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第1章 第後話 前編 悔恨の鬼 ⑧

脚の使い方の訓練が終わり、今は昼下がり。外でぼんやり景色を眺めていると


「潮離。出掛けるよ」


背中に籠を背負い、右手にも同じ籠を持った潮音が現れた。

差し出すような仕草をしたあたりあたしに持てと言ってるのだと解釈し、受け取って両手で抱えるようにして持つ。


「今度はどこへ行くんだ?」

「山に行くよ。この時期はいい山菜が取れるから」

「それはうまいのか?」

「うん。すごく」

「分かった。行こう」


あたしは籠を背負って準備ができたことを示す。

この時点でかなりあたしの嗜好というか思考というかはかなり人間らしいものになってた。

おいしい物に反応してるあたり人間というよりは動物に近かったのかもしれないけど、人間も大きく分類すれば動物だからあながち間違いではない。


「よし。乗り気になってくれたみたいでよかった。行こうか」


嬉しそうな笑顔を浮かべて、潮音は出発を宣言した。その後にあたしも付いて行く。

昨日畑仕事を手伝いに行ったのとは違う道を通った。こっちの道には水田が多い。昨日までは道中、畑しか見なかったのに。

そのことを潮音に言うと、場所によって育つ植物や育てやすい植物が違うとのことだった。

田植えをしたばかりなのか、水田には水が張られており、まだ短い苗が、隣同士の苗とかなり間隔を取って植えられていた。風が吹いてもまだなびけないほどの丈だった。

ふと、何の気なしに水田に近付くと


「あ、駄目だよ潮離。あまり田んぼに近付いちゃ。危ないから」

「何でだ?」

「ふっふっふっ。気になるなら自分の目で確かめてみたら?」

「危ないんじゃなかったのか…」


怖いもの見たさというか、あたしは引き寄せられるように水田の水面を覗き込む。

そこであたしが目にしたものは


「牛鬼!?おい潮音!ここにも牛鬼がいるぞ!」


あたし達牛鬼は人間の姿をしてても水面に牛鬼の姿が映るのは、すでに周知のことだけど、この時のあたしはそれを知らず、大騒ぎする。


「そうだね。こんなところにお仲間がいるなんてびっくりだよね」


潮音が横に来てあたしと一緒に水面を覗き込む。すると水面に映る牛鬼の横にも、ひょっこりと別の牛鬼が現れる。

さすがに気付いた。


「これは、俺か?」


恐る恐る水面に手を伸ばして、指先で水面に触れる。そのまま進むと指はすぐに底の泥に到達し、水の中に牛鬼がいないことがはっきりと分かった。


「あたし達はね、人間の姿に化けられるけど、水面にはこうして本当の姿が映し出されるんだよ」

「そうか…じゃあ、人間と一緒にいる時は水の無いところにいないとな」

「そういうこと。早くも人間の中に混じる考え方に慣れて来たみたいでお姉さんは嬉しいよ」

「なっ…!違う。そうしないとお前にまた怒られるからで…!しかも誰がお姉さんだ!」

「じゃああたしは潮離の何なの?」


潮音はあたしを見ながらわざとらしく首を傾げる。潮音のあたしより長い前髪が一房、重力に従って垂れる。


「お前は…あたしにとって……先生だ」


それがあたしの出した結論だった。


「そっか、先生か。いいねそれ。じゃあこれからはあたしのこと『先生』って呼んでね」

「分かった。そうしよう。…じゃあ潮音。早いところ山に行こう」


あたしは立ち上がって道脇から道の真ん中に戻る。

え?呼ばないの?と潮音が言ってたりしたが、無視することにした。

少なくともこの時のあたしは、潮音のことを「先生」と呼べるほど恥知らずじゃなかった。要は、恥ずかしがり屋だったということだ。決して今のあたしが恥知らずだという意味ではない。

