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10話「魔女」

「う……?」


 意識を取り戻した時、エイジは床にうつぶせになっていた。

 視界は薄暗いが、真っ暗ではない……窓はすべて塞がれているが、おそらく街のどこかの廃屋らしい。

 硬い床に転がされていたせいか、身体中が軋むように痛い。


 もっとも、強く打ち据えられた頭の痛みからすれば、生きているだけ御の字と言えそうだ。

 後頭部の乾いた気色悪い感触は、髪ごと固まった血のかさぶただろう。


 震えるように揺れていた視界も徐々に晴れてくる。

 だが、身体は動かせなかった。

 麻痺の類ではなく、物理的に拘束されているのだ。


 身を捻って見やると、イモムシのように両手足ごと全身をぐるぐる巻きにされている。

 縄ではない――が、太さはそれくらいで、他のなににたとえていいか分からない。

 あえて言うなら、透明に近い白っぽい、蜘蛛の糸だ。

 こんな太い糸を出す蜘蛛はいないし、こんな風に巻き取られているなら、エイジは既に捕食寸前ではある。


 いや――


(絶体絶命、なのは、変わらないか。助けは来るのか……)


 おそらくそれも望み薄だろう。


 昏倒する寸前のことは覚えていた。

 それを思えば、状況は最悪と言っていい。


 そうして、エイジが自分の現状を把握した頃だった。


「――おやおや。目が覚めたようッスねえ、先輩? お加減はいかがッスかー、くすくす……」


 キィ、と廃屋のドアが開いて、へばりつくような甘ったるい声が投げかけられる。

 ごろりと身体を転がすようにそちらへ視線を向けると、小柄な人影が部屋へ入ってきた。


 逆光の中、視界に映る二つ結びの髪。

 騎士団の正装。

 見慣れた顔貌と、その姿、そのシルエット。


 エイジはうめくように、彼女の名前を口にした。


「プラム……」

「はい。あなたの可愛い後輩、プラムチェスカ・コンポートちゃんッスよぉー」


 なにがおかしいのか、そう言ってまた笑う。

 ……いや、おかしいのは自明で当然か。

 これまでまんまと騙され踊らされていた馬鹿者が、とうとうこうして罠にかかったのだから。


 歯ぎしりして、しかし声を張り上げる余力はなく、ただ噛みつくようにうめく。


「裏切ったのか。お前は」

「ノンノン。その表現はだいぶ違うと思いますよ」

「なら、お前が仕組んだことか。全部」

「そっちのが近いッスね。ただ、満点の解答まではあと一歩」

「……お前が、魔女か」


 告げると、プラムはニマァっと大きく笑った。

 裂けた三日月のように唇を吊り上げた、悪夢めいたその笑み。


「その通り。大間抜けなお前でも、さすがに気づいたようね」


 口調も嗤笑(ししょう)のそれに変えて、プラムが――魔女が嘲った。


 エイジは強く歯噛みした。

 目の前の相手への敵意と同時に、己の迂闊と不甲斐なさに。


 赤の剣は勇猛さの剣――しかし、それは短慮や愚かさと同義ではない。

 違和感に気がつくべきだった。

 都合のいい後悔だとしても、先走った結果が最悪なら言い訳はできない。


 たとえば、あの工事現場で魔物化した人々――

 おそらく彼らはみな、プラムの手渡した『黒歴史パイ』を口にした人々だったのだろう。

 魔女には人間を魔性へと変える魔力があるという。

 あの区画のすべてを把握していたわけではないが、思い返せば、エイジが目にした範囲では魔物化した人々はすべて、工事現場で働く労働者に限られていた。

 まさにプラムがパイを配っていた、その対象者たちだ。


 シーゲル騎士にしてもそうだ。

 エイジが彼の変貌に遭遇し、戦闘を始めるきっかけになったのも、プラムに呼ばれたからだ。

 つまり、あの上級騎士に最後に会っていたのも同じくプラムということになる。


 さらには、些細な違和感で言うなら。


「……戦闘が終わった時、お前は負傷していなかったな。いや、それどころか服に埃ひとつ(・・・・)ついてなかった。あの場にいた騎士で、ただひとり戦ってなかった証拠だ」

