第18話:ベンチの熱量と、ピッチの歪み
本日1話目
ウォーミングアップを終えた選手たちがロッカールームへと引き揚げていく。スタジアムのボルテージはピークに達し、頭上からは地鳴りのようなチャント(応援歌)が響き渡っていた。
榊 迅はベンチ用の上着を羽織り、サブのメンバーと共にピッチ脇のベンチへと向かった。
足を踏み入れた瞬間、強烈な視覚と聴覚の波が迅を襲う。
緑鮮やかな芝生を取り囲む、5万人を超す満員の観客。相手サポーターが焚く発煙筒の匂いが、冷たい秋の空気に混じって鼻腔を刺す。
(これが、ブンデスリーガのスタジアム……)
ユースの試合とは、空気の「密度」がまるで違った。ピッチ上に漂うプレッシャーの重さが、皮膚を通じてダイレクトに伝わってくる。
迅はベンチの最前列ではなく、端の座席に深く腰掛けた。隣には、出番を待つベテランMFや、ポジションを争うマイヤーの姿がある。
ピッ――!
主審の甲高いホイッスルが鳴り響き、キックオフの火蓋が切られた。
開始直後から、試合は激しい球際の応酬となった。
テレビの画面越しでは分からない、骨と骨がぶつかり合う重い音がベンチまで届いてくる。主将のシュミットが相手FWと空中戦で激突し、両者が派手にピッチへ倒れ込む。主審は笛を吹かない。ヨーロッパ最高峰の物理的な強度が、目の前で繰り広げられていた。
迅は目を凝らし、ピッチ上の攻防を冷徹に分析し始めた。
(相手の右サイドバック、対人守備は強いけど、ボールを奪ったあとの上がり際が少し遅い。うちの左ウイングが幅を取れば、その背後に一瞬だけ『エアポケット』ができる)
ただ試合を観戦しているのではない。もし自分が今、あのピッチに投げ込まれたらどこを突くか。脳内でリアルタイムの演算を繰り返す。
前半20分。試合が動いた。
相手の鮮やかなパスワークから中央を崩され、フランクシュタットは先制点を許してしまう。地元のサポーターが大歓声をあげ、スタジアム全体が激しく揺れた。
失点直後、ベンチのマルクス監督が鋭い声で指示を飛ばす。
ピッチ上の選手たちも声を張り上げ、陣形を立て直そうとするが、相手の勢いに押されて後手に回る展開が続いた。
前半は0-1のまま終了。
ロッカールームへと戻る通路の途中、マイヤーが険しい表情で荒い息を吐いていた。迅は静かに彼の背中を追いながら、自分のスパイクの紐を軽く確かめた。
ハーフタイム。ロッカールーム内では、修正点についての激しい議論が交わされていた。
「ジン」
突然、マルクス監督が迅の名を呼んだ。
「後半15分からウォーミングアップに入れ。展開次第では、早い段階でお前を投入する」
部屋の中が一瞬、静まり返る。マイヤーの視線が迅に突き刺さったが、迅は表情ひとつ変えずに答えを返した。
「分かりました」
特別な感情はない。恐怖も、過度な緊張もない。
ただ、あの激しく歪んだピッチの隙間に自分のスピードとインテリジェンスを叩き込み、ゴールを奪う――その瞬間を、17歳のストライカーは静かに待ち構えていた。
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