春の章 凶事待伏 4
M.C.H.で開催中の『仏教美術の世界 特別展』。
五大明王の中で東方を守護する降三世明王像の前から動かない男性に、さくらが声をかける。
登場人物紹介
烏丸 さくら
MUSEUM OF CONTEMPORARY ART HOKKAIDO(通称M.C.H.)の学芸員。気分転換に訪れた山中で怪我をして三世に救われる。
偶然のいたずらなのか三世と会う機会が増え、その度に心惹かれていく。
藤原 后恵
さくらと同じM.C.H.の学芸員。以前は奈良国立博物館に勤務。剣とは面識がある。
酒豪。倹約家っぽい。
茶トラ猫、ヱビスを飼っている。
(名前の由来はお酒から)
東 真雅
三世の実父。D市の善道寺の僧侶。
真雅は通り名。正式には『しんが』
王生 三世
降三世明王が現在で体を借りている人物。意識だけは降三世明王が支配している。
実は143年前、平安時代にも下界に姿を現している。
10年前、とある島で三世の意識を支配してからは王生家で生活している。
職業は獣医師。車で診察を行う移動動物病院を経営している。
MUSEUM OF CONTEMPORARY ART HOKKAIDO(通称M.C.H.)で開催中の
『仏教美術の世界 特別展』
開催期間も残り僅か。しかし休む間もなく次に開催されるのは特別展の後半。
正面入口の掲示板には既に案内ポスターが貼ってある。
『仏教美術の世界 ボストン美術館共同企画 特別展』
会期 6月〇日~7月〇日
時刻は14時30分
さくらは館長の各務の指示で五大明王像が展示されている展示室Bの監視員を勤めていた。
会期も残り僅かとなり平日にも関わらず館内は かなり混みあっている。
その中に東方を守護する降三世明王像を見上げる一人の男性。
男性は唇を僅かに動かしながら、一向にその場から離れる様子はなかった。
「さくらさん、ちょっとこっちに来て」
藤原がさくらとインカムで通信する。
さくらが展示室内を見回し藤原の姿を探す。
「藤原先輩、何処ですか?」
「後ろ、後ろ」
藤原は入口の扉の陰からさくらに手招きしていた。
「今行きます」
さくらは藤原のところまで来館者を避けながら歩み寄る。
「もう交代の時間でしたっけ?」
「いいえ、まだ1時間もあるわよ。実はちょっと気になったことがあって…」
「何ですか?」
「お昼は いつもおにぎりのさくらさんが 何故、今日に限ってSNS映えするようなお弁当を持って来たのか…謎なのよね」
──先輩、仕事中に持ち出す話題じゃないと思うんですが…。しかも真顔で言う?
「はははは…」
どう説明したらいいんだろう…。知り合いのお兄さん?王生さんの息子さん?三世さんのお兄さん?が、作ってくれました。
じゃあ何で作ってくれたか…。王生さんの家にお泊りしたから。じゃあ何故泊まったのか…。何でだろう?うーん……。
さくらは眉をひそめ顎に手を添え、変に疑われないような答えを真面目に考え中。
困っているさくらを見て藤原が質問を変える。
「ごめんね。あまり深くは聞かないわ。気になったのは別の事よ」
さくらは一旦胸をなでおろす。
「監視カメラに怪しい人物が映ってるって、守衛室から連絡があったのよ」
「怪しい人物ですか?」
──そんな人見てないけど…。ちょっと怖いな…。
「降三世明王像の前にいる中年の男性、あの場所から もう30分以上も離れてないの。しかも小さい声で何かブツブツ言ってるみたいなのよ。気を付けて見ててね」
「私の位置からは反対側で丁度見えないんですけど」
「反対側の監視員さん、今日がアルバイト初日なのよ」
「わかりました」
さくらは振り返り 降三世明王像の前に立つ男性に目を向ける。
確かに口元が微かに動いている。ん?どことなく目元が誰かに似ているような…でも横顔だけじゃはっきりとわからないな。
──気になる。
「じゃあ一時間後にまた来るわ」
「はい」
藤原はホールの方へさくらは降三世明王像の前に立つ男性の方へ歩き出す。
「これも監視員の仕事、仕事。さりげなく後ろから近づいてみよう」
さくらは五大明王像を左回りに回り男性に徐々に近づく。
途中、新人のバイトさんに声をかける。
「交代まであと一時間頑張りましょう」
「はい」
──まだ学生さんかな?
