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11話「夢と暗雲」

 夢を見る。

 夢を見る。

 それは消せない過去と、罪の記憶だった。


 ハルトは当時、魔女の調査の任務で家を空けていた。

 そしてエイジは、それを追いかけて家を飛び出していたのだ。

 こそこそと隠れながら兄を尾行していた――それがなにか、格好いいことだとでも信じていたように。


 未熟な馬鹿者が、幼い好奇心と背伸びした思い違いで、兄を手助けするつもりでいた。

 それで済めばまだよかったものを、よりにもよって、最悪のタイミングで馬鹿をやらかした。


 後になって知ったところによれば、兄はその時既に魔女の居所を突き止め、攻勢をかける準備を進めていたという。

 だが、魔女もまたそれを察知していた。

 だから自分の拠点に攻め入られる前に、逆に兄の借りていた宿に襲撃をかけた。


 魔女を迎え撃ったハルトは、魔女と一対一で対決した。

 戦いは熾烈を極め、夜の街を何度も震わせた。


 その光景を幼いエイジは、遠巻きに隠れて見ていた――一度は住民と一緒に避難させられたものを、その流れに逆らって引き返した。


 兄の戦いを間近で見たかった。

 その勝利を信じていたし、それが当然の権利だとすら思っていた。

 まるでなにかを盲信するように、その瞬間を見届けるのは自分の役目だとまで思い込んでいたのだ。


 だから、魔女と斬り結びながらも苦戦する兄の後ろ姿を見て、驚愕した。

 あの無敵の兄をして、ここまで追い詰められる戦いがあることを、この世に生まれて初めて知った。


 凄まじい激闘だった。

 夜の中に火花が幾度も散り、冷えた夜気が熱を帯びるほどの緊張感で張り詰めていた。

 幼い日のエイジの目には、その戦いはまるきり神話か、英雄譚の一節にしか見えなかった。


 現実離れした高揚があったことは否定できない。

 怖気づく心と同時に、相反して昂る感情があったのだ。


 あの戦いを――目の前の神話を――断じて敗北の歴史にしてはいけない。

 猛る心の声が叫んでいた。


 すくむな、この足、この身体。

 怯えるな、この心、この闘志。

 飛び出せ、今こそ、強くあれ――!


