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どうぞ潰し合ってくださいまし。わたくしはお茶を淹れております 〜負けても死にません。ただ、家がなくなるかもしれません〜  作者: 夜凪 蒼


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第17話 みっともなく、負ける

「取ります」


 言ってから、それが自分の声だと気づくまでに少し間があった。


 喉の奥がまだ震えている。出した覚えのない声だ。


「……え?」


「責任を取ります」


「どうやって、ですか」


「私が戦います」


 リュシー様の顔がゆっくり歪んだ。怒りでも呆れでもない。もっと単純な、聞き間違いを疑う顔だ。


 私は言い直さなかった。言い直せば、嘘になりそうだった。


「無理です」


「無理です」


 筋が通っていないのは知っている。知っていて口が動いた。


「あなたが降りる理由は、誰かが誰かを倒さないと終わらないからでしょう」


 この子は否定しなかった。


「だったら、倒す役を私がやります」


「できません」


「できなくても、やろうとした人がいたという事実は残ります。意味は、あとで誰かが考えます」


 我ながら、ひどい理屈だった。


 小屋へ戻って、壁の剣を取った。


 重い。両手で持ち上げて、鞘を払うのに二度失敗する。三度目でやっと抜けて、その勢いで自分の膝を打った。


 リュシー様が扉の前に立った。両手を広げている。


「どいてください」


 両手は下がらない。指の先だけが震えている。


「昨日、私に責任を取れと言ったのはあなたです」


「こんな取り方のことではありません」


「他を知らないんです」


 この子の腕をどけて、私は外へ出た。


 残っているのは5人。私とリュシー様。アデライド様とミレイユ様。それに扇の人。


 アデライド様は論外だ。あの人には一歩で終わる。ミレイユ様は戦わない。あの人は数字の側に立っている。


 だから、扇の人になる。


 中央広場の噴水のそばにその人はいた。


 縁に腰かけて、膝に扇を置いている。ドレスは開会の日と同じ形を保っていた。この庭で、まだ髪を結い直している人はこの人だけだ。


「あら。ごきげんよう」


 剣の切っ先が土についている。持ち上げていられない。


「その剣、あなたのものではございませんわね」


「借り物です」


「それで戦いますの?」


「持ち主が使わないので」


 彼女が立ち上がった。


「わたくし、ジョゼット・アンベール」


「お噂だけは。扇の方、と呼んでおりました」


「まあ。ひどい言われよう」


「他に呼びようがございませんでしたので」


 扇が開く。骨のあいだで細い光が動いた。刃だ。


 私は剣を構えた。構え方は知っている。学園で習った。習っただけで、一度も褒められなかった構えだ。


 振る。


 当たらない。


 もう一度振る。当たらない。三度目は振り上げた途中で扇が来た。


 手首の骨に当たって、剣が落ちる。拾う。また落とす。今度は自分の足の甲に落として、声が出た。


「大丈夫ですの?」


 答える息がない。首を振ったつもりが、動いたのは顎だけだった。


「そう」


 彼女は待っていた。待つ余裕があるということだ。


 もう一度、剣を拾った。


 柄が汗で滑る。握り直す。握り直しているあいだ、彼女は待っていてくれた。待たれているというのがまた屈辱だった。


 振る。今度は当たった。


 当たったのは扇の骨で、当たった瞬間に手が痺れて、剣はまた落ちた。


「惜しいですわね」


 惜しくない。届いた先が骨ではなく、扇の骨組みだっただけだ。


 剣を諦めて、彼女の腕に掴みかかった。組み付いてしまえば、剣も扇も関係なくなると思ったのだ。


 そう思ったのがそもそもの間違いだった。


 体術・可。可という評価が何の役に立つのかを、私はいま学んでいる。掴んだ手はあっさり外されて、代わりにこちらの肩を掴まれた。


 私は鉢植えの列に手を伸ばして、一つ引き倒した。あの日と同じように。土が散って、鉢が割れる。


 硝子の向こうで天蓋席が動いた。