「さすがに満点ね。足りない頭でよく考えました。ぱちぱち」


 馬鹿にしたようなセリフとともに、投げやりな拍手までついてくる。


 これだけ材料が揃っていて、なぜ見落としたのか。

 口惜しさにエイジはほぞを噛む思いだった。


 変わらず身動きは取れないまま、その言いようのない苛立ちを込めて、プラムを睨みつける。

 魔女はその眼差しを愉悦して見返し、口を開いた。


「もっとも、その満点の解答も、私が出題したものだけどね。さっきの操り人形の女も含めて、そもそもが撒き餌だったのよ。お前が望みの答えにたどり着けるようにするための」

「俺が、魔女を探しているのを知っていた……最初から。いや、いいや。そもそもが、きっと、事の発端から!」

「アハハハ! そう、その通り! お前の兄を殺したのはこの私、貪食(どんしょく)の魔女! かつてのお前の目の前でね!」

「殺してやる……!」


 激情に駆られるまま吠える。

 床に這いつくばらされ、その無様な言葉しか届かないとしても。


 プラムは、貪食の魔女は嘲弄の気配を強めた。

 見下しの視線をさらに歪め、今にも大笑しそうな面差しで、言ってくる。


「ありきたりだけど、その言葉が聞きたかった。騎士団でお前を見つけて、弄ぶために近づいたその時から、ずっとずっとね。だけど、責任転嫁は感心しないわ"先輩"? お前の兄を殺したのは、いわばお前自身なのだから」

「…………!」

「傑作だったわね。あの騎士の、ハルトの最期の驚き顔は」


 くすくすと笑う。

 声音だけは上品だが、その根底に人を弄ぶ下卑た快感を潜ませながら。


「ハルトは手強い獲物だったわ――当時の私は今より美しく、強大だったけど、回復のために姿形まで変えなければならなかったほどに。追い詰められた私に、まさに天から垂らされた幸運の糸が、エイジ、お前だったわね」

「やめろ……」

「拮抗していた戦いに、幼いお前が名乗りを上げて横入りしてきた。ああいえ、正しくは、"お前に名乗る名前はない!"だったっけ? 虚を突かれたのは私も同じだったけど、ハルトの動揺はそれ以上だったでしょうね。剣を振るう手も止めて、無様なほどの隙を晒した。騎士の大敵、魔女であるこの私を前にして」

「やめろ!」

「だから殺した。あっさりと、花の芽を摘むようにね」


 耳を塞ぐこともできず、止めることも叶わず、その言葉を聞く。

 聞かされる。

 嬲られているのを分かっていながら、のたうつような心の苦悶を表情に浮かべて。


 ――そう。

 それがエイジの、消えない罪。

 心の一番奥深くに刻まれた恥の記憶。

 悔やんでも悔やみきれず、どんなに求めても取り戻せない。

 地獄に落ちて魂の芯まで燃え尽きてしまえと、何度自分に語りかけたか分からない。


 それこそが、自分を過去へと縛り付ける、呪いと怨嗟の根源だった。


 それをひとしきり見下ろし、眺めてから――

 魔女は嘆息した。


「とはいえ、私の傷も同じく、命と心に亀裂を入れるほど深かった。光の剣は魔族にとって致命の猛毒だもの。私は蘇生のため小娘の姿に身をやつし、騎士団に潜入した。しばらくは大人しくせざるを得なかった――密かに騎士たちを襲い、その血肉を喰らって、肉体の復活のための糧とした。屈辱の日々だったわ。疑いの目を逸らすため、何度も死を偽装して姿と素性を変えざるを得なかったのも」


