ノール村、最良の日(一部の人を除いて)
幼き頃の記憶を再度封印し、落ち着きを取り戻したコスト伯爵様は、改めてテッド君に向き合った。
「さて、テッド様には申し訳ございませんが、明日の朝には我々と共に王都へと出発していただきます。急なお話で御心の整理ができないかと存じますが、何卒よろしくお願いします」
テッド君がポカンとした顔で聞き返した。
「へっ? 明日?」
伯爵様は真剣な顔つきで首肯した。
「はい。魔王討伐の為、テッド様には一日でも早く力をつけていただきたいのであります。そして、それには王都で準備をするのが一番なのです。由々しき問題も発生……いえ、失礼」
最後の一言は思わず漏らしてしまったのだろう。伯爵様は慌てて言葉を呑み込んでいた。
(由々しき問題? ああ、先日アルシエ様が言っていた、勇者の仲間が攫われた云々の話か?)
だとすれば部外者がいるこの場では公にしないだろう。国家の一大事、しかも悪いニュースだ。無闇に広まれば、どう転んでも厄介な事にしかならない。
(テッド君にはノール村を出た後に説明するんだろうな)
そんな事を考えていると、伯爵様は誤魔化すように「ごほん」と咳払いをした。
「ですのでテッド様、ご家族とのお別れは今日中にお済ませください」
「いや……いきなり言われても……」
「この国の、いえ、世界の平和の為なのです。どうか平にご容赦を。――アルトとやらも、それで良いな?」
アルトさんは突然の宣告に呆然としていた。口をパクパクとさせ、視線はテッド君と伯爵様の間を行ったり来たりしている。ショックのあまり返答ができないようだ。
「どうした、不服か?」
伯爵様の眉間に皺が寄り、口調も苛立たしげなものになる。
ただの平民が自分の問いかけに答えないなど失礼極まりない、そう思っているのかもしれない。
彼ら、お貴族様方にとって、テッド君は女神様に選ばれた特別な存在だが、その親であるアルトさんはあくまでも取るに足らない農民に過ぎないのだ。
『これはマズイですね。アルトさんのサポートをしてきます』
ノエルはススス……とアルトさんに近寄り、そっとしゃがみ込んで彼に耳打ちをした。
二度三度とアルトさんが頷き、ノエルの囁きに合わせて口を開いた。
「伯爵様、大変失礼いたしました。我が子との別れに心が動転し、我を失っておりました。どうかお許しください」
アルトさんが床に額をつけた。
「伯爵様のお言葉に不服などあろうはずもございません。それどころか、私ども家族のために一夜の猶予をくださり、御礼の申し上げようもございません」
実質的にノエルが言ったようなものだが、それでも伯爵様は満足そうに頷いた。
「うむ、国王陛下よりの御恩情である。深く感謝せよ」
「ははぁ〜」
これでテッド君が明日の朝に出発することが決定した。
最大の目的を果たしたためか、使者様一行の間に弛緩した空気が流れる。
そこに、カラード子爵様がパンっと膝を叩いた音が響いた。
「よしっ、無事に話もまとまったことであるし、先刻言ったように村人たちを賞することにしよう。村長よ、村人たちを集めよ」
メルド村長はひれ伏したまま、
「ははっ、畏まりました、御領主様。すぐに村人たちをこの家の前に集めますので、しばしお待ちください。――アルト、手伝いを頼む」
と答え、キビキビと立ち上がり部屋を出た。
アルトさんも慌てて立ち上がろうとしたが、長時間緊張していたため少しふらつき、側にいたノエルに介助されていた。
「す、すまねぇ……」
「いえ、気をつけてくださいね」
アルトさんはバランスを取り戻すと、急いで村長の後を追って部屋を出た。
ガシッ。
俺はソファーから立ち上がろうとしたテッド君の肩を掴み、押し留めた。
「あ、兄貴……!?」
