第1章 第5話 終焉の魔王⑨
「ノラ。空間遮断を頼む。」
「はいはい。」
ノラが地面を杖で叩くと妃を灰色のドームが覆う。
僕は妃を見据え、まずゴーレムに命令を出す。
「Release her.」
ゴーレムは妃を開放して本体へ、つまりサークルを形成しているゴーレムの柱に合体する。
「一通り状況を説明しよう。」
「いえ、結構です。」
僕の言葉に妃は無表情で、抑揚のない声で答える。
「ある程度察しはついています。ご主人様があなた方に敗れ、この城は落ちた。そして暫定的にこの国の最高権力者となった私に敗北宣言をさせようというのですね。」
「まあ、そうだな。」
魔王もなかなかの切れ者だったが妃も相当切れるみたいだ。周囲を見ただけでそこまで悟ったか。それにしても不気味なほどに無表情だ。
「そして目標を達成した暁には、私はあられもない姿にされ、あたう限りの辱めを受けるのですね。構いません。覚悟はできています。」
「それは違う。」
無表情で一体何を言ってるんだこの人は。切れ者ではあっても常識人ではなかったようだ。
「うわ、やっぱりそうだったんだ。」
ノラは大いに引いた顔で見下すように僕を見る。
「違うって言ってるだろ。相手のペースに乗せられるんじゃない。」
無表情なままで妃はおもむろに立ち上がり、改めて周囲を見回す。
「妙な感じですね。この空間は。」
「少なくとも君が雪を操ることのできる領域の水分をなくしてある。」
「そのようですね。私の能力は既に見破られているようで。」
妃は両腕を広げて天を仰いだ。次の瞬間、雪が降り始める。妃が空間遮断の外側にある水分を凍らせたのだろう。
ノラは身構え、念のために杖を構える。
「無駄だよ。水分のない空間は君を指定して発動してる。跳ぼうが跳ねようが、君は氷を操ることはできない。」
「ええ、今しがた理解しました。」
「ちょっとあんた立場分かってるの?こっちはあんたが不審な動きをしたと思ったらすぐにでもあんたを粉々にできるのよ!」
「お望みとあらばどうぞ。あなたのご主人様がそれを許すかどうかは分かりませんが。」
「な、誰がご主人様よ!」
ノラは妃ではなくなぜか僕にそう怒鳴りつける。
「勢いあまって僕ごと粉々にしそうな視線を向けるのはやめろ。一応言っておくけど妃を粉々にするのも駄目だからな。」
「分かってるわよ。」
ノラは口ではそう言いつつ不満を隠そうとしない口調でそう応える。
「さて、魔王が倒されたということをこの国の民が知ったらどうなるか、君は分かってるよな?」
「魔王とは」
妃は僕からの問いかけには応えず、先ほどまでの淡々とした口調に少しばかりの威圧感を含んだ口調で口を開く。
「魔王とは、ご主人様のことを言っているのですか?差し支えなければ、やめていただいてもよろしいでしょうか?」
下手に出た命令と言ったところか。いつもの僕なら意地でも抵抗していたが、今は変なところで争っている場合じゃない。素直に聞き入れるとしよう。
「失礼。訂正するよ。君のご主人様だけど」
「あの人のことを『ご主人様』と呼んでいいのは私だけです。差し支えなければ、やめていただ」
「じゃあ何て呼べばいいんだ?」
面倒臭いなこの雪女。
「殿とお呼びください。」
「分かった分かった。じゃあ殿は、まだ生きてる。こっちで預かってるから生きて返してほしければ、殿を説得してくれ。」
「お断りします。」
「え?」
断られた。早すぎる気もするが断られた。
「いや、まだどんな説得をするかも言ってないんだけど…。」
「ええ、でもどうせこの国をよこせとかそういったことでしょう?」
「いや、まあ…でも厳密には」
「私はご主人様のように聡明ではありません。ですから私は、頑なにあなた方を拒みます。」
「待て。話を」
「私は、三か月前にあなた方が来た時、生きた心地がしませんでした。ずっと続くと思っていたものが、ほんの一日で二度と戻ってこなくなるんじゃないかと思って。」
