表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どうぞ潰し合ってくださいまし。わたくしはお茶を淹れております 〜負けても死にません。ただ、家がなくなるかもしれません〜  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/13

第7話 背中を預けるという距離

「行くしかないのよ」


 小柄な令嬢はもう一度そう言った。私にではなく、外の椅子に向かって。


 その目は天蓋席のいちばん端に据わっている。そこには何もない。誰も座っていない椅子が朝から日を浴びて、影だけを長く伸ばしていた。


「合図が来る子は、行くしかないの。行かなかったら、帰ったあとが地獄だもの」


「あなたには、来ないんですか」


 彼女がやっとこちらを見た。前髪を短く切りそろえていて、目のあたりに勝ち気さが残っている。ただし瞼が腫れていた。


 泣いたあとを隠していない。隠す相手が、この庭にはいない。


「マルグリット・カレル。16歳。子爵家です」


「セシリア・ヴァルモントです」


「知ってます。180倍の方でしょう」


「55倍になりました」


「上がったんですか」


「下がったんです」


 彼女はふん、と鼻を鳴らして、また外を見た。


「うち、誰も来てないの。父も、母も、兄も。開会の日から一度も」


 空いた椅子の影が、さっきより少し短くなっていた。


「見られていないと、いないのと同じですわ。ここで倒れても、誰も知らないんですもの」


 その言い方に、私はうまく返せなかった。慰めの言葉はいくつも浮かんだけれど、どれもこの人の欲しがっているものではない気がする。


 だから、別のことを言った。


「お茶を淹れますけど、飲みます?」


「なんですか、それ」


「見ている人がいるところで飲めます。少なくとも4人は」


 マルグリット様は、しばらく黙っていた。


「……お砂糖は?」


「ありません」


「ひどい茶会」


 言いながら、彼女はもうこちらへ歩き出していた。


 小屋に戻ると、オルタンス様が「増えた!」と叫び、ソフィ様が「またですの」と天を仰いだ。リュシー様だけが黙って鉢を積み直して、座る場所を作っている。


 5人になった小屋は目に見えて狭い。


 積んだ鉢を崩して座る場所を作ると、今度は足の踏み場がなくなる。誰かが寝返りを打てば誰かの背中に当たる。藁の匂いに人の匂いが混ざって、湯気がその上から降りてくる。


 悪くない、と思っている自分がいる。殴り合いの真ん中で、外では今も誰かが倒れているのに。


 缶を開けて、4人ぶん。カップは2つのまま。


 残りは25杯ぶん。数え方がそろそろ嫌になってきた。


 夕方、生垣の向こうで声が3つ、重なって聞こえた。


 言い争いだ。中身までは聞き取れない。約束、という単語だけが二度、高いところで跳ねた。


 それから短い悲鳴がひとつ。少し間が空いて、もうひとつ。


 悲鳴の数だけ白が増える。21本。残りは11人。


 水を汲む口実で、私は生垣の切れ目まで行った。


 覗くと、令嬢が一人、立っていた。


 両手に何も持っていない。剣は足元に落ちている。彼女は倒れた二人を見下ろして、それから天井の硝子を見上げて、また足元へ目を戻した。同じことを何度も繰り返している。


 組んでいたのだと思う。3人で。ここまで来るあいだ、背中を預け合って水を分けて、たぶん名前で呼び合っていた。


 最後にどちらが先に手を出したのかは私にはわからない。わからないままでいい。


 声をかけようとして、やめた。


 いま話しかけたら、この人は自分のしたことを言葉にしてしまう。言葉にしたら、たぶん戻れない。


 私は水差しを抱えて、その場を離れた。


 夜になった。


 扉の外で足音が止まる。


 閂は折れているのだから、押せば開く。押されない。代わりに板の向こうで衣擦れがして、それから何かが背中を預ける音がした。


「入らない」


「なぜ」


「中に5人いる」


「数えたんですか」


「匂いでわかる」


 匂いで人数を数える人がいる。剣より、そちらのほうがよほど怖い。


 中を振り返ると、4人が息を止めて固まっている。オルタンス様まで黙っているので、事態はそれなりに深刻らしい。


