第一節 はじめに母ありき
目覚ましが鳴る三分前に目が覚めた。
カーテンの隙間から、朝の光が細く差し込んでいる。10月の終わり。少し寒さが強くなってきた気がする。布団の中の温度と、部屋の空気の温度が違う。そろそろ冬支度を始めないと。
台所から包丁の音がする。規則正しい音だ。母はいつも朝が早い。
顔を洗って、制服に袖を通す。ネクタイはもうお手のものだ。初めてで戸惑っていた去年と違い、目を瞑っていたって結べるようになった。リビングに行くと、味噌汁の湯気が上がっている。
「おはよう、セイゴ」
母は振り向いて、いつも通りに言う。髪は後ろでまとめていて、エプロンをしている。柔らかなトーンの安心感が俺を包み込んだ。
おはよう、母さん。
席に座る。テレビではニュースが流れていて、相変わらず治安の悪化や不景気を嘆く陰鬱な内容で一杯だった。
朝ごはんは焼き鮭と卵焼き。いつもの味だ。母は俺の向かいに座って、白湯を飲む。朝ごはんは食べない、大きな仕事の前はそう決めているのだ。俺は、今日の時間割を思い出しながら味噌汁をすする。
「今日は遅くなるからね、夜ご飯は冷蔵庫に入れてるわ、あなたの好きなハンバーグよ」
そう言って彼女は微笑んだ。ただ、いつもの元気がない。やはりこのところ忙しいからだろう。
あんまり、無理しないでね。
母は虚をつかれたような顔をした。変なことを言ったつもりはないのだが。
「ああ、ごめんね、その、お父さんに似てきたな、と思っちゃって」
懐かしそうな顔をする。そう言われても、俺は父親に会ったことがない。写真では見たことがあるが、似ていると言われてもピンとこない。あんな痩せっぽっちなのか、俺は。
弁当箱はテーブルの端に置いてあった。アルミカップの色が今日は赤だ。好きな色ではないが、母の気分で決まるのだ、仕方ない。
食器を流しに運ぶと、靴下を履いて、玄関に向かう。母も後ろからついてくる。
ドアを開けると、冷たい空気が入ってきた。少しだけ身震いする。
「いってらっしゃい」
母の声は変わらない。
振り返る。
母は、白い服を着ていた。
装飾のない、長い布。足元まで真っ白で、髪もきちんと整えられている。光のせいか、輪郭がやけにくっきりして見えた。いつの間に着替えたのだろう。
別に、初めて見るわけじゃない。
見慣れていないわけでもない。
ただ、朝の台所に立っていた人と同じだとは思えないだけだ。
母は笑っている。いつもと同じ笑い方で。
うちの母は、教祖だ。