 なにより、と一息ついて。


「人に紛れている間は、いつも古傷が傷んだわ。ハルトにつけられた、光の剣の|"痕"《きずあと》がね。そうね。思い返せばあいつはただひとり、私のことを初めて――」

「なにを、ぺらぺらと、語ってやがる……! お前の事情なんか知るか、知ったことか!」


 感傷めいたなにかをのぞかせた魔女を、エイジは遮った。


 不快というより、単純に許せなかった。

 兄を死に追いやった人外の化け物が、よりによってその兄のことを語るのが。


 続けてエイジは叫んだ。


「答えろ、貪食の魔女! セイラム副長は――姉さんはどうした! 返答次第じゃ、お前を」

「威勢のいい男は嫌いじゃないけど。立場を弁えない馬鹿は、嫌いだわ」

「がっ……!」


 ごん、とブーツの爪先で顔面を蹴りつけられて、エイジは苦痛にうめいた。

 見た目の体重以上の威力に身体ごと、意識ごと吹き飛びかけて、しかし、床に叩きつけられた痛みが気付けになってまた起こされる。


 悶絶するエイジを、冷え冷えとした眼差しで見やって、プラムがつまらなげに告げた。


「セイラムならまだ無事よ。安全なところに拘束してある。信じろとは言わないけどね」

「そう……かよ……」

「まったく、騎士というのは度し難いわね。こんな状況でも人の心配。ああ、言っておくけど助けなら来ないわよ? まさか今さら"プラム"の言葉を信じてはいないでしょうけど、"みんな"を呼びになんて行っていないもの」


 そんなことは言われるまでもない。

 こんな状況になった時点で真っ先にあてから外していた。


 そういえば、と魔女が続けた。


「度し難いといえば、タロンとかいう騎士にも手を焼かされたわねえ。また姿を(くら)ます時のため、あらかじめ私の血を飲ませて眷属化したのに、意思の力だけで支配を拒んで逃げ出すなんて。まあ、なにができたわけでもないけどね。逃げ出した先で勝手に墜ちて死んだだけ」

「違う、だろ……彼のおかげで、お前は、尻尾を出さざるを得なくなった。異常を仲間に、騎士団に知らせた時点で、タロン騎士の勝ちだった……」

「出した尻尾を掴まれてもいない現状で強がられても、ねえ。それに、同じ轍は踏まなかった。次のシーゲルの時には記憶ごと書き換えることにした。私が新しい視点を発見できたという意味で、タロンの抵抗は利敵行為でしかなかった」

「セイラム姉さんも、同じように利用するつもりか……」

「最初はそのつもりだったんだけどね。もっと面白いことができることに気づいて、今は判断を保留してる。無事って言ったのはそういう意味よ」


 含み笑う魔女。

 エイジをして思わず背筋を震わせてしまう、凄艶な笑みだった。


「いえ。面白い、というと不敬なのかしらね。まあ、私は魔女なんだし、格式張るほうが可笑しいのだけど。正しくは、魔女本来の役目を果たす時が来た、というべきかしら」

「本来の役目だと?」


 エイジは表情をしかめた。


 魔女について知られていることは騎士団でも少ない。

 人を魔物に変え、魔物を率い、人類に害を為す災厄の存在として知られる以外、はっきりしたことは分かっていない。


 それこそ、伝承に語られるような、はっきりしない曖昧な話ぐらいしか――


 エイジの無知を嘲り笑うように、貪食の魔女は唇を吊り上げて笑った。

 あるいはうっとりと、陶酔するように笑みを蕩けさせた。


「魔王の復活――それが私たちの悲願よ。お前たちが知らないのも無理はない。長らくそれは、私たちにとってすら夢物語に等しかったのだから」

「……な」


 あまりに突拍子のない話に、唖然と口を開く。

 しかし、魔女は当たり前のように後を続けた。


「お前たちニンゲンの間でも、伝説として残っているでしょう。かつて光の剣の勇者に倒された魔王という存在。私たち魔女は、その魔王が光の剣への対抗策として生み出した究極の兵器……そして最後の遺産となった」

「馬鹿げてる! そんな降って湧いたようなおとぎ話、信じられるわけないだろ!」

「言ったでしょう、信じる信じないはお前の自由。私はただ私の機能として、魔王様をこの現世に転生させるだけ。そのための布石も既に打ってある」


 気軽に肩をすくめるようにすると、魔女は笑みを消した。


 遅れてエイジも気がついた――足音が聞こえる。

 駆け足に合わせて、剣帯がこすれる硬質な音も。

 誰かが建物に駆けつけてくる――しかし、誰が、この状況で?