二人並んでてくてくと、歩いているうちに水田しかなかった景色に徐々に木が混じるようになってきた。

木はだんだん増えていき、森が現れるようになってきた。

そのうちの一つの前で、潮音は足を止める。


「ここからは足元がでこぼこしてるから気を付けてね」

「ああ」

「虫とかも出るから気を付けてね」

「ああ」

「『キャー』とか言ってあたしに抱き着ついちゃだめだか」

「もういい加減入らないか?」


くどい潮音の前置きをあたしは一蹴する。


「そうだねー。取りあえず入ろうか。歩いてればすぐに傾斜が始まるよ」

「山菜というのは山に登らないと取れないのか?この森でも十分色んな草が生えてるように見えるんだが」


森の中には低木や背の高い木に混じって、飛び飛びにではあったが草なども相当数生えていた。

早く山菜にありつきたいあたしはついつい早まった意見を口走る。


「駄目だよ。そんなこと言っちゃ。山菜は山を登ってからが山菜なんだから。こんなところで採っちゃうと嫁入りしちゃうよ」


潮音がまたしょうもないことを言ったのかと思って潮音の顔を見ると、案の定「今面白いこと言いました」みたいに誇らしげな顔をしていた。


「そうだな。俺が間違ってた。早いところ山に登ろう」


面倒臭かったのであたしは先に森に踏み入ろうとする。

我ながら酷い子だと、今のあたしならそう思う。


「いや待ってよ!今のあたしが言ったことちゃんと理解できたの?」

「解説が必要だと思うなら言うなよ…」

「今の駄洒落はねえ」


嘆息交じりのあたしの言葉に耳も貸さず、潮音は駄洒落の解説を始める。


「山菜を森で採ると森菜しんさいになるでしょ?」

「そうだな」


挟みたい異論は色々あったけどこの時のあたしは黙っておくことにした。


「『しんさい』をうまく読むと、結婚したばかりの妻っていう意味の『新妻』になるでしょ?あれは『にいづま』とも読むけど、『しんさい』とも読むんだよ」

「そうだな。とにかく俺が間違ってた。早いところ山に登ろう」


何が「うまく読むと」なのかは分からないが、結論は変わらない。あたしは早いところ山菜を採りたかった。


「え~潮離ー感想くらい言ってよー」

「面白くない」

「え~潮離ーちょっとくらい気遣ってよー」


あたしは容赦なく酷評を叩きつけたのに潮音は傷ついた様子も怒った様子もなく、あたしの前に立って先導を再開する。

先ほどまでと違って道が狭いので横並びに進むことはできないようだった。

森の中を歩いていくうちに傾斜が始まり、山は突然始まる。

道は険しくなり、先ほどまでは下を見れば落ち葉や木の根とかが常に目に入ってたのに、その植物達も忽然と消える。登山というか崖登りに近かった。

黙々と登り続けて、確実に10分は経過した。それでも潮音の歩みも、このもはや崖としか思えない道も途切れることは無かった。

潮音は山菜を取る時毎回こんな道を使ってるのか、と感心しかけたその時、前方の潮音から


「うーん。思ったより大変だなこの道。いつもの道にしとけばよかった」


と独り言が聞こえてきた。


「おい待て。まさか今通ってる道って通ったことない道なのか?何でよりによって今日新しい道を試すんだ」

「だって開拓精神は大切だよ」

「俺が初めて同行する時に発揮しなくていいだろその精神」


思わずツッコむあたしだが、言っても仕方ない。かなり高いところまで登ってしまったので引き返す方が面倒だ。あたしは大人しく潮音の後を追うことにした。

10分ほどして


「よし!到着!」

「もう二度と使うなよ。あの道」


あたしは無事、獣道を抜けて本来の登山道に出た。


「いやー思ったよりも大変だったね。普通に登るのと同じくらいの時間掛かっちゃたよ」

「元も子もなくなったじゃないか。本当に二度と使うなよ…」


さっきまでの道というか、崖というかは草を時々見かける程度にしか植物が無かったのに対して、こっちには道以外の場所は隈なく木の根や落ち葉、雑草に覆われていた。


「さ、行くよ。ここまで来たらあと少しだから」


けろっとした表情で潮音は登山道から外れた道を進む。


「おい潮音。本当にそっちなのか?」

「今度こそ大丈夫だよ。信じて」

「嘘だったら今度こそ本当に怒るからな?」


なんだかんだ言いつつ、付いて行く他ないあたしは潮音の後を追い、道なき道を行く。


「採れる山菜については採りながら教えるね。現物を見た方が分かりやすいだろうし」

「そうだな。そうしてくれ」


そして歩くこと数分、潮音の足が止まる。

山菜採りに来たのだから当たり前と言えば当たり前かもしれないけど、そこは木々や草花がうっそうと茂っていた。なんなら森よりも植物密度は高い。この下に土が広がっていることを忘れさせようとしているかのような密度だった。

