↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どうぞ潰し合ってくださいまし。わたくしはお茶を淹れております 〜負けても死にません。ただ、家がなくなるかもしれません〜  作者: 夜凪 蒼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/30

第26話 第四条を書いたのはどなたです

「典礼長官を呼んでくださいまし」


 王太后陛下がそう言うと役人が走った。


 担架を運ぶときですら急がなかった革の靴が、砂利を蹴散らして生垣の向こうへ消えていく。


 場所は硝子壁ぎわを選んだ。


 私が選んだ。天蓋席の正面。この庭で外からいちばんよく見える場所。あの人がいつも立っていた場所だ。見られたい人の気持ちが、いまなら少しわかる。


 見られていないところで起きたことは、なかったことになる。


 やってきたのは慇懃な人だった。


 背は高くない。腰が低い。歩き方が丁寧で、こちらへ来るあいだじゅう、少し困ったような笑みを浮かべている。悪い人には見えない。悪い人に見えないというのが、この庭でいちばん危ない特徴だと私はもう知っている。


「陛下。お呼びと伺いまして」


「ダミアン。この方のお話を聞いてくださいまし」


 私は石の上に順番に置いた。


 まず、カップ。アデライド様が抱えたままだった、底に琥珀の残った1客。


 その隣に帳簿。


 その隣に、油紙に包んだ規約の原本。


「レスコー侯。第四条を書いたのは、どなたですか」


 笑みが動かない。


「規約は、代々の典礼長官が整えてまいりました」


「では、第四条は」


「……わたくしの就任後の追補でございます」


「なぜ、毒を禁じたのですか」


「淑女の品位のためでございます」


「本当ですか」


「もちろんでございます」


 私は帳簿を開いた。


 昨日まで模様にしか見えなかった頁がいまは読める。読めるようになったのは私の手柄ではない。読み方を教えてくれた人が二人いた。片方は門をくぐって、片方は隣に立っている。