 疑問にはすぐに答えが出た。


「――エイジ君! 大丈夫!?」

「シャ、ルル? お前、なんで」


 いや、ある意味では一層疑問が深まったが。


 助けに来た?

 しかし、どうしてこの場所を?

 いったい、自分の知らないところでなにが起こっている……?


 混乱するエイジを尻目に、魔女がくすりと笑った。


「来たッスね、シャルルちゃん」

「プラムちゃん……うん。指示された通り、ひとりで来たよ。エイジ君を解放して」

「なん、だと?」


 どういう意味だ。

 プラムは"助けは来ない"と言った。

 いや、信じるかはエイジ次第だとも繰り返し言っていたが、だが、だとしてもこの状況はなんだ?


 なぜシャルルに自分たちの居場所を知らせた?

 そして、おそらく"ひとりで来い"と指示した、その意図はなんだ?


 なにかを見落としているのではないか――重大ななにかを。

 しかし、その陥穽(かんせい)を悟るより先に、シャルルがエイジのほうへ説明した。


「あの後……エイジ君が出ていって、しばらく後、会議室にいつの間にか変な手紙が届いてたの。プラムちゃんが実は魔女で……エイジ君を助けたければ、私ひとりで南区角のこの廃屋に来いって。そう書いてあった」

「そう。手紙の差出人はもちろん私。言うことが聞けて偉いわね、シャルルは。素直な子は大好きよ」

「プラムちゃ……まさか、本当、なの?」


 からかうように笑う魔女の声に、シャルルがふらふらと後退る。

 しかし、そんなシャルルの動揺に構う様子もなく、プラムはニチャリとヘドロが滴るような笑みで応えた。


「これが嘘や冗談なら、全然面白くないわ。つまらないことをやらかすやつは死んでいい、っていうのが私の持論なのよね」

「っ、だったら、あなたを倒す!」

「できないわよ」


 腰の剣を抜刀しかけたシャルルを制するように、プラムが素早く片手を上げる。

 いや、その動きがそのまま次の行動だった。

 魔女の右手から、エイジを縛りつけているのと同じ白い糸が走り、シャルルの利き手を剣の鞘ごと縛りつけた。


「なっ……!?」


 抜刀を封じられたシャルルが驚愕の表情を浮かべる。

 さらに魔女が腕を振り下ろすと、繋がった糸を通してシャルルが床に叩き伏せられる。

 かはっ、と声にならない息が強く漏れ出た。


「シャルロッテっ!」


 思わず叫ぶ。

 咄嗟に跳ね起きようとしても、蜘蛛糸で拘束された身体はまったく言うことを聞かなかったが。


 そんな声には構わず、魔女が叫ぶように高らかに告げた。


「捧げ物は揃った。高位の聖職騎士たちの魂、三色に彩られた剣技の数々、そして光り輝く力の乙女……今こそ我らの悲願が叶う時!」


 その叫びを聞いた瞬間、エイジの脳裏に恐ろしい予感が走った。

 はっきりと予感の正体は掴めないまま、それでも声を張り上げる。


「っ、駄目だ、逃げろシャルル! こいつの狙いは俺でもセイラム副長でもない――お前だっ!」


 しかし、必死の思いも無為に虚空へ吸い込まれて消える。


 瞬間、プラムの身体が内側から爆発した――ように見えた。

 弾けるように大きく膨れ上がったその姿に、大樹の(うろ)めいたアンバランスな大口が開く。

 廃屋の天井が吹き飛び、光が射した瞬間に垣間見えたのは、魔物化したシーゲル騎士と類似した冒涜的な体色と質感のぬめりで――


「きゃ、あああーっ!」


 そして、異形の巨大蜘蛛と化した魔女の大口が、太い白糸を吐き出してシャルルの身体を巻き取って引き寄せた。

 捕食、される――!


