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不敵な調律者と見えない五線譜

放課後の通学路。オレンジ色に染まる街を、俺――空色奏そらいろかなで陽川拓海ひなかわたくみ、そして霧雨弦きりさめげんの三人は、他愛のない話をしながら歩いていた。

「だからさ、あのクレーンゲームの設定は絶対おかしいって!」

「お前の腕が悪いだけだ、陽川。アームの降下速度と景品の重心、その物理演算すらできないとは」

「なんだと!? 次こそ絶対俺が取ってやるからな!」

 ギャーギャーと騒ぐ拓海と、真顔で正論をぶつける弦。そんな二人を見ながら、俺は苦笑して歩調を合わせていた。

 平和な日常。俺がずっと守りたかった、ただの高校生としての時間。

 だが、その平穏は、前方から歩いてきた「一人の男」によって唐突に破られた。

「おっ、奏じゃん! それに拓海も! うわー、すっげえ久しぶり!」

 ひらひらと手を振りながら近づいてくる人影。

 少し長めの前髪からのぞく、三日月型の細い目。着崩した他校の制服。

「……調しらべ?」

 俺は息を呑み、足の裏が地面に張り付いたように動けなくなった。八雲調やくもしらべ。俺と拓海の小学生の頃からの幼馴染であり――俺がかつて『残響』の力で共に暴れ回っていた、元・相棒。

「調! マジか、お前元気にしてたかよ!」

 何も知らない拓海が、嬉しそうに駆け寄ってハイタッチを交わす。

「拓海は相変わらずだねえ。背、ちょっと伸びた?」

 調はニコニコと笑いながら、ふと、俺の隣に立つ弦に視線を移した。その瞬間、調の細い目が、獲物を見つけた肉食獣のように鋭く光った。弦もまた、ピクリと反応して愛用のビニール傘の柄を強く握る。

「……へえ。奏、最近はずいぶん『硬そう』なのとつるんでるんだね」

 ヒヤリと、俺の背筋に冷や汗が伝った。

(こいつ、一瞬で弦が『残響』使いだと見抜きやがった……!)

「え、何が硬いの?」と不思議そうに首を傾げる拓海を無視し、調は弦の前にツカツカと歩み寄った。

「君、いい波長出してるね。……ねえ、そこの傘の君。俺と二人で、駅前のゲーセン行かない? ちょっと『遊びたい』気分なんだ」

 ナンパのような軽い口調。しかし、俺と弦にはそれが明確な「決闘の申し込み」であることが痛いほど分かっていた。調は、新しく俺の隣にいる弦を試し、排除しようとしているのだ。

「……断る理由はない」

 弦が、静かに凄絶な笑みを浮かべて傘を肩に担ぐ。

「なんだなんだ、弦と調、もう意気投合してんじゃん! じゃあ四人で……」

「あっ、拓海!」

 俺は咄嗟に大声を出し、拓海の腕を力一杯引っ張った。拓海に調の異常性や、残響の暴力を知られるわけにはいかない!

