第二節 送れよ、さらば与えられん
四時間目が終わると、教室の空気が緩んだ。
チャイムに椅子の脚が床を引きずる音と、弁当箱を取り出す音が重なる。誰かのスマホが短く震える。担任は「午後も静かにな」と言って出ていくが、誰も聞いていない。
島田が振り向いた。
「今日、放課後生徒会だろ?」
「ああ」
「真面目だよなあ、俺らのために色々ご苦労さん」
そう言いながら、俺の弁当の卵焼きを一つ取る。毎回許可は取らない。
島田は勘違いしている。俺は真面目ではない。生徒会に入っているのは自分のためだ。
「やっぱお前の母ちゃんの料理はうまいな、美人だし羨ましいよ」
そこはまあ、同意しないわけではない。
島田がポテトを一本よこす。しなしなだ。
「いつも何やってんの?」
「資料まとめるだけ」
「地味だな、まあ下っ端なんかそんなもんか」
そう言うこいつは野球部の補欠だ。
とは言いつつも、こういう意味のないやりとりが心地よい。自分はあくまで普通の一学生なんだと安心できる。
「きゃはははは!」
斜め前の女子グループが盛り上がっていた。
「ねえ見て、もう私のキャラ、第三形態いった」
「うそ、早すぎ。どれだけラブポもらってんの」
箸が止まる。
「昨日、電車でおばあちゃんに席譲ったら、周りの人がいっぱいくれた」
「えー、まじ?電車通学羨ましいわ。私なんかまだ赤ちゃんだよ」
「広告うざいから課金したいけど、親がうるさくってさあ」
「流行ってんなー、ラブポだっけ?」
青ざめた俺をよそに、島田が声を掛ける。
「島田もやるー?うちら紹介ポイントもらえるし」
「お、じゃあやってみよっか」
お調子者の島田はアプリをインストールし、ゆっくりと談笑してから戻ってきた。
「お前もやらない?」
「やらない」
「なんだよ、ノリが悪いな、クーポンとかも使えるし、もったいなくね?」
「別に」
それだけ答える。
「ま、強制はしねーけどさ。‥なんかお前、体調悪いのか?」
「‥別に、大丈夫」
大丈夫ではない。理由は明白だ。
ラブポの運営母体を、俺は知っている。
こんな身近になるなんて思いもよらなかった。
教団が社会に溶け込むため、若い信者を取り込むため、何をしたらいいのか、母に意見を求められたことがある。自分は特に考えることなく、アプリでも作れば、と冗談で返したのだ。
3日後、母は分厚い資料の山を持ち帰ってきた。
持つべきものは優秀で熱心な信者だ。
所有者同士で善行ポイントを送り合い、それに応じてキャラクターが成長していく。企業とのタイアップや広告、課金制度も抜かりない。宗教が母体だと怪しまれるから、ダミー会社を作って運営させる。計画は至って順調に見えたが、母の能天気なネーミングセンスを聞いたとき、失敗を確信した、はずだったのだが。
母は100%善意でやっている。
お互いがお互いを思いやれば、教義のように幸福な世界が到来すると信じている。
周囲は彼女のカリスマ性に引っ張られ、あるいは利用しているに過ぎない。
俺は彼女のやることに関知しない。母のことは嫌いではないし、なにより唯一の肉親だ。好きに生きてもらいたい。その代わりこちらにも干渉しないで欲しい、俺はあくまで普通の人間として生きていきたいのだ。
その辺りをわかってくれてはいるのか、そんなに家庭では宗教の話はしない。後継者になれとも言わないし、集会や儀式への参加も強制されたことはない。近所でもシングルマザーの真面目な会社員で通っていて、町内会の役員もしているくらいだ。学校でも俺は、あくまで一般家庭の子で通っている。
そうは言っても、教団の規模が大きくなるにつれ、この均衡が崩れるのは時間の問題だった。ラブポだけじゃない、他にも問題は山積みだった。
心配そうに見つめてくる島田。女子たちは相変わらず無邪気にキャラクターの進化条件について議論している。
笑いながら。
悪意はない。
俺は弁当の最後の一口を食べる。
味はしなかった。