 しかし、その間際、まさに寸前に。


青式流剣(ソードブルー)蒼空大護陣グレイシャルバスティオン――っ!」


 基礎から危うく軋む建物に素早く駆け込んだ人影が、青い輝きとともに抜刀した。

 斬りつけるというよりは押し広げるように振るわれた剣先が、異形の魔女と床に倒れたシャルルの間に割り込んでその動きを阻止する。


「無事か、ふたりとも!」

「ベック!?」


 驚きとともにその名を呼ぶ。


 そして悪友に続いて、いくつもの輝きが崩れかけの建物に突入してきた。

 四光騎士団の騎士たちだ――自分たちのような新人だけでなく、練達の上級騎士まで幾人か混じっている。

 鮮やかな赤、青、白の光が散開し、倒れていたエイジもそのひとりに保護された。


白式咲剣(ソードホワイト)芙蓉閃光(ローゼズマロウ)


 白い剣の輝きが一振りされ、エイジの身体を縛っていた蜘蛛糸が切断された。

 密着していた身体に傷ひとつつけず、まさに閃くようなその瞬速の神業は、上位の白の剣士の技に相違ない。


「立てるな?」


 その白の騎士の問いに首肯し、エイジも立ち上がって抜刀した。

 プラムの――いや、プラムの形をしていたナニカを囲む包囲に、自分も加わる。


 建物の反対側では――いや、もう完全に崩壊して吹き抜けのようになっていたが、ともかく向こうではシャルルも同じように救出されるのが見えていた。

 ベックも剣技を解いてその援護に回り、立ち塞がるようにその目の前で剣を構える。


「…………」


 しばし、睨み合いが続く――騎士の一団と、不気味に蠢く肉塊のような蜘蛛の魔女の。

 先に沈黙を破ったのは、意外と言うべきなのか、魔女のほうだった。


「……ひどいッスねえ、ベック先輩。手紙にはシャルルちゃんひとりで来いって書いといたんすよ?」

「従わないとどうなるか、は書いてなかったぜ。脅しには片手落ちだ。このバケモンが」

「すーぐそうやって揚げ足を取る。そういうとこッスよ」


 おどけるように言うプラム。

 その姿は今や、完全な怪物に変わり果てていた。


 神話にいうケンタウロスのように、今の魔女の姿はプラムの上半身の下に、巨大な女郎蜘蛛に似た下半身が一体化していた。

 頭の高さは人が二人分ほど、蜘蛛のほうの全長は十メートルほどもあって、その多脚の脚はほとんど建物からはみ出している。

 グロテスクな外観は神への冒涜と言う他なく、プラムとは別に大口を開いた蜘蛛の顔が、ギョロギョロと四対の不気味な眼球を左右に忙しなく動かして周囲を睥睨する。


 その異様な光景に、騎士団一同の緊張が高まる。


 魔女との戦いを――経験した者は、この場にいるのかどうか。

 魔女は表舞台に出ることは滅多になく、"翳"から魔物による襲撃を仕掛けるのが常だ。

 その黒幕めいた存在と対峙して、否応なしに空気がヒリつきを帯びていく。


 次に口を開いたのは、エイジを助けたあの白の騎士だった。


「投降しろ、などとは言わん。貴様はこの場で斬り捨てる。この人数を相手に勝てるとは思うまい?」

「三下のセリフをありがとう、名も知らぬ騎士のあなた。おかげでこちらも遠慮なく、三下らしい振る舞いができる」


 と、魔女の肉体が変形した――いや、蜘蛛の下半身が不自然に膨れ上がった。

 ごぼっ、と内側から吐き出されて現れたのは、ひとりの女性だった。


 半ば溶けかけの服に身を包んだ女性は、意識のないまま、苦しげなうめき声を上げる。

 粘液めいた魔女の蜘蛛糸に、ツララのように吊り下げられたまま。


「う……」

「セイラム、姉さん……!」

「人質かよ!」


 エイジの苦く軋る声に続いて、ベックが叫ぶ。


 だが、傍らの白の騎士はあっさりと言った。