僕達に向けていた視線を自らの手に落とし、彼女は続ける。
「だから私は決めたんです。どんな手を使ってでも守ると。何を犠牲にしてでも守ると。守った結果その日常に私がいられなくなったとしても。」
彼女はその眼に冷たい決意の炎を宿し、自らの手首に歯を立てる。その傷口から血が、赤い血が、溢れる。
物の怪にも血液は存在する。酸素を運ぶためにある生物の血液とは違って、物の怪の血液は妖力を全身に行き渡らせるためにある。
つまり物の怪にとっても出血というのは好ましい事態ではない。しかし彼女は溢れ出す血液を次々に雪へと変換していく。能力によって雪はすぐさま赤いナイフ状の氷に作り替えられる。
この瞬間、ノラは躊躇してしまった。先ほどの会話で妃への攻撃という選択に迷いが出てしまい、結果、ノラは魔力を防御壁に回してしまった。
そのお陰で僕とノラは妃からの攻撃から守られたのだが、防御壁を発動した反動で妃を覆っていた空間遮断が解除されてしまう。遮るものを無くした雪は妃の能力圏内へ侵入を始める。
その雪を妃は高速で運動させるとその運動は能力圏の外の雪にも伝わり、すぐに吹雪になる。
「ノラまずいぞ。どうする。」
「あんたが考えなさいよ。言っとくけど吹雪のせいで視界不良だから魔法では狙えないわよ。」
「吹雪のせいで声が届かないからゴーレム達も動かせない。今どのくらい魔力残ってる?」
「爆撃魔法一発ね。少し待てば魔力も回復するけど、待てる?」
「いや、この戦い、妃を取り逃がした時点で負けだ。早いところ捕まえたい。」
「そうよね。それは、分かってる…。」
ノラは表情を曇らせ、溜め息を一つつく。
「あのね。あたしの中の魔力を全部、倒した妃を転送する分も考えて全部、使えば勝てる。」
「じゃあやってくれ。と、言いたいところだけど、気が進まないのか?」
「うん。何でもお見通しなのね。」
「まさか。何も見えちゃいない。何でも知ってるだけだ。」
「そうね。…そもそも、何でもお見通しならこんな風に形成逆転なんてされるわけないもんね。」
僅かに表情をほころばせてノラは痛い指摘をしてくる。反省してる最中に傷口をえぐられるのはあまり気分のいいものではない。
「で、気が進まない理由ってのは何なんだ?」
「まず、今すぐには私の言った攻撃はできない。一分くらい待って。」
「それくらい喜んで待つ。」
いや、「喜んで」というのは言い過ぎだが、しかし是非もないことだ。
「うん。…問題はもう一つの方。私と弟達のスキルである『超回復』だけど、あれはダメージが許容量を超えると意識が落ちるのよ。」
「ああ。スキルにも反作用というか副作用というかがあるんだろ。」
「その場合、私は自分の体を録に安全なところに隠せずに眠ってしまう。」
「それなら安心しろ。ゴーレムはこの部屋に全員集合してるんだ。この上なく快適に基地のお前のベッドまで運んでやる。」
「あ、いや、問題はそこじゃなくて…。」
何だ?ノラの歯切れが異様に悪い。
「どうしたんだ?煮え切らないな。」
「…いえ、いいわ。遠慮なく言わせてもらうけど。私はまだあんたのことを信用してないのよ。」
「は?」
「信用してない」だと?ここまで一緒に戦ってきて、助け合ってきたのに僕を信用してないだと?
「だからどうしても私に魔力を全部使って欲しいっていうなら」
ノラは僕の目をまっすぐ見ていた。
「私を説得して。」
冗談の類ではないみたいだ。説得か。もうこの時点で一分くらいは経った。つまり、説得が長引いたところで利点などないということだ。
一秒でも早く説得。それもあのノラを、か。
こんな時に、いや、こんな時だからこそノラは確かめたいのか。でも丁度よかった。僕は策士だ。物の数秒で終わらせてやろう。
さあ、腕の見せ所だ。