 そうして蛮勇を奮って、エイジは、意を決して――それが当然の権利と信じて――眼前の戦いに割って入った。


 そして叫んだ。


「た、たたたた、助けに来たぜ、兄貴! お前に名乗る名前はないっ! 騎士エイジ、参上――」


「お前――!?」


 驚愕とともに振り返った兄の声を、エイジは生涯忘れないだろう。

 切迫した空気を場違いに壊した弟に対して、兄がなにを思ったかは定かでないが。


 ……そして、それが終わりだった。


「が、はぁっ……!」


 振り返って駆け出そうとした兄の背を、魔女が、その凶刃で貫いた。

 塊のような血を吐いて兄は倒れ込んだ。

 張り詰めていた夜の中に、錆びた鉄のような臭いが飛び散った。


「え――」


 間抜けにも足を止めたエイジに、魔女がずちゃりと近づいた。

 兄を貫き、その血を滴らせた凶刃が目前に迫っても、動けなかった。


 呆けてしまった弟を、それでも兄は守ろうとした、のだろう。

 死に体だった身体を跳ね起こさせ、手にした一刀にまばゆいばかりの光を纏わせ、魔女に斬りつけた。

 切断された魔女の腕が宙に舞い、おぞましい絶叫が夜気を切り裂いた。


 ……エイジがようやく正気に返った時、魔女は既にその場から逃げ去り、姿を消していた。

 後には震える足で立つ幼い自分と、剣を支えに夜の街にたたずむ、兄だけが残されていた。


 なにも見えないくらいの暗がりだったはずなのに、エイジの目にはその瞬間は燃えるように鮮烈に焼きついている。

 血を吐きこぼしながら、エイジのほうへ歩み寄る兄の姿。

 ハルトの最期。


 剣を手放し、膝から崩れ落ちて、弟の目をのぞき込んだ兄。

 ひゅー、ひゅーと空気が抜けるような音が聞こえたのは、もはやハルトが呼吸もできないほどの重傷だったからだろう。


 なにを言えるはずもなく、ただエイジは喪失の恐怖に震えていた。

 すべて自分のせいだと分かっていた。

 分かっていても、受け止められなかった。


 目を逸らして逃げ出したかったが、兄の眼差しはそれより強く、エイジを捉えて放さなかった。

 震える唇。


 末期の息で、紡がれた言葉は。




     『お前のせいだ』




「…………っ!」


 衝撃で目が覚めた。


 エイジは酸素を求めてあえいだ。

 痙攣する肺腑が、激しい痛みを発している……背中から地面に叩きつけられたように、膨れ上がる横隔膜が呼吸を阻害する。

 血も吐けない痛みに悶える。


「がっ、あ……! く……ふ、ぅ……」


 身悶えから抜け出せない、永遠と錯覚する数秒。

 どうにか耐え抜いて息をつくと、エイジはゆっくりと身を起こした。


 あたりを見回す――夢の前の記憶と、今いる場所がようやく繋がる。

 そこは騎士団本部の治療所だった。


 あの廃屋での戦いで負傷した騎士たちで、ベッドはいっぱいになっている。

 エイジもそのひとりだった。

 一通りの処置を受けた後、麻酔の作用で眠っていたのだろう。


「……シャルルに続いて、今度は兄貴の夢かよ。くそっ……」


 自我の奥底、エイジの原風景に近く刻まれた忌まわしい記憶。

 これまで何度となく同じ夢を見てきたが、細部は違っても、最後の兄の言葉だけは変わらない。

 呪わしい過去だが、それでも、忘れるわけにはいかなった。


 あるいは、シャルルが魔女の……プラムの手に落ちたことで、トラウマが想起されたのか。

 状況は確かにあの時とよく似ていた。

 エイジが先走ったせいで、別の誰かが犠牲になる。

 魔女という騎士の大敵、それも、かつてと同じ相手に対して。


 気落ちを自覚して嘆息する。

 声をかけられたのはそんな時だった。


「――目が覚めたのか。エイジ」

「え?」


 ベッドの上で向き直ると、セイラムがこちらに向かって歩いてきていた。

 ベッドの傍らで足を止めた上級騎士に、エイジは口を開く。


「セイラムねえさ……副長。そっちこそ目が覚めたんですね。よかった」

「舐めるなよ若造。お前に心配されるほどヤワじゃないさ……なんて、まんまと攫われておいて言うのも間が抜けているが」


 肩をすくめるセイラム。

 息をついて続ける。


「大変なことになったな。まさか、あのプラムが魔女だったとは」

「……すみません。俺がまんまと罠にかかったばかりに、騎士団に被害が」

「それを言うなら、長年部下の裏切りに気づけなかった私の失態だ。でも、処罰を受けるのは事が済んだ後。今は反攻作戦に専念しろと指示を受けている」

「手立てがあるんですか?」


 あの廃屋での戦いを思い出す。

 手練の騎士たちが揃って返り討ちに遭い、倒れ込んでいくさまを。


 セイラムは首を横に振った。


「明確な決め手があるわけではない。だが、騎士団の最大の敵である魔女を相手にして、逃げを決め込むわけにもいかない。ましてや、魔王復活などという企てを聞いた状況では」