「通用するものか。彼女とて騎士だ、覚悟などとっくにできている。魔女の討伐は何者にも優先される」

「…………!」


 思わず絶句するエイジだが。


 それに否を唱えたのは、まさに魔女のほうだった。


「ノンノン。これはね、そんなものじゃないの。人質じゃなくて、ただの――武器(・・)よ」

「なんだと?」


 白の騎士が言うのと、同時だった。

 魔女の上半身――プラムが、腰に提げたままだった騎士団の剣を抜き放った。


 当然、騎士たちは即座に身構えたが。

 次に起こったことを予想できた者は、この場にはひとりもいなかった。


青式魔剣(ブラッドブルー)蒼空大護陣グレイシャルバスティオン

「――――っ!?」


 瞬間、魔女を中心に巻き起こった竜巻のような旋風に――泥沼のように濁った青い輝きに、騎士たちの陣形が大きく乱れた。

 エイジを含めた十数人は後ろへ吹き飛ばされ、廃屋の壁を通り越して隣の建物に、あるいはその残骸に叩きつけられる。


「がは……ぁっ!」


 苦痛を吐き、もんどり打って床に転がるエイジ。

 それでもギリギリで意識を保ち、どうにか視線を持ち上げると、魔女の一撃の勢いに負けなかった騎士たちが一斉に斬りかかるところだった。


 四方から迫る剣撃。

 それに対して、大蜘蛛の姿の魔女は、亀裂のように不気味な笑みを浮かべた。


 妖艶に、悠然と、余裕綽々につぶやいて剣を一閃する。


白式魔剣(ブラッドホワイト)――芙蓉閃光ローゼズマロウ、っと」


「ぐおおお……!?」

「ぐがぁっ!」


 白と黒、(まだら)の影のような剣閃が周囲に走ると、飛び掛かった騎士たちがあっさりと返り討ちに遭い弾き飛ばされた。

 血しぶきが弧を描くように宙に舞い、地面にびちゃりと染みつく。


 そこに残ったのは、無傷のままの魔女と――変わらず粘着塊に捕まったセイラムだけ。

 他の騎士たちは全員、エイジやベックやシャルルを含めて、地面に叩き伏せられるか瓦礫に半ば生き埋めにされていた。


 魔女は、その視線をぐるりと巡らせると、エイジの姿を認めて微笑んだ。

 あの、邪悪に裂けた三日月のような笑み。


「――と、こういった具合に。私は過去に喰らった騎士たちの記憶を再現して、その剣技を操ることができるの。白の剣の使い手として騎士団に在籍していたのもこの特技を使ってのこと。私が貪食の魔女と呼ばれる理由、理解できた?」

「こ、の……」

「ちなみに、この女――セイラムはまだ味見したくらいだから、今なら助かるわよ。後遺症のことまでは責任持てないけどね。ごめんごめん、安全に保管してるって言ったの、あれは嘘だったわエイジ」


 まったく悪びれた風もなく謝罪してくる。

 だが、それに反駁する余裕もない。

 あるいは、そんな場合ですらないかもしれない。


(全滅……だと。精鋭を含めた騎士団が、総出で掛かって……ものの二撃で)


 絶望的と言うしかない。

 まだかろうじて戦う余力のある者も、いるにはいる。

 だが、立ち上がって色彩の刃を振るうことが精一杯で、あの貪食の魔女には到底敵わない。


「うふふふ! 駄目ねえ、駄目駄目! そんなナヨナヨした太刀筋じゃあ、今の私には傷ひとつつけられない! 揃いも揃ってハルトに及ばない、情けないったらザーコザーコ!」

「ぎゃあああ!」

「うごっ、ぐふ……!」


 それが証拠に、魔女は楽しげとすら言える声で笑いながら剣を、蜘蛛の脚を無造作に振るい、騎士たちを蹴散らしていく。

 あまりに一方的なそれは、戦いというより単なる残虐ショーだ。

 あの栄えある四光騎士団がまるで相手になっていない。


 いいや――と、エイジは歯噛みした。


(俺のせいだ……俺が下手を打って、プラムに騙されて、のこのことこんな場所に誘い込まれてなけりゃ……!)


