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春の章 凶事待伏 10

 大自在天と宝は言い争っていた。

一刻も早く洞窟から脱出したい

宝は危険な賭けに出ようとする。


登場人物紹介


王生《いくるみ》 宝《たから》

剣と前妻の子供。現在に目覚めた軍荼利明王。143年前は男性として現れるが、現在は女性として現れる。職場は脳神経外科医(脳神経内科兼務)。

名医で海外に派遣されることも多い。性格はかなり奔放。三世とは馬が合わない。

因みに男性として現れた時の名前は「宝《たかし》」

軍荼利明王は体に蛇を巻いています



在原《ありはら》 朝臣《ともおみ》

旧姓は九条。現在は母方の姓を名乗っている。

悲運なのか不運なのか運命なのか、彼の血筋には代々運ばされている「恨」があった。

父は九条忠。元統合幕僚長。10年前に謎の死を遂げている。

母は在原高子。小笠原のとある島で療養中に行方不明になる。

大自在天に意識を支配されている。



倉橋 清隆《きよたか》

現在に目覚めた制多迦童子。陰陽師、安倍晴明の血筋。それ故に式神を操れる。

宝と同じ病院に小児科医として勤務している。

折り紙が得意。



野原 南海《みなみ》

天野病院の看護師。宝から絶大な信頼を受けている。

王生家や倉橋の素性も知っている。

カーネリアン(赤色の宝石)の朱雀の彫刻が入ったネックレスを身に着けている。

石言葉は 成功、勝利、友情、勇気。



佐伯《さえき》 千世《せんぜ》

降三世明王が143年前に体を借りていた人物。

優れた能力を持つ陰陽師。

今もなお降三世明王の意識に影響を与えているようだ。



九条 道隆《みちたか》

143年前、大自在天が意識を支配していたと思われる人物。

表向きは陸軍省総務局少佐。実は大日本帝国陸軍の諜報員だった。

在原の家系図を辿ると彼に行きつく。

父は 九条 幸恒《こうこう》。陸軍省大臣。


 大自在天は不敵な笑みを浮かべていた。


 大自在天は宝を見ながら口角を上げてニヤリとする。

「口元が歪んでるわよ」

大自在天の薄気味悪い表情に宝が言い返す。

「その4ですが、残念ながら違っています。甘露、不死の霊薬が欲しいのは私じゃありません。この肉体…在原の方です」

「どういうこと?」

「あなたが医者なら考えてみてください」

「考える時間がもったいないから、さっさと答えを言いなさいよ」

その時、宝の苛立ちに同調するかのように“恨”から発せられた地鳴りのような低い唸り声が洞窟内に響き渡る。

「あなたの苛立ちに“恨”が反応しているようですね」

「灯火具に灯明皿…。それで“恨”を供養しているつもり?」

大自在天はまたしてもニヤリとしただけだった。

イライラもするわよ。こっちは一刻も早く病院に戻りたいのに、大自在天《あいつ》が一方的に話して答えをもったいぶる。

おまけに髪の毛も衣服も乾かない高湿度の洞窟。空気は重く感じるし、絶不調。

さっさと戻る方法、糸口でも構わない。どうにかして聞き出さないと。

ここは一旦冷静になろう。自律神経を呼吸でコントロールして…。

──息をゆっくり吐いて、吸う。息をゆっくり吐いて、吸う。息をゆっくり吐いて、吸う。よし、3回。

「私が306号室に入ると見たこともない空間の渦に体ごと引き込まれた。あれ、あなたの仕業でしょ?」

宝が落ち着いた口調で話す。

「えぇ。超越した存在の私だからなせる業です。今の私には降三世明王でも敵わないと思いますよ」

本人は降三世明王を凌駕する存在とでも言いたげだった。

敢えて呼ぶならば最高神、暴君、支配者、どれが相応しいのだろうか。現在に目覚めた大自在天の誇った姿は正に天下無敵に見えた。

「超越した存在?何か勘違いしていない?心を入れ替えないと、また夫婦揃って降三世明王に踏みつけられるわよ」

──無理。私の性格から言って、この状況で冷静さは保てない。

五大明王の一員である降三世明王をを見下すなんて許せない。

「さぁ、軍荼利明王よ甘露に関する全ての知見を私に…」

「申し訳ないんだけど、呼ぶときは王生《いくるみ》さん。さん付けでお願い。あと、結論を言うと サンスクリット語の“クンダリー”に“甘露”の意味があるだけで、当の私もどうやって手に入れるかなんてわからないわよ」