「…………」

「ただし、まったく為す術がないかといえば、それも違う。先の救出作戦と違い、今度の決戦では騎士団きっての光の剣の使い手たちも参加する。勝機は必ずある」


 それを聞いて、思わずエイジは表情を曇らせた。

 つぶやく。


「……でも。七年前の戦いで、兄貴は死んじまった。歴代の光の剣士の中でも、随一と言われていた兄貴が。あの魔女には敵わなかったんだ」

「そのために私たちがいる。ハルトが勝てなかったからといって、私も足踏みだけしてたわけじゃない」

「なにも聞かないんだな。あの時のこと」


 沈んだ表情で、エイジは言う。

 泥を飲むような心地で息を吸い、言葉を吐く。


「兄貴を殺したのは、俺だ。俺が余計なことをしたせいで、兄貴は負けちまったんだ。全部俺のせいなんだ」

「それだけのことでハルトが死ぬものか。思い詰めるな」

「でも、姉さん――」

「ハルトはお前が思うような男じゃない。もし万が一、本当にお前のせいであいつが負けたのだとしても、それを恨みがましく思うような器の小さい男のはずがあるまい」


 まったく迷いなく言い切る。

 どうしてそこまで、と思うほど。


「信じられないか? これでも私は、そんな歴代最優の騎士を尻に敷いていたと恐れられる女だぞ」


 それに、とセイラムは付け足した。


「お前もお前だ。いつまでも腐っているほど小さな心意気ではハルトに笑われるぞ。当然、シャルル君を助けに行くんだろう?」

「それは、言うまでもないけど。けど」

「なんだ。まだなにか不安があるのか?」

「……分からないんだ。どうしてみんな、俺なんかのことを信じられる? こんな無力で、ちっぽけで、ひとりぼっちで……いまだに過去から抜け出せないような、こんな俺を」


 変わらず、さらに苦い心地で吐き出す。


 情けなさに胸を締めつけられる。

 この期に及んで、あの魔女に……そして、過去のトラウマに怯えて、震えている自分に。


 セイラムはしばらく答えなかった。

 そしてそれどころか、答えを返したのはまた別の声だった。


「――それはお前が、とっくにひとりぼっちじゃないからだろ。そのくらい分かれ。まだひとりで突っ走ってるつもりか、この馬鹿エイジが」


 驚いて視線を転じる。

 ベックだった。

 振り返ったセイラムの後ろから、足早にこちらに向かってくる。


 さらには、その驚いたエイジの顔が不服だとでもいうように、言葉を継いできた。


「なんだよ、その目は。俺の見る目に文句でもあるのか?」

「そういうわけじゃ……ない、けど。いや。でもなんか、良いこと言おうとしてスベってないか、今のお前?」

「黙れ中二病」


 にべもなく切り捨てられる。

 

 そんなベックだが、騎士たちの中でも比較的軽傷だったため、エイジと違って最小限の治療で済んだのだろう。

 額と、他に幾箇所かに包帯を巻いているくらいで、動きにも支障はないようだ。


 そこまでのやりとりを無視して、セイラムが言った。


「ベック。観測班からの報告は?」

「変わらずですよ。プラムのやつは黒い竜巻の中心で力を蓄えてる。魔王復活の儀式とやらは順調に進行中ってことです」

「そうか」


 短く言って、再度こちらに振り向くセイラム。

 そしてエイジに訊ねてきた。


「エイジ。これから訊くことはお前にとって辛いことかもしれん。だが、大事なことだから、もし思い当たることがあるなら教えてほしい……七年前の戦い。もしかしてハルトは、あの魔女の――」

「それは……」


 その問いと答えは、戦いの趨勢を決めるものだった。

 これから向かうことになる、最後の戦いの。


「――そうか。そういうことだったか。ならばやはり勝機は、ある」


 言って、セイラムはきびすを返した。

 歩き出せば止まらず、そのまま治療所から早足で去っていく。


 ベックとふたり残されて――


「立てるか? エイジ。なら行くぞ」

「……ああ」


 言葉に応えて、エイジもベッドから降りて立ち上がった。

 傍らの椅子に置かれていた自分の装備一式、ベルトと剣を身に着けて、視線を上げる。


「決戦だ」


 窓の向こう、遠くの空で渦巻く暗雲と黒い風を見据えて、エイジは言った。

 迷いも恐怖も振り切れないまま、それでも強く。

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