 目の前で倒れていく騎士たちの姿が、かつて、血しぶきとともに倒れ込んだ兄の姿を想起(フラッシュバック)させる。

 因縁ある同じ敵を相手に、こんな愚かをしでかした事実が、なおさら後悔の念を強める。

 またしても過ちを繰り返す自分の至らなさに、血が出るほど唇を噛み締めた。


 このままでは――このままではいけない。

 それは分かっているが、為す術がない。

 同胞の騎士たちがやられていくのを、黙って見ているしか。


「が……っ、ご、ふ……」


 最後まで立っていた、あの白の剣の騎士が倒れた。


 その戦いの結果に、惨憺たる有様に目を見開くエイジに、魔女はふふっと笑ってみせた。


「怖い顔。いえ、怖がってる顔ね。いいわあ、やっぱりニンゲンはその表情が一番似合う、一番相応しい。とっても魅力的で――ああ、みーんな食べてしまいたい」

「ふざっ、けんな……クソっ!」


 震える膝に喝を入れ、どうにかふらふらと立ち上がると、エイジは剣を構え直した。

 もはや立ち上がれる騎士は自分を含め、わずかしかいない。

 先の攻防で大半の騎士が敗れ、地に伏せって意識を失っていた。

 正直、エイジに立ち上がる力があったのも、単に立ち位置と運が良かっただけと言うしかない。


 今度こそ絶体絶命だ。

 力量に差がありすぎる。


 その上、貪食の魔女の力はまだ底が知れず、底冷えする得体の知れない感情がエイジの胸をじりじり焦がしていた。

 いや、その名前には見当がついている――恐怖、というラベルを貼るのは簡単だ。

 だが、それでは自分が怖じけてしまう、剣が振るえなくなってしまう。


 かつて兄の死に目に立ち会った時と、同じ――無力な子どもになってしまう。

 それだけは許せなかった。


 だから。


「魔女――プラァァームッ! てめえは、ここで殺す!」


「――待って。それは駄目だよ。エイジ君」

「!?」


 声を上げて遮ったのは、魔女を挟んで向こう側に立つシャルルだった。

 他のみなと同じように傷だらけの有様だが、それでも自分の足でしかと立ち、強い眼差しでエイジを見ている。


 またプラムと呼ばれた魔女が振り返った。

 その表情はうかがえなくなるが、背中越しに愉悦の気配が纏わっている。


「シャルル……! なにを、ぐっ」


 呼びかけようとして、不意に込み上げた痛みに、エイジは膝をついた。

 こふっ、と口から赤黒い血が吐き出される。

 既に衝撃で内臓に傷がついていたか、それとも――あばらの一、二本でも折れているか。


 気迫だけで視線だけは上げ続けるが、シャルルはもうこちらを見ていなかった。

 ただ迷わず、真っ直ぐな瞳で、貪食の魔女のことを見据えている。


「なにを……する気、だ、お前! その目は――」


 エイジはその目を知っている、気がした。

 その強く、真っ直ぐで、疑う余地すらないような眼差し。

 なにかを決意した双眸。


 なぜか、その目を見て、エイジは――兄のことを思い出していたのだ。


 シャルルが口を開いた。


「最初、目当ては私だって言ってたよね? ――じゃあ、私のことを食べていいよ。それでセイラム様や、みんなのことは見逃してほしい」

「……へえ。ここへ来て自己犠牲とは、見事な騎士道精神ね、シャルル?」

「シャルル……! お前、この馬鹿、なにふざけたこと言ってんだ!」


 片膝をついたまま叫ぶエイジに、シャルルがちらと視線を向ける。

 そして、柔らかくぽやっと微笑んだ。

 こんな状況で、まるで大丈夫だと、安心してと語りかけるように。


「エイジ君。大好きだよ。今も昔も」

「シャル――」


 呼びかけようとするのを、遮って。


「だーから。夫婦漫才の見せつけはウザいッスよ、ふたりとも――いい話じゃない、乗ってあげるわその提案。もう待ったは受け付けないから」


 言うが早いか。

 プラムが傍らに吊り下げていた粘液塊からセイラムを切り離し、近くの地面に投げやりに放り出した。

 そして、下半身の蜘蛛の鋏角をガチンと強く鳴らすと、その大きく開いた口から帯のようになった糸を吐き出した。


「…………!」


 糸がシャルルの身体を捕らえる。

 ぐんっ、と大きく勢いをつけて持ち上げ、プラムの元へ。


「――いっただきまーす♡」