「王生《いくるみ》さ(・)ん(・)、嘘をついたら地獄へ落ちますよ」

「は!?誰に物言ってんのよ!」

なんでここに来て 大自在天《あいつ》と喧嘩してんの?このままじゃ戻る方法なんて永遠に聞き出せない。

こうなったら強行突破するしかないか…。

「ねぇ、この腐卵臭って引火性あるのかしら?」

宝が壁に近づき灯明皿に息を吹きかける。

「灯明皿の火は小さすぎて火種にはなりません。ここには発火具なんてありませんよ」

「じゃあ作り出せばいい」

──オン・アミリティ・ウン・パッタ

宝は怒りの表情で軍荼利明王印を結び火焔を作り出す。

宝の両手からは激しい炎が燃え上がっていた。

「この洞窟ごと爆破するわよ!」

「どうやら本気のようですね。でも爆破の勢いで洞窟が崩落すると全ての“恨”がこの世に飛び出して行きますよ。一瞬にして混沌の世。即ち私の意のままの世界」

“恨”がざわつき始める。

「ちょっと、少し黙らせてよ!」

大自在天がすっと右手を上げ鎮静化を図る。

“恨”がその合図を見て一瞬で静まる。

宝も炎を一旦鎮める。

「相当焦っているようですね。ここから脱出する手掛かりになるかはわかりませんが306号室の謎ならお話しして差し上げますよ」

宝は聞く姿勢を整える。

「不思議ですよね。人間は病院ですすり泣く声がすると真っ先に幽霊だと疑う。そして興味を引く噂は自然と広まり恐怖心を植え付け、その存在を信じてしまう。何人もの看護師が口を揃えればあの部屋に誰も寄り付かなくなりました。306号室を常に空けてくれたのです」

「大層なお膳立てね」

「待ちに待ちましたよ。そしてあなたが 306号室に踏み入れた瞬間に私が時空の裂け目を開き、捕らえたのです」

「ちょっと、食虫植物のように捕食しないでもらえる?タンパク質が欲しいなら朝食は卵かけご飯と納豆にしたら?」

「少しは落ち着いて人の話を聞けないのですか?」

その時、烏摩妃が口元を手で隠し クスッと笑った。

宝はその一瞬の表情を見逃さなかった。

──今、笑った…よね?ひょっとして彼女には感情があるの?

宝が一つ質問をする。

「306号室にはすすり泣く声以外に幽霊を信じない私だけを近づけるための罠が仕掛けられていたような気がするんだけど。違う?」

「さすがですね」

大自在天が手を叩いて褒め称える。

「あの匂い、蘭奢待《らんじゃたい》でしょ?烏摩妃からも移香した香りがぷんぷん匂ってる。自ら所在を明かすなんて余程の自尊心があるのね」

「権力者が我が身の偉大さを象徴するように持つ香木。私に相応しいと思いませんか?」

「デオドラントスプレーで充分よ」

何が権力者よ、偉そうに。まだ三世の白檀のお香の方がマシだわ。最近少しキツイけど…。

「あなたには危機感というものが全くないんですね」

「そう?」

大丈夫。きっと清隆は306号室の異変に気が付いてくれてる、恵《しげ》ちゃんはいくら何でも気がつくでしょう。大胆に国宝の軍荼利明王像の持物を落としたんだから。破損してないといいけど…。

父さん、大耶、煌徳、三世…皆を信じてる。絶対に屈しないから。

私が今出来ることは口喧嘩じゃなくて…。

「私も少しだけお話ししてもいいかしら」

143年前の事実をぶつけて、自尊心を打ち砕く。

「ほう…それは私にとって興味深い話ですか?」

「勿論」

どうか話の途中でキレませんように…。

「143年前、九条 道隆は あなたに意識を支配されるのを拒んだ。彼が悩み抜いた末に下した決断…。それは自らを犠牲にすることだった」

「犠牲?彼の肉体は降三世明王が放った炎に焼かれたんだぞ」

──私は信じている。千世と降三世明王は九条の意識から大自在天を追い払おうと体に除霊の文字まで書いていた。

「九条は世界存亡の危機から救うにはそれしかないと悟った。彼は自死を望まなかった。当然よね。彼の勇断に協力したのは唯一無二の友、佐伯《さえき》 千世《せんぜ》。当時 降三世明王が意識を支配していた人物よ」