南方を守護する軍荼利明王の前を通過すると男性の姿が見えて来た。
「オン・ソンバ・ニソンバ・ウン・バザラ・ウンパッタ」
──やっぱり何かブツブツ言ってる…。
「あの…」
さくらが男性の背後から他の来館者に配慮し控え目な声で話しかける。
ど、どうしよう。つい声をかけちゃった。そんなつもりなかったのに…。
一方、男性はさくらに全く気がついていないようだった。
「あの…すいません」
さくらが男性の視野角に入るように回り込む。
「え?」
男性は声をかけられたことにようやく気が付いたらしく、していたイヤホンを外す。
「申し訳ございません。音声ガイダンスを聞いていたもので」
「いえ、こちらこそ突然お声をかけてすいません」
二人はこの時、初めて顔を合わす。
「あ……」
さくらは口を開けたまま、男性に見惚れる。
「どうかしましたか?」
──三世さんと目の色が同じだ…。宝石のような琥珀色。
「あ、あの…何を呟いていたのかなぁって、気になりまして…」
──近くで見ると、やっぱり三世さんと同じ透明感のある琥珀色。
「あれは真言ですよ。降三世明王の真言です」
「お詳しいんですか?」
「音声ガイダンスで流れてましたけど」
あっ…それ私が作成したんだった。
そういえば主査にチエックしてもらったんだっけ…。すっかり忘れてた。
「そ、そうでしたね」
あれ?この会話のやり取りって何となく三世さんと雰囲気が似てる気が…。思い込みすぎよね。似ているのは目の色だけだし。
「職業柄、仏像に関心がありまして、つい夢中になってしまいました」
仏像に?修復士さんか王生さんと同じ仏像学芸員とか…かな?
「時代を超越した尊像です。ゆっくりご覧になってください」
「光と闇。静と動。慈悲と憤怒。こう見えて私、僧侶なんですよ」
もう、藤原先輩ったら。全然怪しい人じゃないじゃない!
「そうでしたか。お堂で毎日ご覧になっていますよね」
法衣じゃなくてスーツを着ているから僧侶ですって言われないとわからなかった。
「烏丸 さくらさん?」
「え?」
「ネームプレートに書いてあります」
なんで動揺してるんだろう。名前呼ばれただけなのに…。
男性はスマホの音声ガイダンスのアプリをタップし、画面をスクロールする。
画面の一番最後には【文章作成:烏丸さくら】と書かれていた。
「このガイダンスを作った方でしたか。よくできています。もう10回も聞きました」
…それで30分ね。
「降三世明王に関心が?」
「そうですね、我々にとっては三世を渡り三毒を葬ってくれる。素晴らしい仏様ですから」
「私もそう思います」
すいません。勉強不足でこんなお返事しかできません。
「気が合いますね」
「え?そ、そうですね」
三世さんとは気が合うと思ったのはつい最近のことですが…。それとは全く関係ないですよね。
帰ったら明王部についてもう少し勉強しよう。
三世を渡り……三毒を葬ってくれる……。
三世を渡り……。
なんだろう…この心の中で何か引っかかっている感じは…。たまたま名前と同じなだけじゃない。
「おっと、もう少しで3時じゃないか。今日は5時から法会があるので急いで戻らないと」
「あ、あの…安全運転でお帰りください」
「ありがとう。それでは失礼します」
男性は一礼をして展示室を後にした。
「取り敢えず自分の監視位置に戻ろう」
さくらが ほっと一息つく。
三世は往診を終えM.C.H.近くの提携駐車場に到着。駐車券を受け取りゲートバーが開く。
「もう3時じゃないか。ここから歩いて5分はかかる。診療時間より雑談が長くて時間がかかってしまった。約束した時間にちょっと遅れるけど、まっいいか」
三世が入庫すると反対側には丁度精算を終え出庫する1台の白い車。
運転していたのは、M.C.H.でさくらと会話をした男性。
「もう3時じゃないか。ここから車で2時間はかかる。降三世明王像に見惚れていたら時間が経ってしまった。 5時からの法会にちょっと遅れるけど、まっいいか」
カーナビのディスプレイに表示されていたのは目的地まで155キロ。到着時刻は17:05。
設定された目的地はD市の善道寺。
この男性の正体は東真雅。
三世の実の父親だった。
読んでいただきありがとうございます。
東真雅 とは?
60歳前後。目の色は三世と同じ。
さくらが「似ているのは目の色だけだし」と言っているので顔は似ていないかもしれない。
D市の善道寺の僧侶。
真雅は通り名。正式には『しんが』
空海の血を引いているらしい。