「やめろおおぉぉぉっ!」


 エイジの叫びも虚しく、魔女は身体をぐんと上へ向けて、シャルルを蜘蛛の口でくわえ込んだ。

 そのまま、汚らしい粘液を吹きこぼしながら、シャルルの身体を丸呑みに飲み込んでいく。


 沈むように取り込まれていく――その間際に。


「――信じてるから」


 シャルルはエイジのほうを向いて、そう告げた。

 そして、抵抗もなく魔女の身体の中へ完全に消えた。


「――――っ!」


 声にならない声で叫びを上げる。


 それに応えるように、というわけではないのだろうが。


「けぷっ。あーあ、まーた先輩の大事な人を奪っちゃった。私ってば罪な女ッスねー。でーもー、おかげさまでいい気分ッスねえー! アハハハハ!」

「プラム……!」

「機は熟した。準備は整った。儀式は始まる――世界は終わるっ!」


 もはや答える声もなく、陶然と謳い上げる貪食の魔女。

 次第に声は哄笑に変わり、その巨躯が宙にぶわりと浮かび、どこからともなく、黒い風が吹き荒ぶ。


「アハ、アハハハハ――! 魔杯は満ちた、ついに満たされた! どんなに食べても埋まらなかった空白が、空腹が、こんなにも満ち足りていく! こんな感覚、初めて――アハハハハァ――――ッ!」


「総員……退避だ! ひとりでも多く! 仲間を助けろ!」


 呼びかける指揮官の騎士の声に、散らばっていた騎士たちが動き出す。

 その声に従って、撤退していく騎士団――


「エイジ! 立て、逃げるぞ!」


 駆け寄ってきたベックに腕を掴まれ、立たされるエイジ。

 しかし、エイジはその腕を強引に振りほどいた。


「エイジっ! 馬鹿野郎、なにやってんだ!」

「放せベック! シャルルが、あの馬鹿が、まだあそこにいるんだ――」

「そうだよ! セイラム副長を見てみろ、まだ終わってねえ!」


 叫び返され、振りほどいた腕をさらに強引に掴み返されて、呆気に取られる。

 促されて見やった先では、セイラムが他の騎士ふたりに左右から抱えられ、運ばれていく様子がうかがえて。


 ベックはエイジを引きずるようにしながら、続けた。


「あの魔女がシャルルちゃんを、消化――し終わるまで、それなりの猶予があるはずだ。それに賭ける! あの子を助けるために今は退け! 戦力を集めて、こっから巻き返す!」

「っ、それが上手く行く保証は!?」

「このまま突撃するよりマシって程度だ! それでも耐えろ! ――これ以上、黒歴史を増やしたくないならな!」

「ぐっ……!」


 反論できない。

 少なくとも、咄嗟にはなにも思いつかない。


 シャルルの最後の言葉を思い出す。


 ――信じてるから。


 こんなエイジの、なにを信じると言ったのか。

 それがまったく分からない。

 こんな大事な局面で、なんの役に立つこともできず、無様な過去を繰り返して怯えていた自分を。


 そんなちっぽけな男の、なにが信じられるという?

 自分で自分を信じられない男の、いったい、なにを。


「――考えてること、顔に出てるぜ。答えは出さなくていい。今はまだ、な」

「ベック……」

「そのためにシャルルちゃんは行ったんだ。お前のために。なら、俺だってそうしてやるさ。小隊長だからな」

「…………」


 悪友の諭すような言い方に、どうにか平静を取り戻した。


「――分かった。すまん。ありがとう」

「気にするな。損するのは慣れてる」


 ベックは言って、エイジの肩を抱えて歩き出した。


 エイジは最後に振り返った。

 吹き荒れる黒い猛風が、街の建物を少しずつ砕いていく。

 瓦礫を巻き上げ、天を突くように広がっていく。


(待ってろよ――シャルル。絶対に助けてやる。絶対に。兄貴の二の舞になんかさせない)


 もう後悔はしたくない。

 ならば、今はやるべきことをやるしかない。

 逃げるという選択を。


 そして。


「……俺を信じててくれ。俺が俺を信じられない、こんな俺のことでも」


 それが分の悪い、伸ることも反ることもできない、ヤクザな賭けだったとしても。


 エイジは未練を断ち切るように、黒風に背を向けた。

 そして、悪友の肩を容赦なく借りた。

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