 人が立ち上がっている。何人も。紙を振っている。私が剣を落とすたびに、あちらでは何かが起きているらしい。


 こちらの息が上がるほど、あちらは楽しいのだと思う。


 彼女は目をつぶらなかった。


「同じ手は、二度目には効きませんのよ」


 扇が横に走る。


 しゃがんで避けたのは、避けたのではなく足がもつれただけだった。頭の上を風が通る。運がいい。運のよさで生きているのは、開会の日から何も変わっていない。


 立ち上がろうとして、肩を押された。


 背中から落ちる。息が全部、体から出ていった。


 起き上がろうとしたら、胸の上に重さが乗る。


 靴だ。


 彼女は私の肋の上に足を置いて、体重をかけた。ゆっくり、丁寧に。加減しているのがわかる。加減されているのがわかるというのが、いちばん屈辱だった。


 布の裂ける音がした。


 靴の先が胸元の生地を引っかけている。刃だ。踏むだけの靴に、そんなものはついていない。


 骨のどこかで鈍い音がした。


 声が出ない。息を吸うと、胸の右側が裂けるみたいに痛む。深く吸えば痛い。浅くすれば足りない。息の置き場がどこにもなかった。


「あなた、なぜ剣をお持ちになったの」


「……せき、にんを」


「聞こえませんわ」


「責任を、取ろうと」


「まあ」


 扇が開いて、口元を隠した。目が笑っている。


「責任というのは、取れる方が取るものですのよ」


 言い返したかった。息が足りなかった。


 土の匂いがする。頬が地面についている。あの日、母のレースを切った場所から、そう遠くない。


 遠くで、リュシー様の声がした。


 走ってくる音。何か叫んでいる。何を言っているのかはわからない。耳の中で自分の心臓が鳴っていて、それより外側の音が届かない。


 扇の人が足をどけた。


「もう結構ですわ。旗が上がりますもの」


 運ばれた。リュシー様が私の脇に肩を入れて、引きずるみたいにして。


 小屋の梯子を上がるのは地獄だった。一段ごとに胸が軋む。この子は一度も休まなかった。私より小さいのに一度も。


 屋根裏は物置になっている。埃と、乾いた藁と古い麻袋の匂い。天井が低くて、大人は立つこともできない。


 私は横になった。横になるしか、できることがなかった。


 板の隙間から、細い光が何本も落ちている。埃がその中で動いていた。上がったり下がったり、方向がまるででたらめだ。


 この庭へ来てから、私はずいぶんいろいろな天井を見てきた。硝子の天井。小屋の梁。いまは屋根の裏板。だんだん低くなっている。


「セシリア様」


 返事をしたつもりだった。音になったかどうかはわからない。


「息、してください」


「しています」


「浅いです」


「浅くしないと、痛いので」


 痛みには波がある。息を吸うたびに来る波と、動かなくても勝手に来る波。後者のほうが質が悪い。備えられないからだ。


 リュシー様は一度下へ降りて、水を汲んできた。梯子を上がるとき、水差しを口にくわえていた。淑女のやることではない。


 笑おうとしたら胸が痛んで、代わりに変な音が出た。


「笑わないでください」


「笑っていません。呼吸です」


「呼吸じゃないです」


 この子が私の手を握った。冷たい手だ。この子の手はいつも私より冷たい。


 それから、屋根裏の低い窓から外を覗いた。梁のあいだの、板が一枚だけ外れた隙間。そこから鐘楼が見える。


 長いこと動かなかった。


「セシリア様。旗が」


 この子の声が、そこで一度切れた。


 窓の隙間から目を離さないまま、言い直す。


「旗が、上がりません」


 私は天井を見た。低い。屋根の裏板が顔のすぐ上にある。


 倒れた。踏まれた。骨にはひびが入っている。誰がどう見ても私は脱落だ。


 なのに、竿の旗は27本のままだという。数えたのはこの子だ。数え間違いをする子ではない。


「なぜですか」


「……わかりません」


 わからない。


 この庭で旗の上がらなかった人を、私は一人も知らない。倒れた人はみんな運ばれて、みんな数から外された。私だけがまだ数の中に残っている。


 わからないまま、私は息を浅くして、天井の木目を数えていた。


 誰かが私を脱落にしていない。

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