「第32回の記録です」


 相手は頁を見ない。私の顔だけを見ている。


「この回、毒が使われました。本命が倒れています」


「存じません」


「倍率が跳ねています。胴元が払いきれなくなって、支払いを分割した記録が残っています」


 指を次の頁へ滑らせる。


「第四条が追補されたのは、その次の回です」


 硝子の向こうがざわめいた。


 人が立っている。紙を持っている。この人たちは数字の話ならわかる。倍率の話なら、私よりずっと速く飲み込む。


「毒を禁じたのは、品位のためではありません。毒を使われると、倍率が読めなくなるからです」


「……面白いお話ですが、証拠が」


「あります」


 私は顔を上げた。


「回収簿です」


 笑みがそこで形を崩した。


 私は日付を言った。


 役人の袖からのぞいた、あの一行。読めたのは日付だけで、意味はわからなくて、それでも何日も頭の中で唱えていた数字。買い物の覚え書きみたいに、寝る前の祈りみたいに。


「この日、あなたのところの審判官が、わたくしの紅茶の缶を回収しました。毒物の使用は確認されませんでした、と申しまして」


「規定の手続きでございます」


「では、その缶はいまどこにございますか」


 沈黙。


「陛下」


 私は振り返った。


「典礼省の回収物を、お検めいただけますか」


 しわだらけの手が上がった。


 それだけで役人がまた走った。


 缶が戻ってきたのは、それからしばらくしてのことだった。


 布に包まれて、番号を書いた札がついている。私の缶だ。凹んだ縁も蓋の傷もそのまま。


 蓋を開けるのに少し手間取った。


 凹んだせいで噛み合わせが悪くなっている。両手で回して、ようやく開いた。この蓋の閉まる音で、私は毎日少しだけ安心していた。もうその音はしない。


 底に、少しだけ残っていた。黒くて、細くて、指でつまむと折れる。あの匂いはしない。


 王太后陛下がその中身を指の先に取った。


 舌には乗せない。鼻に近づけて、それから、目を細めた。


「これは、お茶ではございませんわね」


「陛下」


「ダミアン。回収簿には、なんと書いてございましたの」


「……毒物の使用は、確認されず」


「確認なさらなかったのでしょう」


 レスコー侯は答えなかった。


 答えられない。もみ消すために書いた紙が、そのまま日付つきの証拠になっている。あの日、審判官が袖に挟んでいなければ、私は何も覚えていられなかった。


「まだございます」


 私はもう一冊の頁を開いた。典礼省の出納簿の写し。ミレイユ様の字ではないほう。


「アデライド・グレンヴィル様が負けるほうに、大きな札が入っています。同じ日、似た額、別々の名前。裏の受付印は、全部同じ窓口です」


「賭けは、典礼省の管轄外でございます」


「では、この名前は」


 指を止めた。


 出納簿の欄に私財の出金がある。宛先は賭けの受付。


 名前はダミアン・レスコー。


「胴元が自分の盤面に張るのは、あなたのお作りになった賭けの決まりでも、禁じられていたはずです」


「……わたくしは、この制度を預かってまいりました」


 彼が言った。困った笑みのまま。声も来たときと同じ高さで。


「力のない家が領地を抱えているのは、国益に反します。整理が要るのでございます。この茶会は、その整理を穏当に行う唯一の仕組みでございました」


 穏当。7つの家と、何十人もの娘に使う言葉ではない。


「誰も亡くなっておりません」


「家がなくなりました」


「家は、人ではございません」


 この人は本気でそう思っている。


 悪意で人を落としたのではない。整理をしていたのだ。自分を有能な官僚だと信じたまま、ここまで来て、いまも信じている。


 硝子の向こうで、天蓋席が立ち上がった。


 全部が立ち上がった。日傘が倒れ、卓が揺れ、葡萄酒の瓶が芝生に転がっている。誰も気にしていない。紙を振って、硝子を叩いて、何か叫んでいる。


 声は届かない。


 届かないほうがいい。あの人たちが怒っているのは、娘が倒れたからではない。自分の札が仕組まれていたからだ。


 それでも今日はその怒りが役に立つ。


「ダミアン」


 王太后陛下の声は小さかった。


 小さいのによく通った。鐘楼の下で「毒はいけません」と言ったときと同じ調子だった。


「品位に欠けますわね」


 レスコー侯は深く礼をした。


 角度まで完璧な礼だった。この人はたぶん、最後の瞬間まで作法を崩さない。作法を崩さないことと、正しいことは、この国では別々のものらしい。


「レスコー侯」


 黒いドレスが一歩前へ出た。


「あなたは、私を負けさせたかったそうだな」


「……とんでもございません」


「私は、あなたに負けさせられるつもりはない。勝つのも負けるのも、私が決める」


 剣は抜かなかった。抜かないほうがこの人は怖い。


 役人が彼を連れていく。


 抵抗はしない。来たときと同じ歩幅で、同じ丁寧さで歩いていく。


 私は座り込んだ。


 膝が笑っている。声が震えなかったのは、社交儀礼が優だったからだ。優をもらっておいてよかったと、生まれて初めて思った。


 炭を集めて、火を熾す。


 湯が沸くまで6分。今日は少し長かった。


 注いでひとくち飲む。残りは2杯になった。


「終わりましたのね」


 王太后陛下が言った。


「はい」


「いいえ」


 陛下が首を横に振る。


 しわだらけの手が、鐘楼のほうを指した。竿には白い旗が30本。その下に鐘がある。


「わたくしが決めたのは、閉会の条件だけですの」


 開会の日に聞いた言葉が、そのまま戻ってきた。


 あのときは、心底どうでもよさそうに首を傾げた人だと思った。


「途中で止める権限は、わたくしにございませんのよ。作らなかったんですもの、そんな条文」


 背筋が冷えた。


 黒幕は落ちた。制度の腐りもたったいま硝子の外の全員が見た。それでも鐘は鳴らない。


 この茶会が終わる条件はひとつしかない。


 会場内の参加者が一名になるまで。


 私は隣を見た。


 黒いドレスが剣を提げて立っている。


 まだ、二人いる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。