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第1章 第後話 前編 悔恨の鬼 ⑦

「さあ、外に出たし。もう障害は何もない!元気出していくよー!」


外に出て開放的になったためか、潮音は一段と賑やかになる。


「元気だけでどうにかなるものなのか…?もしそうならいくらでも出すが」

「うん。実際使うのは妖気だけど、元気いいに越したことはないでしょ?」


でしょ?と言われても、この時のあたしはまだそんなに活発な子じゃなかったので一切共感してない。


「えーと、まあさっきは無茶な教え方してごめん。そう言えばあたしがあの方法で練習始めたのって、脚出せるようになってから一年くらい後の話だった」


素直に謝ったかと思えば、とんでもない間違いを暴露する潮音。

もう怒ればいいのか呆れればいいのか分からなくなってきた。


「まあ過ぎたことを言っても仕方ないしね。切り替えていこう」


この女は元気さえあれば何事も乗り越えられると思っているのか、元気よく、本来ミスを犯した側が言う言葉では絶対にない台詞を言ってのける。

しかし、教えてもらう立場であるあたしは


「ああ、今度こそ頼む」


と返すことしかできなかった。


「じゃあ潮離、まずは普通に牛鬼になってみて」

「分かった」


あたしは瞬時に巨大化し、蜘蛛の体に牛の頭の化け物、牛鬼に変身する。

いや、厳密にはこっちの方が本当の姿で、人間の姿の方にあたし達は「変身」してたわけだけど。


「じゃあ戻って」


指示に従い人間の姿になる。服が同化したためか変身する前と何も変わらない姿になる。


「そんでもう一回牛鬼になる。今回は体の変化に注意しながら、できる限りゆっくり」

「ゆっくり?」


牛鬼の姿になるときに深く考えていなかったあたしは思わず聞き返す。


「うん。できるだけね。要は人間から牛鬼になる時どういう風に自分の体が変わっていくかを感じられればいいの」


潮音は事も無げに言っているが、実際これは無理とまでは言わないまでも、難題と十分に言えることだった。言うなれば、欠伸の出し方を説明しろって言われてるようなものだ。

それでもあたしはできる限り自分の体の変化に集中する。集中して、再び牛鬼を解き放つ。

この時あたしは自分が牛鬼になる前に必ず息を吸ってることに初めて気が付いた。

息を吸うことで膨らむ胸。その膨張は前から後ろ、胸から背中へと伝わり、背中が広がるような感覚が訪れ、吸った空気以上の体積へと膨張する。

次は腕と脚が伸びる、それと同時に、腕と脚の間から、縮こまってて今まで忘れていたようなもう一組の手足が伸びる。

4本の手足は脚に変わり、牙と角が最後に現れる。


「……」


あたしは暫く無言で、余韻を味わうかのように自分の体に起こった変化を、頭の中で整理する。

恐らく一番重要と思われる、脚が伸びる感覚を重点的に反芻はんすうし、納得が言ったところでもう一度人間の姿に戻る。


「どう?感覚掴めた?」

「脚が伸びる感覚は…ある程度。…でも感覚だけで本当にできるものなのか?」

「うーん。それは潮離次第だね。取り敢えずやってごらん」

「…ああ」


さっき仕入れた感覚を思い出しながら、あたしは軽く息を吸い込んで集中する。

脚が伸びる工程だけを再現する。

縮こまった4本の脚を、脚だけを、伸ばす。

他は人間の姿のまま。


「行くぞ…」


誰にというでもなくあたしは呟く。

内側にしまった牛鬼の脚を、背中だけから解き放つ。

凄くゆっくりだった。あるいは、ただ単にあたしがそう感じただけだろうか。

先ほどやった2回の通常の変身と比べても段違いの時間を掛けて、ゆっくり、しかし確実に、あたしの背中から4本の脚が伸びる。

不揃いな伸びる速さを、あたしは懸命に一定に保つ。一定にしつつ脚以外の部分が出ないように、必死に自分を抑える。


「はあ…」


長きにわたる格闘が終わった。終わって初めて、自分が今まで目を閉じていたことに気が付く。

目を開いた時、大して太陽の位置が変わってなかったところから察するに、時間は大して進んでいなかったことも悟る。

空を見るべく上を向いていた視線は、あるものを捉える。

それは、牛鬼の脚。それも恐らく自分の背中から生えているであろう脚。


「潮音!できた!できたぞ!この脚、俺の背中から生えてるだろ?」


興奮したあたしは視線を落として潮音に向かって叫ぶ。

潮音はにこやかな顔つきであたしの方を見る。


「うん。成功だね」


潮音の口から出たその言葉に、あたしは舞い上がりそうになるが、しかしそれは続けて発せられた潮音の言葉によって未然に終わる。


「4本くらい多いけど」


舞い上がりかけて狭くなったあたしの視野が、瞬時に広がる。

そして見つける。牛鬼の脚に変化してしまった人間の方の手足を。


「あ」

「惜しかったねー。でも背中から生えてる方の脚は綺麗に生え揃ってるよ」


自分で自分の姿を確認することはできないからあの時のあたしがどんな姿だったかは分からないけど、少なくとも異形ではあったに違いない。

あたしは慌てて手足を人間に戻そうとするが、慌ててしまったためか、はずみで背中から生えた方の脚も戻ってしまう。


「ちっ…。次は必ず…」

「うん。頑張れー。あ、でも駄目だよ」


潮音は思い出したように口癖の「駄目だよ」を付け足す。


