼の欧州での挑戦は、まだ始まったばかりだ。
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