テッド君が驚愕の表情でこちらを見上げてくる。
「テッド様、どちらに行かれるおつもりで?」
俺は威圧するような笑顔を浮かべ、手に力を入れたままテッド君を質す。
「いやさ、俺も村のみんなに声を掛けるのを手伝おうかなって……」
テッド君は嘘をつかない。村長たちを手伝うというのは本当だろう。しかし、テッド君がここに戻ってくるとは言っていない。
「お気遣い痛み入ります。ですが、このような事でテッド様のお手を煩わせるなど、あってはなりません。村の皆さんが集合するまで、このままゆるりとお待ちください」
「へ、へへっ……ダメ?」
愛想笑いを浮かべるテッド君。
俺は返答として無言で微笑んだ。
「うぅ……」
ガックリとテッド君が項垂れた。
周りの方々が俺たちのことを不思議そうに見てくる。テッド君が俺のことを「兄貴」と呼んだので、どんな関係なのかと疑問に思っているのだろう。
「シスター・ノエル、皆様にお茶のお代わりをお願いします」
俺はそんな視線に気が付かないフリをしてノエルに紅茶のお代わりを頼んだ。
紅茶はノール村では高級品だが、村長の家には来客用に備えられているのだ。
「はい、承知いたしました。――皆様、失礼いたします」
ノエルは軽く一礼して部屋を出た。
「カイン司祭、少し尋ねたいのだが――」
ノエルが部屋を出ると、伯爵様が声を掛けてきた。おそらく先程の「兄貴」発言について尋ねられるのだろう。
(ちっ、テッド君め、面倒な発言をしてくれたな。こんなことなら礼儀作法も教えとくんだった)
俺はテッド君を押さえながら伯爵様たちの質問に答え、ひたすら村長の帰りを待つのであった。
『長かった、馬鹿みたいに長かった……』
『揃いも揃って無駄話を延々と……。村のみんなは、よくもまぁ、ありがたがって聞いていられましたね』
子爵様、伯爵様、司教様の3名の話は予想通り長かった。
銘銘が他の二人に対抗心を燃やしたのか、三人とも意味もなく長い話をし出したから堪ったものではなかった。
俺としては、御領主様から一言だけでも賛辞をいただければ十分だったのだが……。
『しかし、みんなに喜んでもらえたなら頼んだ甲斐があるというものだ。これでテッド君や、アルトさんたちへの風当たりも変わるだろう。……当のテッド君は直ぐに寝ていたが……』
『……器用に立ったまま寝てましたね』
罪滅ぼしの一環とはいえ、誰のために御領主様へお願いをしたと思っているのだろうか、あの子は。
「間もなく到着いたします、スモーク司教様」
「うむ」
現在の時刻は正午ちょっと前。
俺たちは、スモーク司教様と彼の召使いをしている見習い僧侶の少年の二人をウチの教会に案内しているところだ。
二人は今晩はウチの教会に泊まるのである。
因みに、伯爵様と子爵様、そして騎士様たちは村長宅。それ以外の従者や、司教様が雇った護衛は村人が営んでいる宿屋に泊まることになった。
『アルシエ様、もうすぐ着きますので、隠れていてくださいね』
丘を登り、段々と教会が見えてきた。
司教様たちと鉢合わせしても困るので、こうしてアルシエ様に連絡をしている。
『分かっていますよ。……ですが、本当に私が居て良いのですか? 今夜くらい外泊してきますよ? そうすれば部屋も空きますし』
『いえ、アルシエ様にはノエルの身を守るためにも教会に居て欲しいのです。なにせ泊めるのはロクデナシの教会関係者。もしも、司教様や見習いの少年がノエルに手を出そうとしたら、止めるのを手伝ってください』
『もちろんその時は相手を半殺しにしてでもノエルを護りますが……身内への信頼が全くありませんね……』
『当たり前です』
エアリス教会に真っ当な人間はほとんどいないのだ。
いつもなら《予知》をするのだが、今はまだ一か月経っていない。ここは、とても強いらしいアルシエ様に頼るのが最善であろう。
