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第四節 全てのことには棘がある

リビングのテーブルには、夕食の代わりに山積みの資料が広げられていた。


 急遽予定を切り替えて戻ってきた母さんは、白い装束のまま。流石に送迎車で帰ってくれている、はずだ。

 橋爪さんはネクタイをきちんと締め直している。


「今日のことは、さすがにちゃんと話しておきたいの」


 母さんが俺に言った。


 柔らかい声だが、有無を言わせぬ迫力がある。


 俺は頷き、横に座った。


 橋爪さんが資料を開く。


「宗教法人の認可は、最終段階に入りました」


 抑揚の少ない声。にこやかなさっきとは対照的だ。


「法務上の問題はありません。財務も透明です。活動実態も十分に説明可能です」


 テキパキと文章やグラフを提示し説明していく。俺にはまったく理解できないが、母さんは冷静に聞いている。


「残るのは、大臣の承認だけです」


 少しだけ空気が止まる。


「反対されているの?」


「慎重、という表現が適切でしょう」


 橋爪さんは続ける。


「思想そのものではなく、影響力を懸念しています」


 多分政治のバランスのことだろう。宗教が政治家のバックにつくのは古今東西よくあることだ。


「ややこしい話ね、最近は過去の事件のせいで宗教は厳しい目を向けられるようになったから」


「ですが、周囲の調整は済んでおり、支持は広がっています、こちらに関しては心配する必要はないでしょう」


 紙を一枚めくる。


「ラブポの利用状況も好調です。特に、若年層への浸透率は想定以上で、売り上げも順調です」


 俺は視線を落とす。


「ラブポはいい取り組みよ。でも、あれは、ただの道具。人が優しくなるきっかけになれば、それでいいの」


「素晴らしいお考えです」

 橋爪さんが微笑む。


 和やかムードのなか、俺は嫌な予感がしていた。今日一日、ラブポが話題に上がってから碌なことがない。


 予感は的中する。橋爪さんは笑顔のままとんでもないことを口にした。


 「セイゴくんが後継になる地盤もしっかり固めてありますし、教団には今追い風が吹いています」


 空気が凍る。そんなこと、俺は聞いていない。横の母さんはポカンとしていた。


 「ああ、勿論わかっていますよ、教祖さまがセイゴくんの主体性を尊重なさっているのは。あくまで念の為、後継者の候補の1人という扱いですから」

 

 橋爪さんは珍しく慌ててまくしたてた。


 「そう、安心した。でも私はともかくセイゴに無断で話を進めたのはいけないわ。それに幹部の中には後継者になろうと考えている人もいるし。みんな悪い人ではないけど、万が一のこともあるでしょう?」

 母さんは平静を装っているが、静かな怒りが言葉の端から感じ取れた。そもそも万が一ってなんだよ。暗殺なんてされないよな?

 「お二人とも誠に申し訳ありません、私が余計なことを‥。ただセイゴくん、君に万が一はないと、私はここで約束する」

 だから万が一ってなんだよ‥。

 

 「ただ、後継者の話はともかくセイゴにはいつでも居場所があるわ。もし将来なにかあれば、戻ってきてもいいのよ」

 母さんは俺をじっと見た。え、何、その急な話の振り方。聞いて欲しかった理由って、まさかそれを伝えるため?

 「新しい立派な本部も建設中だし、あと少しで完成したら教団設立10周年のお祭りもやるから、ちょっと遊びに来てくれたら嬉しいかも、なんて」

 そう言ってイタズラっぽく微笑む。俺の知らない所でどんどん話が広がってきている。これは現実なのか?実は壮大なドッキリでした、とかではないのか?

 橋爪さんは微笑ましそうに俺たちを見守っている。なんだこのインテリクソメガネ!


 その後も2人は今後の活動方針や予定について話し合っていた。俺は疲れてしまい、内容はほとんど聞いていなかった。


 橋爪さんが立ち上がる。


「今日は失礼いたしました。見送りは大丈夫です。教祖様に仕えることができ、私は幸せ者だ」


 「橋爪さん、いつもありがとう。今後ともよろしくね」


 「ええ、例の計画も順調です。期待していてください」


 深々と頭を下げて橋爪さんは退出していった。

 ドアが閉まる。


 例の計画?さっき話していた教団の祭りの話か?10周年なので盛大に企画しているのだろうか。少し気にはなるが、パスだ。自分からストレスに向かっていくことはない。


 ともあれ、さっきまでの緊張感はどこに行ったのか、家の中はいつもの静けさに戻った。


「ごめんね、難しい話で」


 横の母さんはいつもの笑顔だ。

 

 俺は気怠そうに頷く。


 テーブルの上にはまだ、山積みの資料が残っていた。

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