第一章 五幕
薄明りの中、線香がじりじりと燃えている。
茉莉花の香りがふんわりと漂う客間で、律は正座で肩をすぼめていた。
その眼の前には、凛と座る朧。
口元は優しく。
眼は毅然と。
小さく開いた襖から、藤波と番台が覗き込んでいる。
長い……沈黙。
破ったのは律だった。
「怒ってるよねぃ。」
律はそおっと眼を向ける。
「何のことでありんしょうねぇ。」
きりとした朧の目線は律からぶれることは無い。
「そのぉ……刺したねぃ。」
律の眼が、泳ぐ。
「あの旦那は皆に愛される御仁でありんした。」
「えっとぉ……。」
上に眼を向け、下に眼を向け、律は朧に向き直った。
「箒頭の……見てたんだねぃ。」
「あんさんは、自ら槍を向けなすったでありんす。」
少し黙り、律は首を振る。
「いやいやいや、先に抜いたのあいつだよねぃ。」
「ならば良いと?」
律は冷汗を拭う。
「あんさんは御自分が思うよりお強いのでありんすよ。」
律の眉が下がる。
「強く無いねぃ。」
——無月。
——夕顔。
——娘。
遠くを見詰め、律は顔を思い浮かべていく。
——美鈴。
「よしなんし。」
朧は遮る様に律に扇子を向け、開く。
「あんさんが悔いる事全て。」
律はそおっと朧と眼を合わせる。
「私が人々皆々様の笑顔に替えてお返ししてみせりんす。」
律に向けられた扇子が閉じる。
「だからもう少し。」
朧の眉は心なしか下がっていた。
「あんさんは御自分の幸せも追ってくださいまし。」
その扇子を口元に運ぶ朧。
「ですが、肝に銘じておくれなんし。」
眼だけがきりと律を見詰める。
「気が立っていて斬りかかるなぞ言語道断。」
ため息が聞こえた。
障子の裏で覗く二人が振り向くと、拳の花魁が見詰めていた。
「あら、ひ、雛鶴じゃないさね。」
藤波は笑顔を取り繕う。
番台は眼を逸らす。
「何をしていらっしゃるのですか。」
雛鶴の細い眼は呆れていた。
裏返った声を落ち着かせ、藤波が返す。
「いやさ、あの二人で話すの久しぶりじゃない?」
雛鶴は襖の奥の二つの影に眼を向けると、肩を竦める。
「取って食ったりしませんよ。」
「それはわかってるさね。」
藤波が立ち上がる。
番台も慌てて続く。
「でもさほら……。」
雛鶴の耳に藤波の口が寄せられる。
「……あれだけのお見世出し、葛城太夫が黙ってないさね。」
雛鶴が頷く。
「それは確かに、懸念が残ります。」
藤波の顔が離れる。
「律の動きによっては……。」
「突いて来る、と。」
「そう言う事さね。」
腕を組んだ藤波の視線が番台に向けられる。
番台も頷く。
襖の奥で、律の影が顔前で手を合わせていた。
古びた長屋に男達が集まっていた。
皆それぞれの意匠で彩られた、統一感の無い一座。
その中で、群を抜いて派手なのは箒頭に全身入れ墨の紅孔雀だった。
体格の大きい男が笑いながら酒を注ぐ。
「まじか、そんなに強いんかよ。」
紅孔雀の口角が上がる。
「ああ、あいつはやばい。水蓮でも見切れねえかもな?」
水蓮、と呼ばれた白髪交じりの男はひっそりと嗤う。
「それは楽しめそうだな。」
水蓮が手を差し出すと、紅孔雀は短刀を一本渡した。
「だが、それ以外にも。」
短刀をゆっくりと引き抜く。
「同心だの何だの、ここは芸達者が多い……。」
柄をつまみ、肩に峰を当てると。
「……な。」
ひゅんと短刀を外に投擲した。
即座に、鴉面を被った黒づくめの三人が後を追う。
——その先で。
闇夜に朱手拭が溶けて行った。