あまり人が踏み入らないのか、登山道のような踏み固められた道はなく、一面落ちた木の葉やら草やらが敷き詰められていた。


「はい。お待たせ。ここが目的地だよ」


そう言って潮音はかがみ、茂みに手を伸ばして数枚の葉っぱを摘み取る。


「早速だけど、これがミツバ。葉っぱの形が特徴的だから多分すぐに見つけられるよ」

「そうか。分かった」


潮音の持つミツバをよく観察して、周囲を見渡す。するとなるほど確かに周りにある他の植物とは明らかに葉の形が違う。


「あ、あとこれとこれはね」


潮音は手に持っていたミツバを背中の籠に放り込んでから、ぶちぶちと両手に一つずつ、山菜を収穫する。


「コゴミとワラビって言うんだけど、違い分かる?」


あたしの目の前に差し出された二つの、先の丸まった杖のような形のした山菜を交互に見るが、あたしの目にはどちらも同じに見えてしまう。


「…いや、分からん。本当に別の物なのか?」

「うん。あたしくらいになると見ただけで違いが分かるんだけど、初めのうちはよく間違えるんだよねー困ったことに」


「困ったことに」というその言葉から、片方は食べられてもう片方は食べられないのだと、あたしはそう思った。しかし

潮音は背中の籠に採った山菜を両方放り込む。


「おい待て。両方籠に入れていいのか?」

「え?うん。だって両方食べられるし」

「じゃあ何で間違えるのが『困ったこと』なんだ?」

「いや、味とか向いてる料理とかが違うのよ。微妙に」

「収穫の段階で気にすることじゃないだろ、それ」


その後あたし達は二手に別れて山菜を採り、潮音がまだあたしに教えてなかった山菜を見つけては集合を掛けられて、結局帰るまでにあたしは8種類の山菜を覚えて帰った。


「潮離ー。どう?そっちは順調?」


山菜採りを始めて1時間くらいしたころ、潮音はあたしが収穫してた場所に現れる。


「どうだろうな。かなりとれたとは思うが、籠が後ろにあるからどれだけ採ったか分からん」

「あーそうだよね。どれ、見てあげよう」


潮音はあたしの背後に回る。


「う~ん。四分の一ってところかな。初めてにしては上出来だよ」

「そうか」

「うん偉い偉い。そして…ふぅ」

「ひゃわい!」


首筋に息を吹きかけられたあたしは思わず変な悲鳴を上げる。


「敵に背後を取られるとは。まだまだね、潮離」

「お前は敵だったのか?」

「ふふっ。『ひゃわい!』だって。あはは『ひゃわい!』だって!」


あたしの悲鳴がツボだったのか、潮音は一人、反芻して笑ってる。


「そういうお前はどれだけ採れたんだ?」


恥ずかしかったので多少強引ではあったけど話題を変える。


「見て。多分半分くらいまで行ったと思うよ」

「ん」


しゃがんだ潮音の籠を覗き込む。すると確かに籠の半分くらいまで山菜が詰まっていた。


「大したものだな」

「えへへ。まあね」

「ふぅ」

「ひゅふん!」


あたしは無防備になった潮音の首筋一息、見事復讐を果たした。


「ははは。何だって潮音?『ひゅふん!』?その言葉の意味は知らないな。教えてくれよ。あははは!」


復讐を果たしたことと、潮音の悲鳴がまた滑稽だったこともあってあたしの笑い声は自然と大きくなる。


「もー!潮離ー!」


そこから暫く、山菜取りとは関係のないじゃれ合いが山の中では繰り広げられた。

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