「命を絶つことを手助けしたと?」

「あんたと引き離す手助けよ」

──恐らく降三世明王は賭けに出ていた。九条の火傷は致命傷になるギリギリだった。現に彼は150日間生死の狭間を彷徨っていた。

大自在天の表情は引き攣っていた。抑えられない動揺の表れだ。

「九条の降三世明王に対する“恨”は…絶対に…絶対にない!」

宝が断言する。

「……」

大自在天はその場に固まっていた。

──知らぬが仏だったかしら。半分以上 話盛っちゃったけど…。

ここから脱出したらちゃんと千世…降三世明王から真実の続きを聞かせてもらわないと。



天野病院東病棟306号室


倉橋は宝が「大自在天」と床にメッセージを書き残したのはわかったが、そこから先は進展がなく行き詰まっていた。

「大自在天…時空の裂け目…出口は何処だ?宝さんは一体何処に連れ去られたんだ」

野原は今は光を放っていないペンダントトップの赤い石を優しく撫でるように触っていた。

倉橋がその様子に気が付く。

「野原さん、さっき光ったペンダントの赤い石は何ですか?」

「これですか?カーネリアン。誕生石なんです」

「彼氏からのプレゼントですか?」

「違います」

即答。

「代々南方を守護する野原家で受け継いでいるものです。母も祖母も曾祖母も高祖母も7月生まれなんです。朱色の幸運を呼ぶ石なんですよ」

「そうなんですか…ひいひいおばあさんも?」

「確か高祖母の母もです」

──いつの時代までさかのぼるんだ?

「倉橋先生、石の裏側を見て下さい」

倉橋が野原の首元のペンダントに手を伸ばす。

野原が反射的に倉橋の手の甲を叩く。

「イタッ」

「セクハラですよ」

「すいません…」

野原が首からペンダントを外し倉橋に見せる。

「表には朱雀の彫刻、裏には“ウン”の種字《しゅじ》が彫られていますね」

「はい。軍荼利明王を表す一字です」

──なるほど。野原家は高祖母の母の代…いや、恐らくそれ以前から南方を守護する軍荼利明王が目覚めた時、サポートに徹することを継承しているのか。

残りの東、西、北は誰なんだろう。野原さん以外全然見たことも聞いたこともないんだけど。

まぁ基本は陰から見守っているんだろうけど…。

「さっき、ペンダントが迷っていたよね。何かのヒントじゃないかな?」

「宝先生は恐らく鳥の磁気感覚を狂わせるような場所。太陽光、青色光《ブルーライト》が届かない場所にいると思います。例えばトンネルとか洞窟…」

「洞窟だ…」

「倉橋先生、ひょっとして思い当たる場所が?」

大自在天が棲家としている洞窟だ。しかし、あそこには迂闊に近づけない。奴が貯めこんだ“恨”の塊がある。下手に刺激すると“恨”を世に放たれる可能性も…。

「あるにはある…。でも、そこはここから約2000キロも離れています」

「えっ?どこですか?」

「日本の南南東です」



三世はM.C.H.から歩いて5分ほどの駐車場に到着。

しかし、かかった時間は2分オーバーして7分。

──もう少しで17時か。料金が上がる…。

「まだクラクラする。運転する自信がねぇ…」

三世は運転席のドアを開けたところで足が縺れ、そのまま地面に倒れる。

「大丈夫ですか?」

──誰かに声かけられてる。でも、返事ができない…。目も霞んできた。

「しっかりして下さい!」

三世は応じることなく完全に気を失う。

声を掛けていたのは帰宅途中のM.C.H.の新人監視員だった。



蘭奢待《らんじゃたい》……希少な香木。かつて織田信長や足利義正が切り取って截香した記録があるらしい。

恵《しげ》ちゃん…M.C.H.館長 各務のこと


読んでいただきありがとうございます。

少しづつ143年前との繋がりを書いています。

新人監視員君も気になる。

気になっていたアジアカップの男子バレーも終わった。

少しゆっくりできそう…。


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