『アルシエ様、半殺しなんて生ぬるいです! 女性を襲うような輩はきっかり全殺しして地獄へ落としてください!』
『ノエル、同じ女性として気持ちは理解できますが、教会で殺したら後々面倒になりますよ? 生かしておく必要があるので、半殺しで我慢してください』
『むぅ……』
『……分かりました。今夜は徹夜で見守ってあげますから、安心してください』
『ありがとうございます!』
(よかった、これでノエルが安眠できる。明日、アルシエ様には改めて御礼を言わないといけないな)
今夜の算段がついたところで、ちょうど教会にたどり着いた。
「お疲れ様です、スモーク司教様。どうぞお入りください」
「ああ、世話になるぞ」
ドアを開け、司教様を中へと招いた。
さすがは教区長、肩で風を切って遠慮なくズカズカと入ってきた。他所の家とは思えない態度のデカさだ。
(あとは司教様のご機嫌をどうやって取るかだが……)
逆恨みされたままでは俺とノエルの生活にどんな禍が降りかかるか分かったものではない。
俺たちの暮らしを守るためにも何か考えないとな……。
【おまけ】
・部屋決め
「スモーク司教様、どうぞこちらのお部屋をお使いください。お付きのキミは隣の部屋を」
俺は司教様と見習いの少年を客室に案内した。こういった時のためにそれなりの家具が置かれている清潔な部屋だ。司教様が泊まっても問題ないだろう。
しかし、司教様は「フンっ」と鼻を鳴らして二つばかり隣の部屋を指差した。現在アルシエ様が使用している部屋だ。
「カイン君、ワガママを言う気は無いのだがね。あちらの部屋の方が日当たりが良さそうじゃないか。変えてもらっても良いかね?」
嫌味ったらしい口調だ。どうやら軽くワガママを言って、嫌がらせをしたいらしい。
とはいえ、これも想定の範囲内。ちゃんと言い訳は考えてある。
「申し訳ございません。あちらの部屋は人をお泊めできない有り様でして……」
俺が深々と頭を下げ、心底申し訳なさそうに言うと、司教様はさも驚いたという顔をして、
「なんじゃ、もしや掃除をしていないのかな? いかんぞ、カイン君。教会は“神の家”でもあるのだ。常に清潔を心がけなさい。辺鄙な田舎だからといって気を抜いていては、女神様に失礼だと思わないかね?」
と心にも無いことを言った。
それだけなら聞き流して終わりだが、司教様は「中を検めさせてもらおうか」と言って、部屋に近づいた。中に変な物でも置いているかと勘ぐったのかもしれない。
『鬱陶しい男ですね。私が対処しましょうか?』
『アルシエ様、待ってください。ここは俺が』
俺はドアの前に立ち塞がった。
「司教様のおっしゃる通りでございます。ーー私も日頃、掃除を欠かさぬようにしているのですが、実は今朝、教会に野良犬が入ってきまして」
「野良犬?」
司教様の目が点になった。
「はい。2頭の、喧嘩をしている野良犬です。その2頭は教会内を暴れ回りながら、清掃中で扉が開いていたこの部屋に飛び込んでしまったのです」
「それで部屋が汚れたと?」
「ええ。中で暴れられて家具はめちゃくちゃ。血はあちこちに飛び散り、負けた方が糞尿を撒き散らす始末。なんとか教会から追い出して廊下を掃除し、あとはこの部屋を残すのみだったのですが、皆様がご到着されたとの連絡がありまして、そのままになっているのでございます」
“糞尿”と聞いて司教様が嫌そうな顔で部屋から遠ざかった。
「それは……災難じゃったな。掃除は明日、頑張りなさい」
「はい、畏まりました」
『アルシエ様、これでお部屋には誰も近寄りませんよ!』
『……釈然としません。もっと良い言い訳はなかったのですか?』
不満そうなアルシエ様の声が聞こえてきた。