「何がだ?」

「舌打ち。女の子がするものじゃありません」


脚の出し方に問題があったのかと思えば、ただの素行にたいする注意だった。

まあ、この時指摘してくれたからこそ今の御淑おしとやかな大和撫子、潮離がいるんだけど、当時のあたしは、また余計なことを。と、内心で悪態をついていたりした。


「分かった。気を付ける」


こうして嘘を付けるようになったのは、ある意味では成長と言えるだろう。

あたしはもう一度背中から脚を出す。

今度はうまくいった。人間の方の手足には一切変化はなく、背中からは4本の牛鬼の脚が生えている。


「うん。合格」


あたしが出来栄えを聞くよりも先に、潮音からのお墨付きをもらう。

とはいえ実際はあまりうまく脚を操れている感じがしない。

動かしたつもりが大して動かなかったり、動かしてないつもりなのにゆらゆら揺れたり。


「まだあまりうまく扱えてる気がしないんだが」

「そう?どんな感じ?」

「…動かしづらい」

「漠然としてるね」

「……」


生まれたばかりで物を知らないあたしは具体的な説明ができない。

今なら、生まれたばかりの小鹿だとか、痺れてる感じだとか言えるんだけど。


「動かし続けてごらん。そのうち慣れてくるよ」

「そう、言われてもな…」


背中から生えた脚を何とか制御しようと試みるが、意識を脚に向ければ向けるほどこの脚が非常に不自然であることに気が付く。

1本だけならまだしも、4本を一気にとなると冗談抜きに脚が絡まってしまうかもしれない。

脚はそれぞれ、てんでんばらばらにふらふらとあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてる。絡まるのは時間の問題に思えてきたその時。


「潮離。一旦脚のことは忘れて」


潮音の声が聞こえた。


「一回脚のことは忘れて力を抜くの。ほら、こんな風に」


潮音は自分も背中から脚を出し、力を抜く。脚はだらんと背中から垂れ、かなりの長さがあるため、地面に横たわる。

潮音に倣ってあたしも脚から力を抜き、地面に横たえる。


「何も考えないで。さっき背中の脚を動かそうとして色々考えただろうけど、それ一回全部忘れて」

「あ、ああ」

「視覚も余計だから目、閉じて」


この行動に何の意味があるのかは分からなかったが、とにかくあたしは言われた通りにする。

そしてなるべく頭の中を空っぽにするよう努力する。


「じゃあ腕だけ上げたり下げたり動かしてみて」


目を閉じたまま、あたしは腕を縦横無尽に動かす。極力背中の脚のことは考えないようにするが、腕の動きにつられて背中の脚も動いてしまう。背中の脚の方にも感覚はあるため、頭から追い出そうとしてる脚は否が応でも頭の中に現れる。


「うん。もういいよ。最後に腕を組んで、胡坐あぐらで座って、目を開けて」


言われた通り腕組みをして、胡坐あぐらで座る。

一昨日は、女の子がする座り方じゃない。とか言ってたのに。

勝手な。

とか思いながら目を開く。するとそこには


「えい」


という声と共に右上、右下、左上、左下の4方向からあたしに迫る潮音の脚。


「うわあ!」


立ち上がろうにも胡坐なうえに腕を組んでいるためすぐにはできない。

しかし、この時あたしの中には出所不明の余裕があった。その正体を、あたしは遅れて理解する。


「あ」


あたしの脚が、無意識に前に伸びていた。

もちろん潮音の脚を4本同時に捌くとか言うかっこいいことはできなかったけど、4本の脚が、さっきまであたしの言うことなんて録に聞きやしなかった脚が、あたしを守る壁のように、潮音との間に割って入る。


「ふっふっふっ。うまくいったね」

「何が『ふっふっふっ』だ。何してくれてるんだお前は…」

「ん~?お前じゃなくてー」

「何してくれてるんだ『潮音』は!」


やるならやると……言わなかったからこそうまくいったんだけど、それでもやはり腹は立つ。


「まあまあうまくいったんだから。許して」

「…そうだな。許すとしよう。今ので感覚は掴めた。だからもうここから先は俺だけでできる。ありがとう世話になったな」

「うん。どういたしまいて。って何で!?あれ?思ったよりも怒ってる?潮離ー?」


潮音が思ったよりも大きい反応を示したのでもう少しからかってやろうかという悪戯心が芽生えてたりしたんだけど、実行するには至らなかった。


「しかし、案外潮音は教えるのがうまいのかもしれないな」

「え?そう?だよねー。もう潮離大好きー!」

「あー鬱陶しい!」


ほんの出来心で感想を言っただけなのに、思ったよりべたべた触られて、というか抱き着かれて、あたしはつい悪態をつく。


「まあ、さっきの教え方はただの受け売りなんだけどね」


抱き着く腕を緩めて、あたしから離れながら潮音はそう言う。


「受け売りというのは?」

「あたし達の体は蜘蛛でしょ?だから、百足の話を参考にしたの」

「…百足?」


すでに家に向かって歩き始めていた潮音から、具体的な説明を聞くことはできなかったけど、歩き方を聞かれた百足が途端に歩けなくなった。みたいな話のことを言ってるんだろうな。多分。

そんなわけであたしはこの日、生まれて初めて人間の姿で、牛鬼の脚を使ったのだった。

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