「駅の反対側に、すっげえ美味い激辛ラーメンの店ができたらしいんだよ! 俺、今日どうしてもそれ食いたくて! あいつらはゲーセンで遊ばせといて、俺たちで行こうぜ!」

「えっ、激辛!? マジで!? 行く行く!」

 食い気に負けた拓海が、まんまと俺の誘導に乗る。

「じゃ、俺らはゲーセンの裏手で『遊んでる』から。後でね、奏」

 調がヒラヒラと手を振り、弦と共に路地を曲がっていく。弦がチラリとこちらを見た。その目は「あとは任せろ」と語っていた。

 俺は(死ぬなよ、弦……!)と心の中で祈りながら、拓海をラーメン屋の方向へと急かした。

 ――駅裏、廃ビルの立ち並ぶ薄暗い路地。

 ゲーセンの喧騒から離れたその場所に、八雲調と霧雨弦は対峙していた。

「へえ、君、意外と肝が据わってるね。空色の新しい相棒ってわけだ。俺は八雲調。よろしくね、傘の君」

「霧雨弦だ。……馴れ合いは不要だ。空色のかつての相棒、その力、見せてもらおうか」

 弦がビニール傘を前方に構える。その全身から、重く冷たい雨のような残響エネルギーが立ち上る。

「うわ、堅っ苦しいねえ。でも、その構え……いいね。防御力には自信があるって感じだ。でもさ――」

 調は薄汚れたコンクリートの壁を背に、まるでステージのど真ん中に立つような悠然とした態度で笑った。

「音楽ってのは、空間全体を満たすものなんだぜ?」

 調が、両手を胸の高さまでふわりと持ち上げた。

 十本の指を軽く曲げ、空中に何かを添えるような、極めて優雅で洗練された動作。

「俺の残響はね。この路地裏全体に、見えない『振動の糸』を張り巡らせることができるのさ」

 調の指が、空中で軽く踊るように動いた。

 タタッ。

 見えない鍵盤を叩くようなその動きに連動し、弦の頬が突然、不可視の刃で切り裂かれたように弾け、血が飛んだ。

「ぐっ……!?」

「『幻奏鍵盤ファントム・ピアノ』。――さあ、君はこの『見えない五線譜』の上で、最後まで踊り切れるかな?」

 調の十指が、空中で滑らかに滑り始めた。

 それは無音の演奏会だった。しかし、調が指を動かすたびに、空間に張り巡らされた無数の不可視のピアノ線が弾かれ、鋭い斬撃や重い衝撃波となって弦に襲いかかる。

「ちぃっ!」

 弦は咄嗟にビニール傘を開いて防御しようとするが、右から左へ、上から下へと、あらゆる方向から立体的に襲い来る衝撃に、たちまち身体中を切り刻まれていく。

「ほらほら、テンポが遅れてるよ! もっと軽快に(スタッカート)!」

 調が楽しげに指を跳ねさせるたび、細かく鋭い連撃が弦の足元を抉る。

「くそっ……!」

 弦は壁を蹴って路地裏の狭い空間を飛び回るが、逃げ場はない。ここはすでに、調が支配する「楽器の内部」なのだ。見えない五線譜の上に立たされている限り、調の演奏からは逃れられない。

「流れるように(アルペジオ)!」

 波打つような衝撃の連鎖が弦の腹部を捉え、たまらず弦は路地裏のゴミ捨て場へと吹き飛ばされた。

 ガシャァンッ、と空き缶が散乱する音を立てて倒れ込む弦。

「あーあ、もう終わり? 丈夫なのが取り柄みたいだったのに、あっけないなぁ」

 調がため息をつきながら、演奏を止めて手を下ろす。

「……随分と、気取った残響だな」

 瓦礫の中から、低い声が響いた。

 弦が、ボロボロになったビニール傘を杖代わりにして、ゆっくりと立ち上がる。三白眼には、いまだ消えない獰猛な光が宿っていた。

「空色の奏でる泥臭いノイズに比べれば……お前の音は、綺麗すぎて耳に残らない」

 弦は、ズタズタになった傘の布を自らの手で乱暴に引きちぎった。残ったのは、先端の尖った鉄の骨組みと柄だけ。彼は防御という選択肢を完全に捨て、それを一本の「槍」として構えた。

「当たる前に、お前を貫くだけだ」

 弦が地を蹴った。

 調が慌てて両手を上げ、激しい和音コードを奏でようと指を振り下ろす。しかし弦は、自らの身体から滴り落ちる「血の雫」が空中で不可視の糸に触れて弾ける瞬間を見極め、見えない五線譜の間を縫うように死線を潜り抜けていく。

最高音量フォルティッシモで、ブッ潰れろ!」

 調が両手で、空中の鍵盤を力任せに叩きつけようとした、その瞬間だった。

 ――ガギィィィィィンッ!!!!

 路地裏の入り口から、耳をつんざくような凄まじい「不協和音」が轟いた。

 調の張り巡らせた見えない五線譜が、全く別の強烈なノイズによって干渉を受け、共鳴し、次々と悲鳴を上げてブチブチと千切れていく。

「……っ!?」

 突然の不快なノイズに、調が思わず耳を塞いで顔を顰める。

「……俺のダチに、何してんだよ。調」

 夕日に照らされた路地裏の入り口。

 肩で息をしながら、路地のコンクリート壁に右の拳をめり込ませている男がいた。空色奏だ。

 その拳からは、先ほどの戦いとは比べ物にならないほど濃密で、どす黒く、怒りに満ちた『不協和音ディストーション』の波長が放出されていた。

「奏……! 拓海はどうした」

 弦が息も絶え絶えに問うと、奏は壁から拳を引き抜きながら答えた。

「一番ヤバい激辛ラーメン注文させて、トイレ行くって言って窓から抜け出してきた。あいつが食い終わる前に、サクッと終わらせるぞ」

 かつての相棒の乱入。しかし、調の顔に浮かんでいたのは恐怖でも焦りでもなく、恍惚とした笑みだった。

「あはは……っ、最高。やっぱり奏のその『音』、いつ聴いてもゾクゾクするよ」

 調は嬉しそうに両手を広げた。

「あの能天気な拓海を騙してまで、俺のところに駆けつけてくれたんだね。……でも、今日はここまでにしておくよ。あんまり派手にやって、拓海にバレても面白くないしね」

「待て、調!」

「また遊ぼうね、奏。君の本当の『音』が聴ける日を、ずっと楽しみにしてるからさ」

 言い残し、調は路地裏の暗がりへと滑るように姿を消した。

 追おうとした弦の足がガクンと折れ、奏が慌ててその身体を支える。

「弦、大丈夫か!? ひどい怪我だ……」

「……気にするな。あいつは……お前のかつての相棒だと言っていたな」

「……ああ。色々と、面倒な事情があってな」

 弦は支えられていた奏の腕から離れ、自力で立ち上がった。

「深くは追及しない。だがな、空色。お前の隣で戦うのは、今は俺だ。あの不快なピアニストには、次会った時に傘の骨を何本か折って教え込んでやる必要があるらしい」

 その言葉に、奏は目を丸くし、やがて吹き出した。

「ははっ……頼りにしてるよ、弦」

 ボロボロになった弦と、それを笑いながら支える奏。

 二人の背中には、かつての相棒が残した不穏な余韻を切り裂くように、確かな絆の『音』が響いていた。

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