「お茶を淹れましょうか」


「いらない」


「もう沸いているんですけど」


「なら、そこに置いておけ」


 板一枚を挟んで私も床に座った。背中を扉につける。あちら側の重みが、木を通してかすかに伝わってくる。


 夜の硝子宮は思っていたより音が多い。葉が擦れて、どこかで水が落ちて、遠くで誰かが咳をする。天井の硝子に星は見えない。曇っているのか、明かりのせいなのか。


 背中の板はあちら側の体温をひとかけらも通してこなかった。木は厚い。硝子も厚かった。私は今日、二度も壁越しに人と話している。


「今日、東で3人落ちた」


「二人です」


「1人はまだ立っているだけだ。数には入る」


「厳しいですね」


「事実だ」


 葉ずれの音がする。夜の生垣は昼より騒がしい。


 噴水の音も夜のほうが大きい。昼は誰かの足音に紛れている。


「アデライド様は」


「なんだ」


「どうして、勝ちたいんですか」


 板の向こうで、しばらく音がしなかった。


 節穴から入る空気が、私の首の後ろだけを冷たくしている。板一枚向こうには届いていない。


「うちは典礼省と揉めている」


 典礼省。東の門の机に座っていた男の、襟の記章が浮かぶ。


「領地の割り振りの話だ。父が反対している。反対しているのは、うちだけだ」


「それと剣に、何の関係が」


「私が勝てば、うちの言うことに重みがつく。負ければ、つかない」


「そんな理由で剣を振るんですか」


「理由はいらない。振れるから振る」


「では、勝てなかったら」


「家ごと消える」


 あっさり言った。剣の手入れの話をするときと同じ調子で。


 私は膝を抱えた。土間の冷たさが布越しに這い上がってくる。


「私の母は」


「聞いていない」


「伺ったぶんは、お返しします」


 板の向こうで鼻で笑う音がした。


「母は、この茶会の話を聞くたびに笑っていたそうです。馬鹿げている、と」


「賢い方だ」


 賢い方だった、と言い直すのが正しい。私が生まれてすぐに亡くなったので、顔は知らない。知っているのは、父がその言葉を口にしたときの、間の置き方だけだ。


 板の向こうで、剣の柄が鞘に当たった。膝を組み替えたのだ。


「父は、勝たなくていいから帰ってこいと言いました」


「甘いな」


 私は認めた。認めたうえで、あの言い方はずるいと思っている。勝たなくていい、と言われたら、勝てない人間は逃げ道を全部ふさがれる。


「お前は、それを守れると思っているのか」


「いいえ」


「なら、なぜ湯を沸かす」


「他にできることがないので」


 沈黙が落ちた。それから、板がわずかに軋む。体重のかけ方が変わったらしい。


「……答えとしては、悪くない」


 私は立ち上がって、昼に沸かしたぶんを火にかけ直した。新しく茶葉は使わない。使えない。ぬるくなったものを温め直すと、香りだけが先に飛んで、色ばかりが濃くなる。


 それをカップに注いだ。


 扉の隙間は拳ひとつぶんくらい開いている。そこへ静かに差し入れて、外の床板に置いた。


「置きました」


「頼んでいない」


「飲めとも言われておりません」


「賢いな」


「12年、そればかりやってまいりましたので」


 笑い声がひとつだけ聞こえた気がした。たぶん気のせいだ。板の向こうにいる人は、そういう音の出る作りになっていない。


 しばらくして足音が遠ざかり、板から重みが消えた。背中が急に軽くなって、私は前へ倒れそうになる。人が寄りかかっていたぶんの重さを、体のほうが覚えていたらしい。


 朝、扉を開けた。


 カップは置いた場所にそのままあった。


 中身は減っていない。表面に埃が一粒だけ浮いて、縁のあたりに夜の冷たさが溜まっている。指をつけると、芯まで冷えきっていた。


 カップを持ち上げると、底に沈んだ茶葉がゆっくり動いた。誰にも飲まれなかった紅茶は、色のついた水でしかない。私はそれを外の土へこぼした。土が黒くなって、すぐに乾く。


 外の砂利には人が座っていた跡が残っている。


 それを見下ろしていたら、生垣の向こうから足音がした。


 昨日、両手に何も持たずに立っていた令嬢が、こちらへ歩いてくる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